朝を迎えた。太陽が僕の体を照らすが、依然として僕は冷え切ったままだった。それは単純な体温の話ではない。昨夜の一件で僕の心は冷え切っていた。
まったく、将来先生になるかもしれない人間のやることとは到底思えない鬼畜の所業だった。
これは文句を言ってやらねば気が済まないと、僕はアパートの方を睨みつけて彼女が出てくるのを待った。
しばらくすると、公園とアパートの間にある道をランドセルを背負ったちっちゃな集団が通り過ぎていく。
その光景で今日が月曜日、つまり平日ということを思い出した。
時たまチラリとこちらを見る小学生もいたが、平日の朝っぱらから公園のベンチに座る高校生は、彼らの瞳にはどう映っているのか少し気になった。多分ろくなもんじゃない。
「おや」
集団の中から、赤いランドセルを背負ったちんまりとした女の子が一人、ジョウロ片手に公園へと入ってきたのに気づいた。
少女は公園の中心にある水道でジョウロに水を入れると、徐々に僕の方へと近づいてきて、ぺこりとお辞儀をする。その後、僕の座るベンチの横の地面へとジョウロを傾けた。
何をやっているのかが大変気になる。変質者扱いされそうなのはわかっていても、どうにも目線が彼女に吸い寄せられてしまった。
ジョウロからチョロチョロと出た水を辿るの、濡れた地面の土が若干盛り上がっているような気がしないでもない。何か植えてあるんだろうか。
「ごめんなさい!」
僕が土を眺めていると、小学生は急に頭を下げてきた。
「公園はこういうことしちゃいけない場所っていうのは知ってるけど、クラスの子達が種を植えた後放ったらかしにしてるのを見て、気になっちゃって……」
小学生は申し訳なさそうに眉を八の字にして、僕を見た。
なるほど。彼女はどうやら公園で勝手に何かしらの植物を育ててしまってることを僕が咎めているとでも思っているらしい。
彼女もまさか公園を私物化してごめんなさいと謝った相手が、公園を我が家のごとく私物化しているホームレスもどきとは思ってもみなかっただろう。
「いや、僕はただ何をしてるのか気になって見てただけだから。水やりくらいで気にすることはないと思うよ。君はただ土を濡らしてるだけなんだから。もし怒られそうになったら、たまたま水を撒いてた場所に植物の種があっただけって言えば言い逃れできるよ」
別に本格的な畑を作ったわけでもあるまいし、怒られるほどのことでもないだろう。
「そういう屁理屈や言い訳は、良くないと思います」
小学生は少しムッとしたように頰を膨らませた。どうやら僕が提案した罪悪感を消し去るおまじないはお気に召さなかったらしい。
身長は座っている僕より少し背が高いくらいだが、子供とは思えないほど芯がしっかりしている。本当に小学生かよ。
「君って何年生なの」
「知らない人に個人情報は教えちゃいけないって学校の先生か言ってたから教えません」
気になって尋ねてみたが、膨れっ面のままそっぽを向かれた。
確かに今の自分が知らない人を通り越して怪しい人の自覚はあるので、彼女の判断は正しいとわかっている。しかし分かっているからといって僕が凹まないのかというと、それはまた別の話なのだ。
「じゃあさ、その水やりをしてる種ってなんの種か教えてくれないかな。べつに これは個人情報じゃないと思うけど」
気を取り直してそう聴いてみた。野菜だったら早急に実ってくれると助かる。花だったとしてもギリギリ食える気がする。
「……知らないです。私は種を植えたところしか見てないので。ただ、ずっと水あげてるのにちっとも芽が出ないから、もしかしたらもう死んじゃってるのかなぁ」
彼女は不安そうな表情で、何も出ていない濡れた土を見つめた。
「あー。そうなんだ」
種を植えたというクラスの子達になんの種か聴いていないあたり、あまり仲が良くないのかなと察してしまった。
「ずっとあげてるっていつからあげてるの。」
「1ヶ月くらい前からです」
ふむ。どうだろう。水を撒いて一週間もすれば芽がにょきにょきと生えてくるというのが僕のイメージなのだが、アサガオ観察日記すらサボっていた身としては判断がつかない。
ていうかちょっと待て。1ヶ月だと?
「もしかして1ヶ月も水やりし続けてるわけ?」
「はい。雨の日以外は基本毎日してます。お家が遠いから、土日はちょっと大変ですけど」
小学生はそれがどうしたと言わんばかりに平然と頷いた。
「へー、そうなんだ」
どのくらい公園から家が遠いかは知らないが、他人の植えた種に対してやっていることだと考えると、それをちょっと大変で済ませてしまうのは人が良いにもほどあるだろう。
……こういうタイプのお人好しっ子は、学級委員とか飼育係とか名誉職に見せかけた雑用係を押し付けられやすい印象だ。
良い子ほど都合の良い子扱いされてしまうものなのだ。大人からも、同じ子供からも。
この子があまりにも良い子すぎるので少し心配になった。なんというかこう、この子はどこか放っておいてはいけないような、そんな雰囲気を感じるのだ。
「あの私、そろそろ学校遅刻しちゃうから行きます」
「あ、うん。なんか引き止めてごめんよ」
小学生はまだ僕のことを警戒するように、眉間に皺を寄せて僕を睨むように見ていたが、しっかりとお辞儀をしてくれた。
言葉遣いといい、これでまだ小学生とはしっかりしすぎていやしないだろうか。僕が小学生時代はどんなだったっけか。
ぼやけた記憶の中、給食の時間は嫌いなものが多すぎたことと、机を重ね合って食べるという無駄すぎるルールがあったせいで地獄だったことだけは今でも鮮明に覚えていた。
飯くらい静かに食えないものか。なぜわざわざおしゃべりを促進するような環境を作り、時間内に食べきれず昼休みを無駄にする子供達を増やそうとするのか。なんて思っていたなあ。
今思い出してみると、僕は小学生の頃から社会に対して不満全開だったらしい。
しかし給食か……。僕の通っていた中学は弁当持参と売店だったので、給食を食べていたのはもう随分昔に感じる。
食べきれなかったパンなんかを隠して持って帰っては、母に見つかってどやされたものだ。
なんて給食のことを考えたら空腹が増した。
……ん?給食、残り物、隠して持ち帰り。僕の頭に電流走った。
「ちょっと待った!」
「わぁっ」
怪しい高校生から足早に離れようとする小学生を、後ろからランドセルを掴んで引き止めた。
「なんですか。早くしないと遅刻しちゃうんですけど」
怪しい人に対する警戒からか、乱暴な引き止められ方をしたからか、振り返った彼女の僕を見る目は険しかった。
「ああ、ごめん。つい手が出ちゃって。ところで小学生。一つ提案があるんだけども」
警戒をとく為、僕は好青年をイメージしてニカっと微笑んだ。
「ひゃっ」
彼女は怯えたように悲鳴をあげて後ずさった。僕は泣きそうになった。
タイムスリップしたからというもの、泣きたくなることばかりだなと思い、更に泣きそうになった。
余談だが、後に彼女に聞いたところ、この時の僕は「とても気持ちの悪い顔をしていた」らしい。
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