エレナの手を引いて、屋敷のエントランスにやってくる。二階まで吹き抜けになっており、この屋敷で最も天井の高い場所だ。
儀式の内容はわからないが、狭い場所では感じが出ないということなのだろうか。
「それで、儀式っていうのは、何をすればいいんですか?」
「ボクが祝詞を唱えるから、テルはそれを誓えばいい」
思ったよりも簡単そうだ。テルミットが頷く。
「そして、ボクの口の中に血を含ませるから、テルはボクにキスをしてくれ」
「え!? キ、キスですか!?」
思わずすっとんきょうな声を上げるテルミット。
「何かおかしいかい?」
「いや、その、恥ずかしいというか……」
「町へ行く時には、髪にキスをしてくれたじゃないか」
「うっ、それはそうですけど……」
「ボクが止めるまで6回もキスしてくれちゃって……。てっきり、テルはキス魔なのかと思ったんだけどね」
「ちちち違いますよ!」
顔を真っ赤にして否定する。
「その、髪にキスするのと、口にするのじゃ、違うじゃないですか」
「どちらも身体の一部に違いないよ」
「僕には違うんです!」
必死になって抵抗するテルミット。
「……口と口でキスするなんて、その、好き合っている者同士がするべきといいいますか、将来を誓い合った人がするべきといいますか……」
「テルはボクのことがキライかい?」
「いえいえいえ! そんなことはありませんよ! どちらかと言えば…………はい、好きなのではないかと……」
「ボクもテルが好きだよ。これで問題はないね?」
エレナの暴論に言いくるめられそうになる。泣きそうな声になりながら、エレナに訴えた。
「それに、僕は、その……そういう経験したことないんですよ」
「おや、テルの初めてが貰えるのか。これは光栄だね」
エレナが言うと違う意味に聞こえてしまう。狼狽えるテルミットをニヤニヤしながら眺める。
「だから、その……うまくできる自信がないといいますか」
次第に声が小さくなっていく。
「その、エレナさんにヘタだとか思われたくないですし……」
ぼそりと呟くテルミットが可笑しくて、思わず苦笑するエレナ。
「わ、笑うことないじゃないですか!」
「ごめんごめん。でも、誰だって最初は初めてなんだ。その“初めて”を乗り越えて経験を積んでいくものなんだよ。テルにとっての初めては、まさに今来た。それだけのことなんだ」
「でも……」
まだ納得がいかないのか、テルミットが口ごもる。
「……そんなに不安なら、一度練習しておくかい?」
エレナが瞳を閉じて、ねだるように唇を差し出す。
思わず桃色の唇に目を奪われる。柔らかそうで、触れたらとても気持ち良さそうで、何よりそれはエレナの━━
危うく吸い込まれそうになるも、ギリギリのところで踏みとどまることに成功した。
「……練習も何もありませんよ。こういうのは一回一回が本番なんですから」
「おや、言うようになったじゃないか。それじゃあ、本番は期待させてもらうよ」
なし崩し的にキスをすることを認めてしまった気がするが、どのみち儀式をしなくては眷属になれないのだ。早いか遅いかの違いでしかないのだ。そうテルミットは自分を納得させることした。
「始祖ルミナスの御名において、新たな同胞が生まれることを、ここに宣言する」
エレナが祝詞を唱えると、眷属の儀式が始まった。古語が多く、テルミットには半分も理解できなかったが、それ以上に月明かりに照らされた彼女に目を奪われて、何を言われても頭に入っていなかった。
「汝、テルミットはエレオノーラ・レインブラッドの眷属となり、その手足となり、終生その血に誇りを持ち続けることを誓うものとする」
「…………」
「……テル」
エレナが小声でテルミットに促す。
「は、はい。誓います」
危うく自分のするべきことを忘れそうになった。
テルミットの様子がおかしかったのか、エレナが頬を緩ませた。
祝詞はすべて終えたのか、エレナが目を瞑って顔を持ち上げる。
あとは彼女にキスをするだけだ。緊張のあまり震える手で肩を掴み、彼女の身体を抱き寄せる。
桃色の、それでいて柔らかそうな唇に吸い寄せられそうになる。が、最期の一歩が踏み出せない。
(何をためらっているんだ、僕は!)
瞳を閉じて、再びエレナを抱き寄せる。今度は抵抗はしない。吸い寄せられるがままに、本能に任せて彼女を求める。
唇を触れさせると、エレナの血液の味がした。
吸血鬼になったせいだろうか。その味が、今まで食べたどんな料理よりも美味しく感じられた。甘く、テルミットを狂わせる香りが脳を焦がす。
一度は唇を離すも、またまだ足りない。間髪入れず、再びエレナの唇を合わせる。
「っ!?」
エレナもこの不意討ちは想定していなかったのか、目を白黒させた。それでも嫌がる様子はないので、エレナの唇を貪る。
お互いに求めるように唇を重ね、やがて息が苦しくなってテルミットは唇を離した。
荒く乱れる呼吸。エレナも息がきれたようで、肩で息をしている。二人の間には、艶かしくも光の橋が架かっていた。
空気が足りると、今度はエレナが足りない。再びエレナを求めて唇を重ねる。貪るように。情熱的に。
エレナの方も抵抗する素振りは見せず、なすがままに口内を蹂躙されている。
まるで素潜りをしているかのように、息継ぎをしては、エレナの中に潜っていく。
やがて、7度目のキスをして、唇を離すとエレナの様子がおかしかった。
「エレナさん?」
肩が震えている。さすがに、調子に乗りすぎてしまったかもしれない。
「す、すみません、僕……」
「2度も……」
「えっ!?」
「2度も、永遠を誓う必要なんてないんだよっ……!」
エレナの中で何かが溢れたように、テルミットに抱きついた。いつもの飄々としていた彼女が、今はまるで年相応の少女のように泣きわめいている。
彼女を安心させるべく、彼女の背中を抱き締める。
テルミットに抱かれて、小さな背中が震える。
この小さな背中に、いったいどれほどの苦難や困難を背負ってきたのだろうか。
風呂場で自分の劣等感を吐露した際、エレナは受け入れてくれると言った。その上で、側にいてほしいと。
そうしたことがあって、今のテルミットは立ち直れている。
彼女のようにうまくはできないかもしれない。それでも、彼女からしてもらったことと同じことをしてあげたい。彼女からもらった、この温かな気持ちを分けてあげたいと思った。
「すまない。見苦しいところを見せてしまったね」
恥ずかしそうにエレナが微笑む。
すっかり落ち着きを取り戻したようで、今はテルミットの腕の中で小さくなっていた。
「見苦しいなんて思いませんよ。そんなこと言ったら、僕なんてもっとひどいところを見られてますから」
「そうだったね」
エレナがくすりと笑った。
やがて、エレナがポツリと口を開いた。
吸血鬼の間では、キスは特別な意味を持つ。キスをする場所や回数によって、その意味は変わる。
以前、エレナが髪にキスをさせていたのもその一つだ。
そして、7という数字は、吸血鬼にとって完全や永遠を意味している。本来は永遠の愛を誓う時なんかに使われるが、眷属の儀式ではその意味合いが少し変化する。
「7度のキスを眷属の儀式でするというのは、『何度生まれ変わっても、あなたの側にいます』という意味になるんだ」
「え? で、でも、2度もっていうのは……? 7回キスをしたのは、これが初めてですよ?」
「テルの前世は、ボクの眷属だったんだ」
「えっ!?」
エレナの言葉に困惑する。しかし、テルミットの中で何かが腑に落ちのを感じた。
自分がエレナに惹かれるのも、彼女に好意を抱いてしまうのも、彼女の魅了に抗えないのも、すべて前世から彼女の虜になっていたとすれば説明がつく。
気を失ってから。正確には、エレナの眷属となってから、自分の知らない人物の夢を見たのは、偶然ではないのかもしれない。
今にして思えば、あれが前世の記憶だったのだろう。
そして、なぜエレナが人間を嫌うのか。なぜ人間嫌いのエレナがテルミットを受け入れたのか。その意味がようやくわかった。
エレナは最初からテルミットの前世が自分の眷属だと気づいていたのだ。
テルミットの中で、いくつもの謎が氷解していく。
「それじゃあ、僕は……」
「ちゃんと約束を守ってくれたよ。テル……」
エレナがテルミットの胸に顔を押しつけた。
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