◆二〇〇三年 四月一日 叶市 普中駅
春も半ばの四月一日。
漢詩によれば朝を迎えたことにも気付かぬ程の熟睡をもたらす季節であり、カレンダーの絵のイメージと違って実は桜の花が結構散っている月であり、私たち学生にとっては新生活が始まる日である。
もう慣れたと言っても良い、満員の通勤・通学電車を降りて振り返ると、駅のホームには同じ制服を着た学生が沢山見えた。
改札までの最短ルートのドア位置を覚えた私こと等々力ひなたは、新入生らしき集団を背にさくさくと階段をのぼる。
学年が一つ上がったからといって何が変わるわけでもない。
そんなルーチンワークの日常から少しでも抜け出したくて、今日も私は駅から高校までの道のりを変えてみる。
「今日は始業式だから時間に余裕あるし、反対側の出口から行ってみようかな」
いつもは北口から出るところを駅の南口から出て、大きく回り込むことにした。
やはりというか当然というか、南口に学生の姿は少ない。せいぜいが自転車通学勢で、電車利用でこちらに降りてくるような人間は私だけだった。
北側から来ようとすると踏切か駅を越えなければならない。だから利用者も少ないのだろう、買い食いできるようなコンビニも見当たらない。その代わりスーパーや郵便局といった、ここを生活圏とする住民向けと思われる建物がいくつかあった。
「自分の背中は見えない…って感じね。一年間使った駅だけど全然知らなかった」
そう分析しながら、見慣れぬ道を進んでいく。
「なんでわざわざ遠回りを」「等々力さんて変わってるんだね」
この私の行動を皆は不思議がり、変だと評する。
私もそう思う。
でも、変であることを問題に感じたことは無い。
むしろ同じ日々を繰り返して当たり前に慣れていく――退屈な日常に染まるよりずっと良いとさえ思っている。
本当はもっと強烈な、他の誰も持っていない、私だけのオリジナルと呼べるような何かがあれば良かったんだけど。
無いものねだりをしても仕方がない。
足りないと嘆くくらいなら貪欲に探しに行くのが私流だ。
自分以外にする人間がいないことをやる。
どんなに小さなことでも構わない。
例えば今のように、同級生の通らない通学路を開拓するとか。
そうやって普通じゃないことを重ねていれば、やがてその行動原理は誰のものでもない、私だけのものとなるに違いない。
とにかく、私は他人と同じになることを良しとしなかった。
だというのに。
「………」
「あっちゃー…。なんてこと、まさかこんな道を使う人がいたなんて」
歩き出して五分と経たずにその目論見は外れる。
住宅街の十字路でばったり会ってしまった。
しかも、私と同じ香美栖高校の男子生徒だった。
天を仰ぎ額に手を当てる私をつまらなそうに一瞥すると、彼は何も見なかったかのようにスタスタと歩き始める。
「あ。ちょ、待ってよ。どうしてあなた、こんな所を歩いてるの」
「………」
我ながら物凄く自分を棚上げした質問をしているとは思うけど、これはどうしても訊いておきたい。
彼にとっての当たり前がこの道なのか、それとも彼もいつもと違うことをしてみたくてこの道を選んだのか――すなわち、行動原理が私と同じなのかどうかを。
「ねえ、聞いてる?」
「……」
背丈は私より少し高いくらいで男子としては高くないはずなのに、大股で歩くからペースが早い。
私を避けようとしているのかこっちを全く見ないし、しかも歩くスピード上げたわね、今!?
「ちょっと!無視しないでよ!流石にひどくないかしら!?」
我慢ならずに彼の正面まで回り込み、両手を広げて足止めする。
「――――――」
ここで思わず息を呑んだのは、私の方だった。
彼の貌つきが、想像していたよりも可愛いものだったから。
男子なのに骨ばっていなくて、童顔というか、まるで女の子みたい。でも気だるげな目や嫌そうに寄せられた眉根、不満そうな口元といった表情は間違いなく男子高校生らしさあふれるものだ。
「…通学路」
「へ?」
「普通に。この道、通学路なんだけど」
「あ…あぁー、さっきの答えね、あそうなんだ通学路かー」
物凄く不機嫌に回答された。
睨むようなその目は私に「早くどけ」と主張している。
「でも学校行くには遠回りじゃない?あっちの方から来たよね、ええっと…」
「……ハァ。別谷」
「ありがと。私、等々力。でさ、ワケタニくんの来た方向からなら、真っ直ぐ北に進んだ方が近いと思うんだけど」
ワケタニ…どこかで聞いたような?
無言の訴えに構わず話し続ける私に、異郷の先住民でも見るような顔でドン引くワケタニくん。残念だったわね、言葉にされていない意見は意見として採用しないことにしてるの、私。
「近い道を行かなきゃいけない決まりでもあんのか?」
「全然!好きな道順で良いと思う。でも、だからこそ今の道を選んだ理由が気になるわ」
「何だって良いだろ。特に、今会ったばかりのアンタに教える義理は無い」
そう言って再び歩き出す。
気持ちさっきより早い、早歩き二歩手前くらいの速さの歩みに私も追い縋る。
「人の出会いなんて最初はいつだって突然でしょ。今朝を境に私たち、親友になるかも」
「ハ、それはあり得ないな。オレとアンタはこれが最初で最後だ」
「あー、さては明日からルート変えるつもりだな?」
「…………」
「じゃあせめて、今日校舎に着くまでは一緒させてよ。それくらいは良いでしょ?」
「…勝手にしてくれ」
そう言ったきり、彼と私は特に何を喋るでもなく歩き続けた。
他人と同じになることを、普通に染まることを嫌う私だけど。
この男子高校生との同道は不思議と悪い気はしなかった。
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