「貴女は神様に選ばれた。貴女には、神様と交信してその意思を人々に伝える巫女になる資格が与えられた。それが神宿りの力であり、世の中では病魔と呼ばれているものの正体よ」
廃ビルのいちフロアで蟻高はそんな、説明になっているのかよく分からないことをすらすらと口にする。
城崎が連れて来られたこの廃ビルは元々洒落たマンションだったらしく、一階と二階はホテルのロビーのように吹き抜けになっていた。取り壊す途中なのか所々の壁が貫通していたりするものの、何故か工事作業者は一人もおらず、進入禁止等の看板も無かった。
「ここは私たち神宿り信仰の人間が活動している拠点のひとつ。偶然見つけた割に良い建物だったから、解体作業は中断してもらったの」
さらりと、とんでもないことを言う蟻高。
多くの金と人が動く建築物の解体は、所有者でもない個人の発意で中断できる作業ではない。
それを彼女は実現し、そのうえ私物化していると言う。
すっかり頭の冷えていた城崎は、大変な場所に来てしまったのではと焦り出す。
「――大丈夫?先程から、あまり落ち着かない様子だけど」
「あ…その」
視線を泳がせ、おどおどしながら城崎は、
「さっきはわたしも動転してて、あの、言われるままについて来ちゃったんですけど……」
「あら。それはつまり、考えが変わったということかしら」
言わんとすることを先読みされ、観念したように項垂れる。
「はい…。やっぱりわたし、帰ろうと思います」
「ふぅん」
さして驚くこともなく、蟻高は自然に受け答える。
「帰るって、どこに?」
「え………」
あまりに自然な口調だったため、城崎は一瞬何を聞かれているのか分からなかった。
当たり前のことを訊く人だな、と不思議に思うが、
「それは、もちろんわたしの家に」
「そうなの?私はそこに、貴女の居場所は無いと思うのだけど」
「?何を言って――」
「呆れた。まだ自分があちら側―只の人間側にいると錯覚してるのね。ま、確かに貴女の言う通り、さっきは朦朧としていたみたいだし。もう一度ハッキリ伝えておくわ」
当たり前のことを知らないのはお前の方だ、と蟻高は冷酷に告げる。
「貴女は世間でいう所の、病魔罹患者なのよ」
「…まさかそんな、」
「事実よ。貴女は夜な夜な、発作が起こるたびに出歩いては人を殺して回っている。今夜だって、川辺で人ひとりを跡形も無く粉微塵にしていたじゃない」
「そんな、はずは……」
無い、と言い切ることができない。
諸手が小さく震える。
だって、本当は知っている。
今までに三度、見知らぬ人をこの手に掛けたことを。
「思い出した?」
「………――っ」
分かっていた。
分かっていたことから、目を背けていた。
それを自覚すると同時に、言い知れぬ恐怖心が脳の中心から這い出てくる。
病魔といえば何をしでかすか分からない危険な精神異常。そんな、今までの自分が抱いていた、よく分からないものに対する恐怖。
加えて、そのよく分からない存在に自分自身がなっていた。
この事実を隠し続けることができるだろうか。
もし発覚したら、自分も「施設送り」になるだろうか。
これから先のことを想像し、城崎は一歩も動けなくなってしまう。
「大丈夫よ。だって貴女は独りじゃない」
そんな城崎を抱き寄せて、蟻高は甘く囁く。
人を惑わす魔の如く。
「さっきも言ったでしょう、ここは私たちの活動拠点だって。私たちは神宿り信仰を信じる者。世間が病魔と呼び習わし、迫害してきた少女たちの集団。ここには貴女と同じように未知の力に翻弄された人も大勢いる」
「…そんな組織、聞いたことない」
「そうでしょうね。だって、私たちは誰にも見つけられないもの」
「……?」
顔を上げた城崎は首を傾げる。
「あれ…わたしはこんな場所に一人で何を?」
直前まで誰かの声がしていた気がするのに、それが誰なのか、皆目見当がつかない。
どういうわけか、この一瞬で城崎の意識から蟻高望は完全に欠落していた。
そこへ、
「これが私に宿った力よ」
「ひゃあぁぁっ!?」
背後から首に両腕を絡められ、城崎は甲高い悲鳴を上げる。
蟻高は悪戯っぽく笑う。
「人の意識から外れる力。今の一瞬だけ、貴女から私の存在は消えていたでしょう?」
こくこくと頷く城崎。
「これの応用でね。細かい説明は省くけど、神宿り信仰の活動が認知されないようにしているの」
「だから、誰にも見つけられない?」
「そういうこと。まあ要するに、私も貴女と同じ御業使い―神宿りの巫女候補ってわけ」
独りじゃない。
そう思えたことで、城崎の心は幾分か落ち着きを取り戻した。
「それで…どうかしら」
蟻高は改めて問う。
「貴女も私たち神宿り信仰の仲間にならない?音代」
蟻高自身の力を晒してまで掛けられた誘いの言葉。
そこまでの誠意を見せられた背中越しの優しい声を、断る理由はもう無かった。
「わたしで良ければ…仲間にしてください。蟻高さん」
「ありがとう。それと、私のことは呼び捨てで構わないわ」
それじゃ改めて、と城崎から離れると、
「これからよろしく、音代」
「はい。蟻高」
差し出された手を握る。
その手の温もりに城崎は安堵を覚えた。
「それで…わたしはこれから何をすれば良いんでしょうか」
「うふふ。それはね……」
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