「じゃあ今回も成績は満点だったのね」
「ええ、まあ」
「流石は私の娘!この調子なら日本の最高学府進学も視野に入りそうだわ」
「それは時期尚早というものよ。わたしはまだ高二なのだし、これからの努力如何でどのようにも変化しうるわ。悪い方も含めてね」
「そうかもしれない。けど少しくらい、夢を見たっていいでしょう?」
気分の高揚が電話越しでも分かる。
普通は話すことがわたしと母とで逆だろうに、当の彼女は子供のようにはしゃいでいる。
「私も一流の大学で勉強して、その辺の男なんて目じゃないくらいバリバリ働くキャリアウーマンになりたかった。でも、現実そうはならなかったわ」
「……」
「必死に勉強したけど第一志望には届かなかった。そのうえ私は、浪人してでも第一志望に行こうという決断ができなかった。怖かったのよ。一年を勉強漬けにして、それでも合格できない可能性が。今にして思えば、覚悟が足りなかったんだと思う。結果、大して行きたくも無かった滑り止め大学で普通の女子大学生を過ごして、普通に就活して、入社した先で寿退社して。私みたいな何でもない女からあなたが生まれてくれたのは奇跡だとすら思うわ。あなたは私に出来なかったことをやり遂げてくれる、そんな気がしているの。…親馬鹿かしらね、これは」
「親馬鹿だと思う。…もう、その話は耳に胼胝よ母さん。もちろん、期待に応えられるよう頑張るつもり」
母は同性のわたしに、かつて望み、そして今は諦めてしまった自分の夢を重ねたがる。
家事全般が一人でこなせて、誰もが知る国立大学へ進学でき、世の男にも負けない成績を上げる働くオンナ。つまりは「自立した女性」となる未来をわたしに期待しているらしい。
「今日で一学期終わりだから。去年と同じように、夏休みの間はそっちに戻るわ」
「まあ、それじゃ今日はいつもより豪勢にしなきゃね!ああそれとも一緒に作る?普段は寮の食堂だろうし、久しぶりに包丁握りたいでしょう」
でも、わたしは母じゃない。
母は自分が腹を痛めてわたしを産んだから、わたしのことをまるで自分の分身のようにみているのかもしれない。けれどわたしはどこまでいってもわたしな訳で。わたしが母の夢を成したとしても、きっと母の未練は満たされないのだ。
もちろんそんなことは…声音に出さない。
母の望みに応えることはきっと良いことなのだから。
ふつ、ふつ、ふつ、ふつ、ふつ、ふつ
泡立ちは勢いを増して、抑えつけてきた蓋を暴れさせる
「おかえり、お父さん」
「…戻ったか」
少し豪勢な夕食を終え、後片付けも終わってしばらくした頃。
重い空気を引き連れた父が帰ってきた。
「今日もお疲れさま。一学期が終わって、音代が帰ってきてくれたわよ」
「ああ」
「夕飯の用意もできてるけれど、どうする?先にひと息つく?」
「そうだな。音代とも話がしておきたい」
「分かったわ。じゃあその間に私は、お風呂をいただいておこうかしら」
「そうしてくれ。…音代、少し良いか」
父はいつも最低限のことしか口にしない。傍から見ると怒っているようにも見えるその態度は不愛想というよりは寡黙、と言った方が正しい。…と思う。頭の中では色々考えていて、でもその結論しか言葉にしないから、一言一言には重みが伴うのだ。
当然、わたしは要請に応える。書斎がある二階まで、父の背中に黙ってついていく。
「今学期はどうだった」
ジャケットを脱ぎながら、背中越しにそう話を切り出してくる。
こう訊いてくるとき、父はわたしの所感を求めていない。「楽しかったよ」だの「誰々と喧嘩してしまった」だのといったことに興味は無い。
「成績の方は前と同じ。どの教科も最高評価」
「評価の上限が決まっているというのも、考え物だな。…その結果を得続けるのは難しいことなのに、変わり映えの無いつまらない成果に思えてしまう」
「そうね。わたしとしても、これ以上の上が存在しないというのは頑張り甲斐が無い」
「他に何か、できたことはあるか」
「うぅん…この時期は体育祭や校外学習があって、あまり対外的な活動は行われないのよね。…ああ、ひとつだけ。作文コンクールがあった」
高校生になってから今までにあった出来事について、起承転結を意識した構成で原稿用紙一〇枚以上で書け…とかいう課題だったはず。
わたしは確か、中間学年として挑む体育祭のアレコレについて書いたような気がする。課題としてこなしたからあまり内容を覚えていないけれど、
「校内の代表に選出されて、市の委員会から佳作をもらったわ」
「佳作か」
顔にこそ出さないけれど、父の声には若干の落胆が見え隠れしていた。
評価軸がハッキリしている勉強と違って芸術作品は難しい。日常的に接している学校の教師陣が評価しそうな作風は読み取れても、顔も知らないどこかの誰かがどのように評価するかは流石に予想できない。
その点、父の望むものは一番分かりやすいかもしれない。
あの人が求めるのは対外的な体面の良さ―「ウチの娘は○○で~」という自慢話―だ。学生である今のうちは基本的に母の願望に応えるだけでいいと考えていたけれど、最近はこうして学業以外の成果を欲しがるようになってきた。
果たして父に自覚はあるのだろうか。わたしを見る目の焦点が日に日にわたしからズレていること。わたしを見ていたはずの眼差しはいつの間にか、わたしの積みあげてきた成果―わたしの抜け殻ばかりを見ていること。
もちろん、そんなこと、気にも留めない。
わたしは…………。
わたしは。
…。
あれ?
どうしてこんな人たちの望みに応えてきたんだっけ。
グツ、グツ、グツ、グツ、グツ、グツ
蓋が、外れる
わたしがわたしのまま、新しいわたしになる音がした
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