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答えの出ない疑問に思考リソースが割かれると、人は時間の経過が分からなくなる。
別谷くんの身体と精神にまつわる噂話を麻里に聞いてから私は、ずっと彼の一挙手一投足に意識を向けていた。
歩き方、コンビニおにぎりの食べ方、ペットボトルジュースの飲み方、椅子に座る姿勢…。無意識の動作からなら彼の性が読み取れるはず、と私は踏んだのだ。
その結果分かったことは、足先を開いて歩き、口を大きく開けて頬張り、ラッパを吹かすように飲料をあおり、股を開いて座る――彼の見せる振舞いの上では、彼は間違いなく男子であるということだった。
なぜそんなことをしようと思ったか――それは、今日の放課後に各委員の初定例会があるからだ。
風紀委員として活動する以上、彼とのやり取りが発生するのは確実。
そんなときに彼が男なのか女なのか曖昧で話しにくいのは、私が困る。
彼が肉体的にどちらなのかは知らない。知り様がない。
けれど少なくとも、彼自身は己を男と規定して過ごしていることがハッキリと読み取れた。
なら、私は今まで通り、彼を「彼」と認識して接しよう。
そんな決意を知ってか知らずか、別谷くんは私を置いて廊下をずんずんと先へ進む。
「ねぇ、なんでそんなに急ぎ足なの」
「あん?」
教室と昇降口のある本棟と特別教室がある別棟を結ぶ渡り廊下で呼び止められた彼は、
「そんなの、面倒ごとをちゃっちゃと済ませるために決まってるだろ」
なんでかちょっと嬉しそうにそう言った。
「面倒ごとって…委員会のことだよね」
「だったら何だ」
「いや、委員長は去年の二年生…今の三年生がやってるし、委員会が早く終わるかどうかは私たちじゃ決められないでしょ?」
「誰が真面目に定例会やるって言ったよ」
「え、ええっ…!?」
でも今向かってるのは第二特教―特別教室の略称だ―、つまり風紀委員の定例会が開かれる場所で…別谷くんの考えてることが全然分からなかった。
質問には答えたとばかりに彼は再び大股で歩きだす。
それを小走りで追いかける私は、第二特教に着いてすぐ、彼の意図を理解することとなった。
「おやおやこれはこれは!奇天烈、なんとも奇天烈なことね別谷。お前が自ら私の前に現れるなんて、これは明日と言わず今すぐ雪でも振ってきそうだわ」
「ハ、そんな大げさな例えをして良いのか藤堂。ここに来ただけで雪が降るってんなら、オレが二年B組の風紀委員だと言ったら吹雪に包まれることになるぜ」
「なんてこと!風紀と相容れない存在であるお前が!」
「当然立候補じゃねぇぞ。オレがこんな場所に来るハメになったのはコイツのせいだ」
親指で指された私に視線を向ける、日本人形のような髪型の上級生は藤堂灯莉。
一年次最初から風紀委員に属し、マンネリ化激しい持ち物や身だしなみチェック活動を廃止、新たな試みとして二ヵ月に一度だけ所有物のルールを緩和する「リフレッシュ週間」を設けたり、校則を守りながら実現可能なオシャレを告知する校内新聞を掲示するなど斬新な活動を次々提案してきた逸材。
付け加えると昨年二学期からの続投である委員長が、彼女だった。
「等々力です。…えっと、藤堂先輩は以前から別谷くんとお知り合いだったんですか」
「知り合いというか、見慣れた顔というか…。彼が問題行動を起こす度、私は生活指導の先生に同席して、事情の聴取と風紀遵守の大切さを説いていたのよ」
じゃあ、あの噂は。
別谷くんが暴力沙汰を引き起こしたという話は噂じゃなくて、本当だったのか。
私は内心で驚く一方、彼の狙いに気付く。
「ちゃっちゃと済ませるって、まさか」
「藤堂、アンタならオレがどれほど風紀委員に向いてないか分かるだろ。――オレを罷免しろ。元々この女一人の思いつきだ、委員会で総スカンを受けたと言えばクラス連中も納得するさ」
やっぱり。
彼は委員会が始まる前に辞めるつもりだったんだ。
教室でのやりとりを思い出す。
「委員会初日でクビにならなければの話だけどな」
あの言葉は。
自分がふさわしくないことを最もよく知る人が委員会にいることを分かっていたんだ。
「なるほどなるほど、お前が改心して風紀委員の一員になるなんてあり得ないと思っていたけれど、そういう事情だったのね」
校則が女子高生のコスプレをしていると揶揄されるほどに真面目な藤堂先輩は、得心いった様子で頷く。
「私から見ても別谷はウチに向いてないとは思う。が、しかしだ。お前の進言通り罷免してしまう前に、等々力さんが一体どんな思いつきで別谷を推薦したのか聞かせてもらいたいな」
「…その、ですね。彼が風紀を守らせる側に立てば、事後対応じゃなくて未然防止に繋がるんじゃないかと思いまして」
隣に別谷くんがいる手前、興味本位が出発点であることを悟られないよう、努めて論理的に理由を説明する。
「風紀委員は生徒に対して警察官のような位置づけで校則違反を摘発できますが、その活動は基本的に事が起きてからです。また日常的な指導に対しては『校則を守らなかったから何だ』、逆に『守ったらどんなメリットがある』とないがしろにする声も少なからずあります。そこへ別谷境という分かりやすい脅威を置けば、守らなかった場合のペナルティが想像しやすくなるはずです」
「つまり別谷を風紀委員の粛清役に担ぎ出すというわけね。本当に手を下すのではなく、別谷境がやってくるかもしれないと思わせるために」
「彼の存在は抑止力になります。対症療法的だった委員会の活動を変えられると私は思ってます」
どうして私はこんな必死に語っているんだろう。
私自身、別に委員会活動にそこまで興味があるわけじゃないのに。
「良い理想ね。確かに、私たちの究極目標は風紀委員そのものが不要になるほどの自律性を生徒全員が備えることだわ。その足掛かりとして対処から抑止に転換しようという等々力さんの意図は理解できる」
ああ。
藤堂先輩の言葉で、少し分かった。
私は、彼を選んだ理由が好奇心だけじゃないんだと、誰かに承認してほしくて語って、騙っているんだ。
「ただ、そこに別谷を持ってくるのは過激な手段と言わざるを得ないわ。どうあれ彼は過去に風紀と対極の行いをした。彼自身が言うように、向いてないのは事実だ」
「…はい」
「うん。というわけで――今後は別谷も風紀委員として自覚ある行動をするように」
「…はい?」
「なっ!?」
文脈から予想される結論と真逆の答えが提示され、私と別谷くんは揃って頭上に疑問符を浮かべた。
彼の方は感嘆符もついていたけど。
「藤堂お前っ、どういうつもりだよ」
「どうも何も言葉の通りさ。お前の罷免はしないよ」
「でも先輩、さっき別谷くんを起用するのは過激だって…」
「言ったわね。けれど私、保守的な活動って好きじゃないの。新しい風をどんどん吹かせて、もっと良い高校に変えていくのが私の風紀活動よ」
そうだった。
この人は実績のとおり、既存の枠に囚われず行動してきた人だ。
「ホラホラ、君たち以外のクラスはもう全員揃っているんだ。早く教室に入って席につきたまえ」
藤堂先輩に急かされ、私と別谷くんは第二特教へと足を踏み入れる。
委員会活動なんてありきたりで、平凡に染まる行いだという考えに変わりはないけど。
彼が参加する今期の風紀委員会でなら、普通とは無縁な日々が送れそうな気がした。
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