次の日の昼、液体窒素さんが公園へとやってきた。これは珍しいことだ。なにが珍しいって、何もやらかしてないのに彼女が自発的にやってくるというのが珍しい。これも、彼女の言うところの歩み寄りというやつなんだろうか。
「あんたはさ、こんなことして将来のこととか考えてる?」
こんなことが指すのは公園暮らしのことだろうか。多分、彼女にとって僕は不登校の家出少年とでも思われているんだろうな。
「まったく考えてないよ」
正直、そんなもん高校3年の冬あたり、というか大学卒業寸前まで考えなくて良いもんだと思っている。
「でも願望くらいはあるんじゃないの?」
願望かぁ。僕は内に秘める自分の欲に耳を傾けた。
「働きたくないなぁ」
彼女の方から、蔑んだ視線が頰にピリピリ刺さっているのが見なくてもわかった。
「参考になるかもって期待してた私がバカだった」
「参考って自分の将来の? まだ悩んでたんだ」
「そりゃあ、頑張ろうって決めたけど、それで何かが劇的に変わるわけでないでしょ。私はまだ何も出来てないままで、変わってなんかいない」
そんな彼女の話を聴いて、そういえば僕は彼女に訂正させたいことがあったと思い出した。
「嘘は良くない。君は勉強が出来るって言ってたじゃないか」
「本当に勉強だけだけどね」
「僕からしたらそれで十分な気もするけどな。勉強ができるなら、それが活かせることをすればいいんじゃないか。だけだなんて、そんなこと言わないでくれよ。」
勉強だけだなどと言ったら、勉強もできてないのに将来に何も悩んでない楽観的な自分があまりに惨めに見えてくるじゃないか。
「勉強ができるってすごいことなんだよ。じゃなきゃ、みんなテストで100点取れるはずじゃないか。だから、君はすごいんだよ。」
「それは、そうかもしれないけど。でも、勉強ができたって役に立つのは入試とかだけで、社会に出たら無意味なものでしょ」
「それは勉強をやりたくない人の言い訳だよ。僕もテストの点数が悪かった時よく心の中でそう愚痴ってるな」
「あんたって本当に……」
彼女はその先を言わなかったが、代わりに吐いたため息から察するに、褒めるような言葉は続かなかったろう。
「勉強ができるって言うのは、一つの長所であるべきだよ。役に立つ立たないは、進む道によると思うし。」
「勉強が役に立つ仕事って例えばなに? 塾とか、家庭教師とか?」
「そうだよ! 特に……」
特に教師。今言えば、彼女に教師を目指させることができるかもしれないと、そう打算してしまう自分が嫌になった。
今、目の前にいる彼女と向き合いたいだとか思っていたはずの自分が、目先の利益に飛びついてしまったのだ。
「なに?」
「……いや。ほら、サッカーができるやつが、みんなサッカー選手を目指すかっていうとそうでもないから、可能性の一つとして考えるのは良いんじゃないかな」
少し悩んで、僕はそう答えた。
「そうなのかな」
それでも彼女はまだ不安そうだった。
「……多分、世の中には三種類の人がいるんだ。得意なことを仕事にすると人と、好きなことを仕事にする人と、好きでも得意でもないけどとりあえずお金の為に働く人」
多分、僕は最後になるんだろう。働くまでなにも考えずに、働いてからも、多分なにも考えず。惰性に身を任せて人生を送るんだろう。
「なんか、ぽいね。……多分、私は最後かな。」
彼女は寂しそうに笑った。
「選ぶかどうかは別にして、勉強っていう得意分野がある君は、得意なことを仕事にするって選択肢があると思うけどね」
「そう……かな。」
「そうだよ」
疑問に僕がそう返すと、彼女は目をつむって黙り込んだ。そして、ゆっくりと白い息を吐く。
「……まだ実感とかは湧いてないけど、勉強ができるってことも、長所の一つって思ってみることに……してみる。思いつくだけでも、勉強を商売にしてる職業って結構あるしね」
目をつむっている間、まぶたの裏でどんな考えを巡らせて、そんな答えを出すに至ったかは、当然僕には分からない。
でもその答えを聴いて、彼女が彼女自身のことを少しずつ好きになっていってるように感じて、顔がにやけそうになる。けれど、僕はなんだか照れるから、必死で平然を装い、
「そっか」
とだけ返した。多分ポーカーフェイスを保てていたと思う。というか、思いたい。
彼女も僕の返事に短く、
「うん」
とだけ返した。
彼女が本当に勉強だけしかできない人間だったなら、小学生達はあんなに懐かなかっただろうし、僕も彼女の力になろうとはしなかっただろう。
これから彼女が彼女自身のもっと多くの魅力に気づいていけたらいいのに。
「まぁその、じゃあ私そろそろ帰るから」
と、別れを告げたはずの彼女がその場を動く気配がない。
腹でも痛いんだろうか。心配になって声をかけようとしたところ、彼女の口がモゴモゴと動いていることに気がついた。
なにか言いたいことがあるらしい。しばらく待っつと、ようやく口が開いた。
「あのさ。得意ってだけじゃなくて、教師とかになって、あんたみたいなクズを矯正するのは、ちょっと楽しいかもって思えた。だからあんたに相談してよかったよ。ありがとう」
彼女は照れ臭そうにはにかんだ
「お、おう」
彼女の突然のお礼に対して、そう返事した僕は、今度はポーカーフェイスを保てた自信が欠けらもなかった。
役に立てたのは嬉しいんだけど、将来君の生徒になる予定の僕に怖いことを言わないで欲しい。
「あと高校生で進路が白紙なのは流石にヤバいと思うから、頑張りなよ」
最後に要らぬ捨て台詞を吐いて彼女は帰った。
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