朝。目が覚めたテルミットはギョッとした。
寝る前にカーテンを開けたままにしていたらしい。朝の日差しが部屋に差し込んでいた。
エレナに救われたこの命。自分のうっかりで落としてしまっては合わせる顔がない。
壁伝いに歩き、慎重にカーテンを締めて安全を確保する。これで安全は保たれた。
普段着に着替えると、エレナを起こしに行くことにした。
騎士たちとの戦いで、エレナは失明してしまった。2週間程度で治るとのことだったが、それまでは不便な生活を余儀なくされる。
そこでテルミットはエレナの生活をサポートすることを申し出たのだ。
エレナの部屋までたどり着くと、まずはノック。
「エレナさん、起きてますか」
返事はない。再度声をかけるも、返事がなかったため、突入することにした。
部屋の中は片付いており、机やクローゼットなどの必要な家具が置かれているだけだ。装飾された屋敷の様子とは違い、実用的なところがまたエレナらしい。
布団を被り、穏やかに寝息を立てるエレナに罪悪感を感じつつ、肩を揺さぶる。
「エレナさん、起きてください。もう朝ですよ」
「んぅ……」
目を擦り、エレナが身体を起こした姿を見て、テルミットは目を丸くした。
雪のように白い肌。すらりと華奢な身体に、小ぶりながらも形のいい胸からは桃色の物体が顔を覗かせている。
エレナは一糸纏わぬ姿をしていた。
「な、な、な、なんで何も着ていないんですか!?」
テルミットの叫びで目が覚めたのか、主が眠たそうに目を擦る。
「おはよう、テル」
「おはようございます……じゃなくて!」
エレナのペースに巻き込まれ、つい挨拶を返してしまう。
「テルが起こしてくれるなんて、今日は素敵な日だね」
ほにゃ、と顔を崩しながら、普段より無防備な笑みを見せてくれる。
思わず見惚れてしまいそうになり、慌てて頭を振る。
テルミットが騒ぎ立てたおかげで完全に目が覚めたのか、いつもの飄々とした様子で答える。
「ボクは生まれたままの姿で寝る主義なんだ」
「と、とにかく服を着てください!」
エレナを視界に入れないように、明後日の方向を向く。
「何を言ってるんだい。目の見えないボクを助けるのが、テルの役目なんじゃないか」
テルミットの背後から、布の擦れる音が聞こえる。布団から出ているのだろうが、その生々しい音に、無意識に生唾を飲み込んでしまう。
「最初の仕事だよ。服を着せておくれ」
両腕を広げ、惜しげもなくその美しい肢体を晒す。
起伏の乏しく、なだらかな身体。しかし、まったくの平らというわけではない。僅かな膨らみや慎ましやかなくびれが、エレナが一人前の女性であると主張している。
思わず、その一つ一つに目を奪われてしまう。
「……テル?」
エレナが不安そうに声を漏らす。
「そこにいるんだよね?」
「は、はい!」
声が裏返りながら、慌てて返事をする。
テルミットは己の失態を恥じた。今のエレナは目が見えないのだ。人一倍寂しがりな彼女を、一人暗闇の中に放っておくなんて、自分はなんと愚かなのだろう。
失敗を挽回すべく、エレナの衣装棚に手をかける。
「着替えですよね。どんな服が着たいですか?」
「まずは下着が欲しいな」
そうきたか。顔が熱くなる。我慢。
今は己の仕事をまっとうすることを優先しよう。決してヘンなことを考えてはならない。
意識を集中させ、煩悩を追い払う。
「どんな下着がいいですか?」
「テルの好きな色はなんだい?」
「青ですね」
それが何か? と言おうとしたところで、エレナから思いも寄らないことを告げられた。
「それじゃあ、青い下着が欲しいな」
テルミットの顔がさらに熱くなった。
(な、な、な……)
声にならない叫びが漏れる。
それでも、自分の役目はこなさなくてはならない。
引き出しを開け、下着を漁る。柔らかくて、手触りが良くて、目に毒な海の中から、どうにか目当ての品を探し当てる。
几帳面なエレナらしく、すぐに上下セットで発見することができた。
「どうぞ」
王に品物を献上する従者のように、恭しく差し出す。
「テルが着せてほしいな」
「えっ!?」
「始めに言ったじゃないか。服を着せておくれ、とね」
「で、でも」
テルミットがエレナの身体に視線を落とす。
テルミットが服を着せるということは、当然その身体に触れなくてはならないわけで、いろいろと問題がある気がする。
テルミットの視線を察したのか、エレナが先回りして答える。
「ボクがお願いしてるんだ。それくらい構わないよ」
なんてことのないように許可を出すエレナ。
それでも、着替えの手伝いという大義名分があるとはいえ、女性の身体に触れてしまうことには慎重になってしまう。
それが大切な人が相手ならば、なおのことだ。
「その、女性に服を着せるのは初めてなので、加減がわからないといいますか、自信がないといいますか……。第一服の構造だって、よくわかりませんし……」
「いい機会じゃないか。手伝いは今日だけじゃないんだ。早めに慣れてしまおうじゃないか」
テルミットの反対をあっさりとひっくり返す。
「それに、ここで練習をしておくと、後々役に立つと思うけどね」
女性に服を着せることが役に立つことなどあるのだろうか。テルミットが首を傾げた。
「どういうことですか?」
「女性の服を脱がせる時に、着せ方がわかった方が参考になるだろう?」
「な、ななな何を言ってるんですか!」
テルミットの声が裏返った。それは、つまり……。
テルミットの想像が正しければ、男女の行為のことを言ってるのではないだろうか。
エレナの世話をするということは、そういうことも含まれているのか。テルミットの中で期待が膨らんでいく。
頭から湯気が上がりそうになっているテルミットを見て、エレナが勝ち誇ったようにくすくす笑った。
「おや、ボクはお風呂に入れてもらう時のことを言ってたんだけど、テルは何を想像していたんだい?」
自分がからかわれていたことに気づき、テルミットは顔を真っ赤にした。
結局、着替えを終えるだけで1時間もかかってしまった。
それでも、エレナはテルミットを責めるでもなく、むしろ満足気であった。
手探りで始まったエレナとの二人三脚の生活も、数日が経過する頃には慣れ始めていた。
とはいえ、まったくの順風満帆だったわけではない。エレナを寝かしつけたはずが、彼女の部屋で一夜を過ごしてしまったり、段差に躓いたエレナがテルミットを押し倒してしまったりと、何かとトラブルは絶えなかった。
それでも、テルミットとしては悪い気はしていなかった。
エレナに頼られるというのも嬉しいし、彼女の力になれることにも喜びを感じていた。
皿を洗いながら、鼻歌を口ずさむ。
「ずいぶんとご機嫌じゃないか」
背後からエレナの声がした。食堂に座っていたはずだが、いつの間にか近くまで来ていたようだ。
「エレナさんのサポートをするのも、ずいぶんと慣れてきたなぁ、と思いまして」
「僕もテルの助けがなくては生きられない身体にされてしまったよ。……なんだったら、目が治ってからもずっとお願いしたいくらいだね」
「えっ!?」
「もちろん冗談だけどね」
「エレナさん〜」
情けない声を出すテルミットを、くすくす笑う。
洗い終わった皿を、次々と棚に収納していく。
その時だった。
「あっ!」
収納しようとした皿が、テルミットの手から溢れ落ち落下する。直撃を覚悟したテルミットが目を瞑る。
「危ないっ!」
咄嗟に、エレナは視覚を共有していた使い魔を操作した。
エレナの使い魔となったネズミが駆ける。風のように駆け抜けると、テルミットの顔に当たる刹那、皿を受け止めることに成功した。
ほっとエレナが息をつく。
「ケガはなかったかい?」
「は、はい……。今のは……?」
未だに状況を掴めていないようで、テルミットが辺りを見回す。
「あれはボクの使い魔だ」
「使い魔?」
疑問を浮かべるテルミットに、エレナはハッとした。
そういえば、眷属にしたというのに、使い魔の話はまるでしていなかったではないか。
エレナは使い魔のことについて話した。日中の行動が制限される吸血鬼にとって、非常に便利な能力であること。視界の共有ができることなど。
はじめは感心していたテルミットが、やがて申し訳無さそうに口を開いた。
「あの、エレナさん。助けてもらっておいて、こんなことを言うのもアレなんですけど、使い魔の視覚を共有できるなら、僕の助けはいらなかったんじゃないですか?」
エレナの顔が引きつる。
言い訳ができないと悟ったのか、両手を上げて降参のポーズを取った。
「……たしかに、テルの言った通り、使い魔がいたから、テルの助けなしでも生活に支障はなかったよ。 でも、ボクはテルの命の恩人だよ? これくらいのワガママを言っても、許されると思うけどな」
唇を尖らせるエレナに、慌ててフォローする。
「すみません。責めようと思っているわけじゃないんですよ。その、僕だって、エレナさんに頼られるのは嬉しいですから」
「奇遇だね。ボクもテルに頼られるのは嬉しいよ」
「おそろいですね」
エレナがくすりと笑うと、釣られてテルミットも笑いだした。
エレナの目が完治するまで、まだ時間がある。
それまでの間、引き続きエレナの策略に乗ることにした。
いつか治るその日が、少しだけ遅れることを祈りながら。
ここまでご覧頂きありがとうございます。
この作品が面白いと思った方は、ブクマや評価をよろしくお願いします。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!