「――まさか」
「この辛さも、誰かを殺れば、忘れられるかな」
彼女の顔に狂気が満ちるまで一瞬もかからなかった。
本能的に危険を予感した別谷が黒煙を身に纏うと同時。
くぐもった音と共に視界が粉塵で閉ざされる。
「っ…逃がすか!」
床に触れることで生み出された城崎の煙幕。
別谷は病魔使用の負荷を堪え、逃がすまいと闇雲に手を伸ばすが、
「逃げるぅ?んなコトしないって言ったじゃん!」
声は真後ろから。
身を捻り、切り払うように右腕を振るうことで城崎の魔手を受け流す。
吹き飛ばされるような感覚が別谷の全身を駆け、彼女の能力が発動したことを知覚する。
「っ――!」
別谷は追い打ちを避けるため煙幕の範囲から跳び退く。
右腕にあったはずの黒煙は、初めて城崎の攻撃を受けたときと同じく霧散していた。手首の辺りから少しづつ復元しているようだが、その速度は緩慢だ。
「やられたな」
「…貴女、なんでまだ生きてるのよ。それにその黒いオーラ…貴女も御業使いだったのね」
「……?」
その物言いに、微かな違和感を覚える。
まるでこの現象を初めて見たかのような反応。
「お前、やっぱり――」
「まあいいわ。簡単には死なないっていうなら歓迎よ、手応えがあるのは殺りがいがあって良いもの」
大気中の粉塵が薄まる。
うっすらと見える城崎の顔には、底知れぬ笑みが貼り付いていた。
(さっきまでとはまるで別人。これが城崎音代の『正常な』病魔発現状態だとでもいうのか?……、剥がされたオレの\鎧\は回復するまで一〇秒ってところか)
睨み合いながら、己が武器の様子を確かめる別谷。
接近戦において一〇秒の隙はあまりにも大きい。
(今展開できる鎧は右腕と左手の二箇所のみ、常時展開はオレの精神が保たない。会話による引き延ばしもこれ以降通用するとは考えにくい)
となればどうするか。
(奴の病魔に触れぬまま接近して、こちらの攻撃直前に鎧を展開するしかない!)
「あは、うっふふふふふふ!!」
先に動いたのは城崎だ。
何の工夫もない、腕を広げての正面からの突進。
対人戦闘を全く考慮できていない行動だが、彼女の病魔がそれを立派な脅威に仕立てあげる。
なにしろ触れたもの全てを粉々に粉砕してしまうのだから。
「ちっ…人間ブルドーザーかお前は!」
黒煙を解いた別谷は転がるように大きく側方へ跳び、重機の動線上から逃れる。
起き上がると同時に振り返り、
「そら!」
城崎に向かって何かを投げつける。
「そんなもの――」
ぼん、と間抜けた音と共に爆ぜたのは、辺りに捨てられていたペットボトルだった。
これも道路やコンクリート壁同様、微粒子レベルで粉々にされている。
「ムダよ、ムダ無駄。今のわたしに壊せないものは無い」
「っ!」
足を止めずにコンクリ片、栄養ドリンクの小瓶と違う材質のものを投げつけるが、結果は同じ。
城崎が指揮棒を振るように指先を振るうだけで、全てが砕け散る。
なおも床材の破片を掴む別谷に対し、城崎は見下すように言う。
「単調ね。もういいでしょう、わたしに飛び道具で攻撃したいならもっと弾の速い―それこそ拳銃くらい持ってこないと無意味よ」
それよりも、と誘うような仕草で手招きする。
「貴女の御業をもっと見せて頂戴。さっき纏っていた不気味なオーラよ、もう出せないの?」
「生憎と、お前みたいに見せびらかす趣味は無くてね!」
言い捨てざまに掴んでいた破片を投げつけ、
「無意味と言って――」
城崎がそれを粉砕したとき、別谷はもうそこに居なかった。
「!!」
この場合、見失ったという表現が正しい。
別谷は投擲と同時に走り出し、破片の粉砕と同時に身を深くかがめていた。
一瞬だが、飛来する物体の迎撃に視線が寄った結果、城崎はその変化を見落としたのだ。
「お前の力、喰わせてもらう!」
抑えていたものを解き放つ。
喰らえ、犯せ、と脳内に囁く何者かの声に意識が引き摺られそうになる。
下段から迫る別谷の腕には黒煙。
それは獣爪の如き威容を備え、がら空きとなった城崎の胴へと比喩抜きに吸い込まれる。
「っ、うぅぅ!?」
別谷自身の手は城崎の身体に触れているだけ。
だが、纏った黒煙は掌底の勢いそのままに彼女の内側へと浸食していた。
臓腑をかき混ぜられる悪寒に城崎は呻く。
彼女の中でカタチ無き何かを掴んだ感触が伝わると、別谷は黒煙ごと腕を引き抜く。
「アっ、あああっ!」
「はあ、はぁっ…ハハ、良い声出すじゃねぇか…!」
絶頂したかの如き嬌声を上げて城崎が膝から崩れる。
一方、高揚気味の別谷の手にはおぼろげな光を放つ球体が握られていた。
抜き取られたそれは、城崎が持つ病魔の力そのもの。
本来カタチなどあるはずのない力という概念にカタチを与え、奪い取る――これが別谷境の、「対病魔戦闘における優位性」と言われる病魔の能力だった。
「情報量は武器、その点で言えばお前はオレに力の行使を見せすぎた。お前の破壊は手首から先に触れなければ発動しないと分かれば攻略もできる」
病魔を抜き取られ倒れた城崎を見下ろす。
力の発動による興奮が急速に醒めた別谷は、気だるげに息をついた。
「ふぅ……」
右手の光球を握り潰すように吸収し、踵を返したところで、
「…わたしに、何をした」
「――っ!?」
絞り出すような声に反応した時には既に遅く。
地雷を踏み抜いたが如く、足元が炸裂した。
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