城崎が暴れ出す少し前のこと。
別谷と城崎のいる廃ビルに、上階からの侵入を試みる影が二つあった。
「よし…ここからなら飛び移れるな」
「了解」
小声でそれだけ言うと、隣接するビルの屋上から跳び、手慣れた様子で柔らかく着地する。
体格からして先導する一人は女性、随伴のもう一方は男性であることが辛うじて読み取れるが、どちらも全身真っ黒な装備に身を包んでいるため闇夜の中では仔細を把握することは難しい。
屋上から建物内へと繋がる階段の扉が施錠されていないことを確認し、二人は素早く転がり込んだ。
「こちら神流、内部への侵入に成功。垣崎、『外』の状況を求む」
『…作戦行動中はコードでお呼びくださいボス。外は開始時より変化なく、人っ子一人おりません。もし現れたとしても、我々の醸し出す怖い人オーラで近寄ることは無いでしょう』
「またヤクザのコスプレか。いい加減本業の方々に怒られそうで気が進まないんだが」
『その時は我々の本業を見せれば良いんですよ。彼らとて、我々と無暗に諍いを起こしたくはないでしょうし』
「ふむ……それはそうだな」
『ですのでボス。こちらのことは気にせずやってください』
「感謝する」
無線を切り、床を指差す神流。
随伴の部下に向けた「下へ降りる」のハンドサインだ。
使用されなくなって長い建物だからだろう、床材が崩れて穴が空いている部分もあった。彼らは主に階段を、ときにそういった崩落部を利用して降りていく。
四つほど下ると、そこは吹き抜け構造になったエントランスホールだった。神流たちは地上三階にあたる層の、内周に沿った形の廊下から吹き抜けの底を見やる。
そこにいたのは隅で蹲る白髪の少女と、その眼前に立つ少年―のような佇まいの少女の二人。
「何か話しているようですね。あの白髪が、今回の標的ですか」
「ああ。城崎音代…同時多発行方不明者の一人で姫毘乃女子の三年生。抱える病魔の特性から、奴が件の爆殺事件の犯人と目されている」
「で、それを彼が捕縛する、と。我々はそのサポートという訳ですね」
彼が長大な装備を背負い直しながら言うのを神流は訂正する。
「サポートというか、アタシらの役割はあくまで保険だぞ?お前が背負ってるソレにしたって、弾丸は二発しか用意されてないんだ」
「に、二発だけ?いえ、狙撃という手段である以上、一度にそう多量の弾丸を使用する可能性は低い…にしても少なすぎませんか」
「今回は相手の脅威度を鑑みて対病魔用装備の申請をしておいた。だからその弾はいつものゴム弾じゃなくて、打ち込めば三分で昏倒する睡眠薬が仕込まれた特注品。量産品じゃないから数が調達できなかったんだろう」
「なるほど…しかしそんな弾丸があるなら、わざわざ『彼』が危険を冒して相対する必要はあるんでしょうか。我々もこうして対象の補足に成功しているわけですし、気付かれる前に狙撃すれば」
「――城崎の身柄確保はできる。それは正しい」
部下の言わんとしていることを肯定しつつ、
「だがその後、城崎がどんな扱いを受けることになるか知っているか」
「…容疑が固まれば検察に引き渡されて、司法の場にて裁判を受けるのでは」
「判決を下された後だ」
「量刑なら刑務所に収監されると思います」
「そこが、違う。病魔を宿している場合は刑務所でなく隔離病棟に収容され、治療という名目で病魔の現象解明の研究に被検体として参加させられることになる。…アレは、刑務所暮らしが楽園に思えるくらいの仕打ちだよ」
その惨状を見てきたかのように語る神流の表情は、フルフェイスマスクの上からでも曇って見えた。
「……」
「だがそれは容疑者が病魔罹患者だった場合の話だ。アイツの―境の病魔の特性は捕食。他人から病魔の力を吸収することができる」
「つまり、境君が城崎音代から病魔の力を奪い取ってしまえば彼女が病魔研究の実験材料にされずに済む、という話ですか。意図は分かりました…確認ですけど、城崎音代の対処は彼一人に任せて大丈夫なんですよね」
「そっちは心配しなくて良い。アイツは城崎と対峙することを決めた。なら、大丈夫だ。アタシは別谷境を信じるだけさ」
「信じるって…」
「我々だけで対処することも提案したが、その上でアイツはそれを突っぱねたんだ。その意志にこそ勝ち筋はあると思うがね。…得物も今は安全装置ロックのままでいい。それよりもホラ、お前の仕事はこっち」
そう言って神流が手渡したのは一台のハンディカム。
何のことかさっぱり分かっていない部下に、ため息交じりに説明する。
「何、お前はずっとここで寝そべって待つつもりなの?ありえん。ただ待機してるなんてそんな時間の無駄ってある?罹患者同士の接触を観察できる機会なんてそうそう無いんだから、後から分析できるように記録を残すのは基本中の基本でしょうが――ホラもう始まった、録って!」
「えっ、えっ?はい、えぇと…」
「両名が画面に収まるように頼むぞ」
部下が言われるがままにレンズを向けるのを尻目に、食い入るように階下を見る神流。
その視線の先には、煙幕の中で対峙する二人の罹患者の影。
彼女の意識は既に特殊捜査課の警部から、いち研究者のものへと移り変わっていた。
「本当に触れただけで、しかも大した炸裂音を出さずに物体を爆破できるんだな。ふむ。破壊の程度が調節可能なのか、それに破壊の起点は指先だけなのかが気になるところだが…」
「この目で見てもにわかには信じがたいですね。病魔はなぜこれほどの力をもたらすのか……ん?境君は何をしているんでしょう、落ちている物を拾っては投げて」
「なるほど。起点は手首より先ということか。流石は境だ」
「はい?どういうことです」
「城崎の病魔名を仮に『爆破』としよう。彼女の爆破が全身の皮膚を起点に発生するものだった場合、攻撃のためにこちらから触れただけで即死することを意味する。だからアイツは直接触れる前に、物を投げてそれを確かめているんだよ」
「それで分かるんですか」
「だって、もし全身で同じ現象が引き起こせるなら、わざわざああやって飛来するものを手で払う必要は無いだろう?」
あぁ、と納得の声が漏れる。
「となればそろそろ…」
まるでゲームのキャラクターを操作しているみたいに、神流の読み通り別谷が攻めに転じる。
目くらましの破片を投げると同時、一瞬で間合いを詰めて掌底をかまし、
「やった!?」
「いや、アイツの攻撃はこれからだ」
禍々しい腕の姿をした黒煙が城崎の身体を貫いた。
「あれが捕食の力…」
城崎はおろか攻撃を加えた側の別谷まで微動だにしない中、黒煙の腕だけがウミユリや海藻のようにゆらりと蠢き城崎の体内へ探りを入れる。
寄生虫を想起させる振舞いだった黒煙の動きが止まると、別谷は何かを引き抜くように上体を捻った。
「ふむ…何度見ても意味不明だな、アイツの力は」
「何ですか、あの、境君の右腕…?が掴んでいる輝きは」
「アレが、城崎音代の持っていた病魔の力だ――って断言できれば恰好良いんだがねぇ。残念ながらその辺の仕組みは未解明さ。ただ、今まで観測してきた結果に倣うなら彼女は既に力を失っているはずだ」
よっこらせと壮年くさい掛け声と共に立ち上がった神流は続けて言う。
「つまり、我々のくたびれ儲けという訳だよ袴田君」
「はぁ。では、これから自分は城崎音代の身柄確保に向かう形で良いのでしょうか?」
袴田と呼ばれた部下は律儀に階下へ視線を向けたまま、隣で伸びをする上司に判断を仰ぐ。
「そうだな。アタシは『外』組への連絡と片付けを…あーでもお前は境と面識無かったよな?アタシらがここに来てることはアイツ知らないし、アタシが降りた方がその辺りの説明は早いか」
そして、与えられた職務に忠実な袴田は気付いた。
ハンディカムのレンズの先、立ち去ろうとする別谷の背後で。
何かの意図を持って床に手を伸ばす城崎の姿に。
「待ってくださいボス!もしかして彼女はまだ―!!」
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