日常が素晴らしいと感じていたのはもうはるか昔のことのよう。
ワケあって人生で1番頑張ったと言っても過言ではない学園行事、合唱祭が終わってはや数週間。季節はすっかり冬に入っていた。
まぁ合唱祭の結果については学年で金賞を貰えるという、僕というクソ雑魚音痴野郎というお荷物を抱えたクラスとしてはとてつもない快挙で幕を閉じた。それは問題ないんだ。僕もすげー嬉しかった。
ただ合唱祭に向け休み時間も放課後も歌の猛特訓に勤しむ生活をしていた反動か、合唱祭が終わった後の僕は、頭がポカーンと空っぽのまま抜け殻のように机に突っ伏すことが多くなってしまったのだ。
「おい、カラオケ行くぞ」
放課後、いつものように机に突っ伏していた僕へ、隣の席から金髪でつり目の、いかにもガラの悪そうなヤンキー女が不機嫌そうな顔と声で話しかけてきた。金髪は頭頂部から地毛の黒い部分が伸びてきており、いわゆるプリン状態になっていて、それがより一層ヤンキー感を際立たせていた。
彼女の名前は加藤菜々子。合唱練習では僕よりかは幾らかマシだったもののジャイアンリサイタルを披露しクラスを驚愕させ、共に歌下手特別特訓を受けた仲である。
「えぇー」
僕は机で頰を潰しながら返事をした。
「最近お前だらけ過ぎだろっ。授業中もボケーっとしてるしよ。シャンとしろシャンと!」
唐突なる逆ギレは彼女の挨拶のようなものなので特に驚かないのだが、怒鳴り声に耳がキーンとなった。
鼓膜を破壊されてはかなわないので、これ以上彼女が音波攻撃を繰り出す前に、僕はよっこらしょと立ち上がった。そして背筋を伸ばし、
「シャン」
と言った。
「お前バカにしてんのかっ」
何を怒っているのか。もちろんバカにしているに決まってるじゃないか。
彼女は最近、毎週金曜の放課後になるとこうして僕の元へやってきてはカラオケに誘ってくる。それだけなら好意でもあんのかと勘違いしそうなものだが、そうではないことを僕自身が知っているのでトキメキは微量である。
ことの始まりは合唱祭の練習だった。音痴すぎてヤバイ同盟の僕と彼女は休日、カラオケで課題曲を練習して少しでもみんなの足を引っ張らないようにしようという話になった。
そして肝心なのはこのカラオケである。来る日も来る日も猛特訓を重ねていた僕たちは、自分たちがどれくらいのレベルにいるのかを確かめるために、交互に歌って点数採点した訳であるが、結果、バトルしていたわけではないのだが、僕が彼女に点数で勝ってしまったのである。
結果、ムキになった彼女に毎週カラオケに付き合わされることとなった。しかも僕らの点数はよく言うなら拮抗状態、正直に言うのならどんぐりの背比べ状態で勝ったり負けたりの繰り返しだった。
彼女は一度勝っただけでは納得いかないらしく、合唱祭のための練習だったはずのカラオケは、合唱祭が終わった今でも続いているわけである。
きっと彼女が連戦連勝するまで終わらないんだと思う。自分が勝つまでもう一回とか、子供かよ。
もしかして僕と一緒に過ごしたいが為の口実かもと男子特有の自意識過剰な妄想を働かせたのだが、採点点数で負ける度に本気で悔しがり、勝つ度に意気揚々と僕を煽ってくるその様から「ああ、こいつ男女のこととか全然意識してねーな」と気づいてしまった次第である。
別に恋してたとかじゃないけど、それに気づいた時はちょっと悲しくなった。やっぱ彼女欲しいし。
「ごめんちょっとふざけた。」
「ぶん殴りたくなるくらいイラッとさせるふざけ方はちょっとって言わねーよ」
それは君の沸点が常人の100倍くらい低いだけだと思います。なんて正直な感想を言うと彼女の血管がブチ切れそうなので優しい僕は何も言わなかった。
「ごめんごめん。じゃ、行こっか」
「お、おう。お前アレだぞ。行くなら行くで最初からそう言え! 毎回声かけるたびに否定的な反応されるとなんか嫌なのかなぁって心配になるだろうが」
随分可愛らしい理由で怒られた。彼女はヤンキーの癖して実にめんどくさいことを考えていたようだ。
「なんかごめん。カラオケ行くのは結構楽しいよ。歌は下手でも歌うのは結構好きだし。僕と同レベの人ってあんまいないし」
そもそも君と行くまでは誘う友達も誘ってくれる友達も居なかったからカラオケ行ったことなかったし。
「事実でもお前に同レベって言われるとなんかムカつく」
彼女はそんな理不尽なことを言って唇を尖らせた。
「ってお前がふざけるから結構時間経っちまってるじゃねぇか! ほら藤崎、とっとと行くぞ! 夜料金になると値段たけーんだよ」
彼女はスマホを見ると少し慌てた様子で鞄を背負った。
……藤崎。それは僕の苗字だった。少し前まではクラスの誰からも呼ばれることのなかった名前。今ではポツポツだけど、僕をそう呼ぶ人が増えてきた。
以前の僕は教室の背景のように過ごしてて、みんなが僕に対して無関心だったのと同時に、僕もみんなに無関心で。だから人付き合いというものをてんでしてこなかったものだから、苗字を呼ばれるのも、会話をするのも話すのも、なんだか慣れていなくてこっぱずかしい気分になる。
正直にいえば、彼女にカラオケを誘われる度に面倒そうな反応をするのもそのせいだったりするのだ。恥ずかしいので本人には絶対言わないけども。
「おい聴いてんのかよ。」
意識が完全に現実からおさらばしていた僕の腕を、加藤菜々子はくいくいと指でつまんで引っ張った。
「あ、聞いてる聴いてる」
「マジで緩んでんぞお前。大丈夫かよ。車に轢かれんなよ? ほら行くぞ」
生返事をする僕に、加藤菜々子はあきれたようにジトッとした視線を向けて、教室の外に歩いて行く。
僕は彼女に続くようについて行った。絵面としてはヤンキーにシメられに行く陰キャの図の完成である。
クラスメイトとカラオケ……か。
僕の日常は一人を好んでいた以前とは随分と変わった。
他人について考えることを散々サボってきた分のツケで、慣れないことだらけで苦労することも多い。でも、それでも。こうしてクラスメイトとくだらない会話をしたりする今の日常が、何もなかった以前の日常よりも僕はずっとずっと気に入っている。
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