◆二〇〇?年 七月某日 私立姫毘乃高校
「それでは、一学期の成績表をお渡しします。これは夏季休業の間に親御さんに見せて、二学期はじめに学校へ返却するようにお願いします。出席番号順なので、呼ばれたらすぐ前に出てこられるように準備しておいてください。――秋本このみさん」
先頭の生徒が呼ばれると、教室は途端に休み時間のような盛り上がりとなる。
成績表の配布。
世間からは名門と評される姫毘乃の中にも評定の差はある。
「うそ!期末テスト九〇点も取ったのに成績四なのー?」
「ちょっと見してみろよ。……お前、いくらテスト頑張ったって提出物ゼロじゃ駄目だろ」
「えー。そういう金井君はどうなのよ」
「俺か?俺は満遍なく微妙で成績三!」
定期テストや普段の授業では勉強なんてどうでも良い風を装う生徒たちも、このときばかりは過去の己を振り返る。
「危ねー、ひと学期あたりの遅刻回数ぎりぎりだ」
「え、私、逆に遅刻魔の相模君がセーフであることにびっくりなんだけど」
「ふふん。一流の遅刻魔は超えてはならない一線をちゃーんと分かっているものなのさ」
人によっては遅刻や欠席の回数を気にすることもあるだろう。
「――城崎音代さん」
「はい」
呼ばれて、わたしは席を立つ。
「学年が上がっても流石ね。この調子で頑張って」
「分かりました」
戻りがてら開いた成績表には数字の五が羅列してあった。
今までと同じ、大して意味の無い情報だ。
それを隣の席の長峰彩が覗き込み、
「城崎さん、今回もオール五だったんだ?」
「結果的にね」
「すごいなぁ。けど一番すごいのは、これを一年生のときからずっと取り続けていることだよね!」
まるで自分のことのように喜んでいる。
「そんな大層なことはしていないつもりよ。当たり前のことを当たり前にこなしているだけ。例えば、先生の言うことをよく聞いて、日々授業で習ったことを復習するとか…ね?」
「普通はその『当たり前』がなかなかできないから、すごいんだよ」
わたしが「すごい」?
長峰彩の言っていることはおかしい。
わたしは普通の女子高校生だ。
スポーツで全国大会に出るようなアスリートでもなければ芸術的な作品を生み出す才能人でもなく、生まれも中流階級の一人娘で統計的にも金持ちなどではない。学校という閉鎖社会において絶対的な評価指標である学業の成績がそこそこ良かったから、ただそれだけの理由で学級委員に選出される程度の普通の女子高校生。
皆からは成績の良さを羨まれるけれど、わたしにはその特別さが分からない。
学校の成績なんて評価する項目が決まっているのだから、その通りに成果をあげればいい。「こうあれ」という校訓が手帳に書いてあるのだから、その通りの学生になればいい。教師の求める模範像があるのだから、その通りに行動すればいい。
むしろ、これら実践するだけのことができない皆のことが理解できない。
どうしてわざわざ先生たちの求めていないことをするのだろう。
皆がそんなだから、いたって普通のわたしでも学級委員などに推薦されるし、先生もクラスをまとめるのにわたしを頼るようになっているだけのに。
もちろんそんなことは口にしない。
その事実を皆は求めていないから。
ふつ、ふつ、ふつ、ふつ、ふつ、ふつ
何かがこみ上げてくる
「――これで全員ね」
成績表が配られ終わる頃には、教室はすっかり休み時間のような喧噪に包まれていた。
ような、というか完璧に休み時間になっている。
もう誰も成績の話なんてしていない。来る夏休みに何をするか、誰と何の予定を立てるかで盛り上がっているのだ。
ああこれはきっと、と思い教卓を見やると案の定先生は苦笑いしていて、こちらに気付くと目配せしてきた。
それは先生からわたしへの救援要請。
わたしはさっさと前へ出て、クラスメイトに呼びかける。
「みんな、今が授業時間だってこと忘れちゃダメよ。先生も困っているわ」
「いいじゃんかーちょっとくらい。クラス委員は杓子定規だなぁ」
「けれどこの時間が済めば、今日は六時間目を切り上げていつもより早く放課後なるのよ?ね、先生?」
予定には無いことを口にしたけれど。
「―!ええ、そうですね。あとは連絡事項を伝えて、いくつかプリントを配布するだけですから。終わり次第、帰宅してもらって構いません」
学校における公式情報発信源たる先生が口にすれば、それは真実になる。
「マジかよやった!」
「だからみんなも、早く終わらせるために協力してね」
「りょーかーい」「はい!」「さすが城崎、先生の秘匿する情報も握っているとは…」
教室の方向性は一致した。
早く帰れるという報酬を知った生徒たちは、さっきまでの喧噪が嘘のように先生の話へ耳を傾ける。
あとはわたしが仕切らなくても問題無いはずだ。
……
ホームルームが終わって、遊ぶことに全力だったり部活に青春を捧げる生徒たちが教室から消えた後。わたしも寮に帰ろうとして、教卓に先生のボールペンが置き去りになっているのに気付いた。
特に悩むことなく、わたしはそれを職員室まで届ける。
先生は助かったと言い、
「ありがとう城崎さん。ちょうど今から取りに行こうと思ってたところなの」
「そうでしたか。入れ違いにならなくて良かったです」
「城崎さんは細かいところにもよく気付いてくれるから助かります。さっきのホームルームでも、私のサインをすぐ拾ってくれたし…」
「うふふ。まあ、あれにも慣れましたし」
「本当、あなたはクラスをまとめるのが上手いわ。早上がりの話はその場で思いついたの?」
「どうでしょう。あの形に落とし込んだのはその場の機転ですけど」
「すごいわね。…ちなみに城崎さん、クラスよりも大人数の生徒をまとめるのに興味あったりしないかしら」
「生徒会役員のお話ですか」
「察しが良いようで。どう?私は城崎さんなら絶対うまくやっていけると思うのだけど」
今どき、課外の時間を奪われる生徒会に自ら立候補する学生は少ない。たいてい教師側からの相談があって渋々立候補するものだ。
だからわたしのように「適性がある」と目される生徒は渡りに船、大海の木片とばかりに熱烈な勧誘を受けることになる。
まったく、先生は勘違いしている。
生徒が言うことをすんなり聞いてくれないのは、先生が彼等の目線に立てていないだけだ。その努力を放棄してわたしにクラスと教師の仲立ちを頼むから、結果的にわたしがクラスのまとめ役になっているに過ぎない。
クラスメイトたちの求めるものは千差万別のようでいて、実は同じ。
眠りたい。ゲームをしたい。漫画が読みたい。駄弁っていたい。
これらはどれも、束縛からの解放を求める気持ちが具体的な手段とないまぜになって多様化して見えるに過ぎない。要は皆、自分の意思で物事を決めたがっている。
だからわたしは、意思決定の自由を求めるクラスメイトと集団を管理・統一したい先生双方の折衝役になる。
先生がそんなだから、いつまで経ってもわたしを通じてしかクラスをまとめられないのに。
もちろんそんなことはおくびにも出さない。
その指摘を先生は求めていないから。
ふつ、ふつ、ふつ、ふつ、ふつ、ふつ
謐とした水面を泡立てるように
読み終わったら、ポイントを付けましょう!