あれから、テルミットは買い出しという名目で何度も町を訪れていた。
エレナ曰く、「作物は魔法で作れるが、肉や加工品は町でないと手に入らないから」とのことだ。
それならば、なぜあんな不便な山奥に住んでいるのだろう。本人も不便だと自覚しているのなら、なおのことだ。
今度折を見て聞いておくとしよう。
冒険者ギルドで薬草を納品し、当座の資金を手にいれる。
これもエレナが魔法で大量に栽培したものを売っているだけなので、大した苦労はない。
野山を駆け回り、自分一人で薬草を集めていたのがひどく昔のことのように感じられた。
銀貨の詰まった袋を抱え、ホクホク顔でギルドを出ようとすると、見慣れない女性に呼び止められた。
綺麗な赤毛に、大きく空いた胸元。整った顔立ちをしており、異性からの人気がありそうだ。全体的に活発そうな雰囲気で、エレナとは別の方向性で綺麗な女性だと感じた。
「ねえ、きみ冒険者なんでしょ?」
「そうですけど?」
隠す理由もないので、素直に明かす。
女性は目を輝かせて、テルミットの手をとった。
「やっぱり! そうじゃないかと思ったの! あなた、名前は?」
「テルミット」
「テルミットね! わたしはライラ。よろしくね」
「はぁ」
エレナに出会う前であれば、もっと緊張していたのだろうが、今は不思議と冷静でいられた。
おそらく、エレナの美しさの方が圧倒的に勝っているからだろうか。
「ねぇ、テルミット。一緒に町を歩かない?」
「いいですよ」
明らかな逆ナンだが、テルミットはこれを承諾した。
どうせ一人で買い出しを行おうと思っていたのだ。そのついでに歩くだけなら、何も問題はあるまい。
テルミットが歩き出そうとすると、ライラが腕を絡ませた。
「ら、ライラさん!?」
「えへへ、テルミットはこっちの方が嬉しいでしょ?」
嬉しくないと言えば嘘になる。エレナと違い、女性らしさを感じるたわわに実った胸が腕に押し付けられ、鼓動が早くなる。
「それじゃあ、いきましょ?」
ライラがテルミットの手を引っ張っる。
ライラが連れてきたのは、テルミットが以前エレナへのプレゼントを買うために訪れた宝飾品店だった。
「ね、これなんか素敵じゃない?」
ライラが十字架の彫刻が施されたイヤリングを見せてきた。
エレナが身につけたところを想像してみる。似合ってはいるが、十字架がモチーフのものは以前あげたので、今回は別のものを選びたい。
「うーん、他にはないですか?」
「じゃあ、これなんかどう?」
ライラが見せたのは、赤い宝石を天使を抱いているのをモチーフにしたイヤリングだった。
意匠が凝っているだけに、なかなかに値が張りそうだ。
エレナが身につけたところを想像してみる。銀色になびく髪から覗く、赤い宝石と天使。悪くない。いや、すごくいい。
「いいですね! じゃあそれにしましょうか」
「ありがとう! あなたってすごく優しいのね!」
「? 何でライラさんがお礼を言うんですか? お礼を言いたいのは、こっちの方ですよ」
ライラの頭に疑問符が浮かんだ。一瞬、テルミットの言っている言葉が理解できなかった。どこかで変な歯車が噛み合ってしまったような気持ち悪さ。
確認の意味も込めてテルミットに尋ねる。
「だってそれ、わたしに買ってくれたんでしょ?」
「いえ、違いますけど?」
「じゃあ、まさか自分用? これは女性物よ?」
「彼女にプレゼントするんです」
堂々と宣言するテルミットに、ライラの顔が一瞬歪んだ。
「……彼女がいたの?」
「……いちゃ悪いですか?」
厳密には彼女ではないのだが、同棲しているし、一緒に風呂に入っている。エレナもきっと好意を寄せてくれている。彼女と言っても差し支えないだろう。
「そんな彼女より、わたしといる方が楽しいと思うな~」
ライラが挑発的に胸元を持ち上げる。エレナのものとは違い、たわわに実ったそれは実に凶悪で、男を狂わせるのに十分な魅力を持っていた。
だが、大事なところはそこではない。テルミットが毅然と言い放つ。
「あなたにエレナさんの何がわかるって言うんですか。少なくとも、エレナさんの方が100倍素晴らしい女性です。性格も見た目も」
断られると思っていなかったのか、ライラが唖然とする。
「そもそも、僕らはまだ出会ったばかりですし、プレゼントを贈るほど仲良くなっていませんよね?」
自分の誘惑に乗らないどころか、自分の最大の武器を前に毅然と言い放つテルミットに、ライラのプライドはズタズタに切り裂かれた。
プルプルとライラの顔が赤くなる。
「もう、あんたのことなんか知らない!」
捨て台詞を残して、ライラは店を出ていった。
「なんだったんだ……」
後に残されたテルミットが呆然と立ち尽くした。
店のカウンターから、パチパチと拍手が聞こえた。
「よく言ったな、坊主」
店主が心底愉快そうに手を叩く。
どういうことなのか、理解が追いつかない。店主に尋ねると、答えにくそうに言った。
「ライラは金を持ってる冒険者にたかって高価なものを買わせようとするんだ。坊主みたいな若いのは、すぐにコロッと騙されちまう。あまりに気の毒なんで忠告してやりたいんだが、俺も商売柄なかなか言えなくてなぁ」
店主が手でお金のサインを出した。店主の言うとおり、いつもこの店で高価なものを買わせようとするのなら、いい客に違いないのだろうが、同じ男としては同情していたのだろう。同性としてのよしみか、店の利益か、難しい立場に立たされていたに違いない。
「だが安心したぜ。坊主にはよっぽどいい彼女がいるみたいだな」
テルミットが照れくさそうに頭をかいた。
「とても素敵な人ですよ」
「今度は二人で来てくれや。サービスするぜ」
「はい!」
店を出ると、買い出しで頼まれていた物を購入する。保存の効く塩漬け肉にチーズ。酒を買ってくるようにも頼まれていた。
ガルドと飲んだ時は時間がなかったので味わって飲めなかったが、今度はエレナと飲むのだ。そう考えただけで、自然と足取りが弾む。
酒屋にやってくると、一番大きな樽で購入する。
テルミットが担いで持っていこうとすると、慌てて店主が止めた。
「おいおい、そのまま持ってくのか? 馬とか連れてきてないのか?」
店主の心配を余所に、テルミットがにこやかに答える。
「大丈夫です。鍛えてますから」
「いやいや、鍛えてるとかいう話じゃねぇぞ。待ってろ、今馬を用意してやるから」
「お気遣いなく」
店主が止めるのも聞かず、テルミットは店を出た。エレナへのお土産や食料品はあらかた購入して、残ったお金もすべて酒に変わった。あとはエレナの元へ帰るだけだ。
帰って来たテルミットを笑顔で迎えようとしたエレナの顔がひきつった。
「……その樽はなんだい?」
「お酒です」
店でも始めるのかという量の酒に、さすがのエレナも動揺を隠せない。
「……キミはどれだけ飲む気なんだ」
置かれた酒樽をまじまじと眺める。中身を空にすれば、エレナがすっぽりと入れそうなくらいには大きい。
「これだけ買えば、しばらくの間買いに行かなくても済むかなと」
「だからって限度というものが……」
言いかけたところで、エレナの言葉が止まった。何かに気づいた様子のエレナが、しきりにテルミットの服に鼻を押し付ける。
「え、エレナさん!?」
思わずすっとんきょうな声をあげてしまう。エレナの鼻がくすぐったいやら、恥ずかしいやら。
「……他の女の匂いがする」
テルミットも自分の服の匂いを確かめてみる。たしかに、自分の体臭の他に、甘い匂いがした。
心当たりはある。おそらくライラの匂いだ。腕に胸を押しつけられた際に、匂いが移ったのだろう。
「弁解があるなら聞こうじゃないか」
言葉こそ丁寧だが、鬼気迫る様子でテルミットに詰め寄る。
テルミットは今日起きたことを話した。
納得した様子でうなずくエレナ。
「なるほどね。でも、キミの身体から他の女の匂いがするのは我慢ならないな」
挑発的にテルミットの身体に、自分の身体を擦りつける。
「え、エレナさん!?」
テルミットの鼓動が早くなる。銀色の髪から、ふわりといい匂いが漂った。
いつかの記憶が蘇る。ネックレスをつけるためとかこつけて、エレナを抱き締めた時のことを。力を入れただけで折れてしまいそうなほど細い身体なのに、柔らかくていい匂いがして、とても幸せな気分になってしまった、あの甘美な体験を。
目の前に差し出された禁断の果実に、理性が流されそうになる。
テルミットが思わず手を伸ばしたところで、エレナが離れた。
「え、エレナさん?」
「……まずは、テルの身体についた女狐の匂いを落としておかなきゃね。ボクの匂いをつけるのは、それからでも遅くはないだろう?」
「は、はい。そうですね」
その返答は自分がエレナのものだと認めるようなものだったが、そんなことはどうでもいいのだ。
すでにテルミットは心から彼女に魅了されてしまっているのだから。
時は少し遡る。テルミットが酒屋を出るのを、目撃している人間がいた。
綺麗な赤毛に、大きく空いた胸元から見える豊満な胸。ライラだ。
テルミットに自分のプライドを傷つけられた彼女は、このまま引き下がるわけにはいかなかった。
数多の若き冒険者を落としてきた彼女にとって、テルミットを落とせなかったことは、ただ一つの汚点だったからだ。
酒樽を抱えて帰路につくテルミットを、遠目から眺める。
自分のプライドを傷つけたテルミットもそうだが、自分よりも美しいという彼女の存在も気に入らない。たしか、名前はエレナとか言っていただろうか。
自分よりも美しいと言わしめる、彼女もただでは済まさない。
これでも冒険者には顔が広い。どんな汚れ仕事も引き受ける冒険者にも心当たりはある。
さて、愛しの彼女が欲望をもて余したならず者の慰みものになっていたら、あの男はどんな顔をするだろうか。
今から楽しみだ。
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