◆二〇〇五年 六月十五日 叶市街外縁部
すっかり夜になってしまった。
結局、己の脚を使ってもめぼしい手掛かりは見つけられなかった。どうしてあの狩り場一箇所だけが見つかったのか、逆に今となってはアレが嘘だったんじゃないかと疑いたくなるくらい何も無かった。
手に入れたのはつまらん男どもを相手に発散しようとしたことへの後悔と脚の疲労感だけだ。
あーやめだやめだ、今日はもう終わりにしよう。
裏道をウロウロしているうちに二駅ぶんほど神流の事務所側へ戻っていたので、このまま歩いて帰ろうと決めたところで後ろから呼び止められた。
「そこの君、ちょっといいですか?」
「はい?」
今日はやけに声を掛けられるな。
しかも声音からして、今回の相手も若い男とみえる。
怪しいキャッチだったらガン無視で回れ右しようなどと算段をつけて振り向くと、果たして青系の服装で身を固めた公務員――すなわち警察官が立っていた。
「タイトジーンズとノースリーブジャケット、黒髪ショートヘアの病魔罹患者…うん、間違いなさそうですね」
「えっと………オレに何か用すか」
「ご明察!いや状況の飲み込みが早いのかな?ええ、実は貴女に用があって呼び止めさせてもらいました」
なんだろう。
目の前に立っている姿顔からは二〇代…下手したら新人にも見えそうな若さなのに、喋りの滑らかさはそこそこの経験を積んだベテランのそれに感じられる。
馴れ馴れしいようでいて不快さの無い、相手の懐へするりと入り込む調子の取り方だ。
オレが言葉を挟む前に警官は勝手に事情を喋り出す。
「正直、僕には信じ難い訴えではだったんですけど、ただ被害者は実際に怪我をしていて、しかもその怪我に至る状況説明がいやに生々しかったものでして…」
頬をぽりぽりと掻きながら苦笑いを浮かべて、
「単刀直入に言うと、貴女には暴行の疑いがあるので詳しく事情を訊かせてもらいたいのです」
と宣ったのだった。
「…で?」
「だーからー。オレは国からの要請で働く、特認証持ちの病魔罹患者だって言ってるじゃんか」
「私が訊いているのはそこじゃない、その特認証のバーコード読み込んだのに何の情報も出てこないというのはどういうことだと訊いているんだ!はぁ…別の案件で手が足りないってのに、どうしてこんな面倒が舞い込んで来るんだ…。それが本当に特認証なのかも疑わしいんだが、偽造じゃあるまいな」
机越しに怒鳴り散らかしてる恰幅の良いオッサン警察官の言うことを信じるならば、オレの特認証を読み込んでも何も情報が開示されないらしい。
ちなみに、ここまで連れて来られた本来の目的であるところの暴行沙汰の件は一瞬で解決した。
件の被害者―チンピラ三人組はオレの顔を見るなり「コイツですコイツにやられました!」などと騒ぎ立てていらっしゃったが、オレが(結果的に)暴力に訴えるに至った経緯を丁寧にご説明して差し上げたら段々とおとなしくなり、最終的には連中に強姦未遂の容疑が浮上したためお互いこれ以上の訴えをしないという方向で手打ちとなったのだ。
「言いがかりはよしてくれ。誰が好き好んで悪趣味な刺青を乙女の柔肌に刻まにゃならんのだ。そっちの機械の不具合じゃないのか?」
「(貴様を乙女と呼べる要素がどこにある…)」
「聞こえてるぞースケベ警官」
「うるさい地獄耳が。全く関係のないバーコード、例えばスーパーの商品とかならこいつはエラーを吐く。だがお前のそれは正常に読み込まれるにも関わらず、肝心の情報については一切表示が無いから困っているんだ」
それ、ますますオレに非なくないか?
「まったく、一体お前は何者なのか……」
「最初からオレは別谷境だって言ってるじゃないか」
「それが何の説明にもなっていないこと、分かってるかね」
「なんでさ」
「あのねぇ。普通はどこそこ大学の二年生とか、○○会社の営業部だとか、自分の身分を表すものがあるでしょう普通」
フツウって二回言ったぞこいつ。
普通であることがそんなに重要かよ。
「生憎とそういう身分証明書の類いは持ってない。だいたい、オレはオレ以上でもオレ以下でもないんだ。それ以外の情報は全て余分だと思うけどね」
「お前がそう思うのは自由だよ。ただしココはそういう『余分』が重要な意味を持つ場だ。証明できるものが無いならお前は『病魔患者であることを騙って刺青を彫っただけの女』とも見れる。何らかの手段で身分を証明してもらえないと、我々としては帰すことができない―ふあぁ」
オッサン警官はあさっての方を向いて、とても退屈そうにあくびを噛み殺す。
つまりオレの身分が証明されるまで解放しないという訳だ。
……。
あいつを呼ぶのは嫌だけど。本当に嫌だけれど。
今回ばかりは力を借りねばなるまい。
「なあ、オレの身分を保証できれば手段は何でも良いんだよな?」
「んん?まぁ、そうだな」
「だったらオレの携帯を返してくれ。なんならここの固定電話でも良い。身元引受人を呼ぶ」
無言で示された電話の受話器を手に取る。
ああ…すまない一時間後のオレ。こってり絞られるのは目に見えてるけど、こうするしか手が無かったんだ。
心の中で自分自身に合掌して、本日二度目となる番号をコールした。
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