「いやあ、そういう人の心当たりは無いかなぁー…」
「…知らない」
「急いでるんで」
あれから何回だ。
西日で影が紅く染まる雲の数と断られた回数はどっちが多いのか、もう分からないくらい時間が経った。
喫茶店を出てから再び地元民と思しき人間を見つけては訪ね歩いてきたけれど、有力情報どころか誰もマトモに話をしたがらなかった。
誰も彼もがオレの右手に目がいった途端、早く会話を切り上げることに一生懸命になる。
このときばかりは病魔を宿してしまったこの身をうらめしく思う。
歩きながら干していた上着はいつの間にか乾いていたものの、そろそろ学校終わり、仕事終わりで帰宅する人が増えてくる頃合いだろう。そうなると聞き込みしようと呼び止めても、変なキャッチと思われて無視決め込まれるのがオチ。今日はここらが引き際ということか。
「しゃーねえ…最後にもういっぺん、自分の脚で探してから帰るとしますか」
昼に見つけた狩り場級の痕跡は流石にもう無いと信じたいけれど、アレが見落とされるような状況だ。もしかしたら、という線も捨て切れない。
それに、先程から少々気になっていることもある。
駅に向かう人、駅から出てくる人の流れがこれ以上混まないうちにと足早に抜ける。外国人の中には未だにサムライとニンジャが日本にいるんだ!と信じてやまない人がいるそうだが、今のように人混みを縫ってスピードを緩めることなく進めていると、確かに自分が忍の末裔だったかのような気分になる。こんな対人芸当を身に付ける人種は世界広しといえど日本人くらいのものだろう。ベトナムとかは人混みというよりバイク混みだろうし。
などとジャパニーズ・モダン・シノビを気取って人混みを抜け、カラオケボックスと寂れた中華料理屋に挟まれた路地へと吸い込まれる。
一歩踏み込めばそこは別世界。
日中と違って、ほとんど光の差さない路地裏は既に夜の顔になっていた。
奥へ進んで暗さに目が慣れてくると、何もない暗闇だと思っていた場所にも息づくモノがいることが分かる。
裏手にこぼれる残飯に群がる黒い虫(名前は口にしたくないアレ)にそれを食う鼠、この辺りが巡回ルートらしき猫…と集う面子も様変わりだ。
どいつもオレという珍客に気付いてササッと姿を隠すのが、今日はなんだか可笑しく思えてくる。
――いや。
それは少し違う。
虫も鼠も動くモノの気配を感じ取った段階で逃げていたが、猫はきっちりと対象を確認してから逃走を始めた。
そして直前に猫が見ていたのはオレじゃなくて、
「よぉニィちゃん。今日は良い夜だな」
「……」
「梅雨の時期だが雨は降ってないし、真夏みたいに立ってるだけで汗だくになることもない、気持ちのいい空気じゃないか?」
初対面の話題として天気を選ぶセンスはひとまず置いといて。
首と目だけで振り返ると、短パンにピンクのアロハシャツを着た、声のイメージ通り軽薄な見た目のグラサン男が立っていた。
さっきから気になっていた視線の主はコイツか…。
こんな路地裏でわざわざ声を掛けてきた目的は――
「ホントは俺らから誘おうと思ってたんだけどさ。あんたが自分からこんな人目の付かない場所這入っちゃうもんだからビックリしたぜ。なぁ…ネェちゃんよ」
「ああ、そう。性欲吐き出す穴が欲しいのかアンタら。オレがその期待に応えられるとは思えないが」
やんわりとした断りを入れるが、グラサン男とは反対方向から下品な笑いが返ってくる。
「へへっ…シラ切っても無駄さ。その右手の刺青があるってこたぁ、病魔を抱えてる証拠だ。んで、病魔に罹るのは女しかいねぇ」
「本当よく知ってたよなお前。刺青を見つけた兄貴の目もすげぇけど、お前の知識がなけりゃこいつが女だなんて俺はこれっぽっちも気付かなかった」
アロハ野郎の弟分らしい男が二人、奥にいた。
病魔について知ってそうな奴は小柄で、茶色に染めた短髪がヘアワックスでツンツンになっている。もう一人はシャツにジーンズと地味な服装だが、ラグビー選手みたいな筋骨で大柄だ。
つまりこのチンピラ三人は、身体目当てでオレを付け狙っていたらしい。
「女の肉体が欲しけりゃ他にもっと上玉なのがいるだろうに」
「俺らにとって大事なのはそこじゃねぇ。素人は目先の欲を満たそうとするからいかにもエロい女を選びがちだが、気持ち良いのはその瞬間だけだ。事が終わった後は自分がサツのお世話にならないかビクつく羽目になるからな」
だが、と口角を上げて得意げに笑うと、
「病魔に罹った女は頭がトんじまってる。精神いかれた奴がレイプされただ何だとわめこうと病気の再発だと認定されてオシマイだ。俺らは何の後腐れも無く気持ち良くなれるってワケ」
「俺たちじゃなくても善良な市民だって、いつ発狂するか分からねぇような人間は街から隔離しといた方が安心して暮らせるだろ?」
「――ほら、得しかない」
それで、病魔持ちの女がターゲットか。
胸糞悪い解説をどうもありがとう。
チンピラ共はオレが黙っているのをいいことにじりじりと距離を詰めてくるし、どうしたものか。
別に病魔を抱える女たちを養護する信条とか持ってる訳じゃないんだけど。今日は聞き込み捜査が上手いこといかなかったのもあってイライラも溜まってたし。
丁度良い。
今日の色々を発散させてもらうとしよう。
「さ、あっちで楽しいことしようか」
グラサン男がそう言ってオレの肩に手を掛ける。
その手にグッと力が入るのを確認して、オレは脚の全筋肉に踏ん張りを利かせる。
「楽しいことなら、オレにもさせてくれよ」
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