別谷がロケットのように飛び出した後。
交番に残された三人のうち、若手の警官がぽつりと呟く。
「一体何者なんですかね、彼女は」
誰に言うでもなく自然と零れたその言葉に神流が応じる。
「何者かと訊かれると、アイツはただの別谷境だとしか言えないな」
警官二人は思わず顔を見合わせる。
示し合わせたのか偶然なのか、それは別谷本人が口にしていたことと全く同じだった。
◇◇◇◇
まばらな街灯に照らされた闇の中を茂嶋は、走りながら必死に思考を巡らせていた。
(なぜ私は逃げている?)
――城崎音代が追ってくるからだ
(なぜ彼女は私を追う?)
――私の言動の何かが、彼女の逆鱗に触れたからだ
(何が彼女を怒らせた?)
――おそらくは、名前を他の者に連絡しようとしたこと
そもそも。
(彼女は一体どうやって無線機を破壊した?)
息が上がる。
吸い込んだ酸素の全部が脚の筋肉に回されているんじゃないかと錯覚する。
恐怖と息切れで朦朧とする中、彼が思い出すのは襲われた瞬間の出来事だ。
城崎は俊敏だった。
予めそう動くように設計された玩具のように、あるいは狗尾草を前にした猫のように、棒立ちから予備動作もなく飛び掛かった。
――少なくとも、茂嶋にはそう見えた。
そして、彼女は間違いなく手ぶらだった。
そこから導き出される推測は、
(つまりあの少女には、素手のまま機械を粉砕できるだけの力がある…!)
自分で考えておきながら、茂嶋自身全く理解できない説明だった。
だが、どれほど理で解せなかろうと、それを間近で味わった感覚は嘘をつかない。
あの手に捕まったらおしまいだ。
そんな単純な動機に突き動かされて茂嶋は逃げ続ける。
両足は既に疲労ですっかり重たくなったが、気力で動かす。
一心不乱に駆ける彼の耳に、場違いにハイテンションな声が届く。
「おーー!?アンタもしかしてシゲシマか!?」
「だ、誰だっ!」
茂嶋は思わず足を止めて、進行方向から迫る見知らぬ人間を露骨に警戒する。
乗り回している自転車が暗がりでも白く浮かび上がって見える、交番備え付けのものであることが余計に警戒心を加速させる。
茂嶋の隣に停まって自転車を降りた別谷は、
「あー、すまんすまん。オレは諸事情で木之下って警官のいる交番にいたんだけど、さっきアンタの無線が不自然に切れたから様子見に来た…って言えば、少しは信用してもらえるかな」
「木之下巡査の指示か」
「まあ、そんなとこ」
実際に指示を下したのは神流だが、今は正確さよりも茂嶋に納得してもらうのが先だと判断した別谷は適当に頷いておく。
別谷は明らかに私服だったが、木之下の名を出したことである程度信用されたのか、茂嶋は構えを解いた。
「それで、一体何があったんだ」
「っ!そ、そうだ立ち止まってる場合じゃない!」
顔を恐怖に強張らせて振り返る。
「早く逃げないと奴に殺される!」
「あ、おい待てよ!何があったのか教えてくれ!」
再び駆け出した茂嶋を追って自転車を押す。
茂嶋は自分の遭遇した場面を思い出し、わずかに声を震わせる。
「あの城崎って子供は何の道具も使わずに、私の無線子機を粉々にした。あれは絶対に人間業じゃない。もしかするとあれは病魔――」
「粉々ね……分かった、アンタはそのまま走って逃げろ」
「あんたは…って、君は何をするつもりだ」
「オレはあの追手をなんとかする」
即答した別谷に茂嶋は目を剥いて抗議する。
「私の話を聞いていたのか?馬鹿なことはやめなさい!相手は常識の埒外だ、殺されてしまうぞ!」
「大丈夫だ。なにせオレも異常側の人間だからな」
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