◆二〇〇五年 六月十六日未明 裏路地の廃ビル
「よぉ。また会ったな、城崎音代」
「…ァ、こ……」
苦痛の渦に呑まれかけていた意識がぎりぎりのところで踏みとどまる。
「…こ、んなところで再会するなんて、奇遇を通り越して、奇妙ねサカエさん。しかも、わたしがここに居るって。知ってて来たみたいな、口振りじゃない」
別谷という相手――拠り所―を得た城崎の精神は、適した人格を一瞬で条件反射的に用意する。
少なくとも表面上は、自然な受け答えだった。
「可能性と確率の話さ。もしもお前が人体爆殺事件の犯人なら、逃げ込めるのは見知った、それでいて一般人には見つかりにくい場所だろうと思って。最初にその可能性を潰しに来た。運が良かっただけだよ」
「わたしにとっては運が悪かった、ってところかしら……。ふふ、貴女、探偵か警察官にでもなった方がいいんじゃない?」
「アドバイスどうも。結果的に今のオレは警察の一部として動いている訳だし、あながち間違いでもない」
向いてるかどうかは知らないけどな、と皮肉交じりに笑って見せる。
「ふぅん…じゃ、わたしのこと捕まえに来たんだ」
「そうだ。今度は、逃がさない」
一歩、別谷が迫ると城崎は子供のようにころころと笑って
「心配しなくても、前みたいに姿をくらますなんて今はできないわ。…でもこのまま貴女の言いなりになるつもりも、無い」
「だったらどうする」
別谷は周囲を一瞥して、
「ここにある血だまりみたいに…オレのことも消し飛ばしてみるか?」
「驚いた…そこまで分かっていながら、わたしの目の前に姿を見せるなんて」
その口振りは、彼女が廃ビルに散らばる血の池を作った張本人であることを示していた。
「お前……本当に十五人も殺したんだな」
「その通りよ。……あ、もしかして熱血漢タイプだった?『どんな脅威が相手でも怒りと気合いで打ち勝てる』とかそういう」
学友同士の雑談にしか聞こえない、あっけらかんとした回答に別谷は肩透かしを食らった気分になる。
城崎の返答に後悔や慚愧の念といった感情は込められていなかった。
「最初の二人はちゃんと戦ってくれたけれど、それ以降は全然ね。誰も彼も、喰われるために来たって顔をした餌だった。ね、知ってる?カマキリって生きた餌しか食べないから飼育が大変なんだって。わたしはカマキリとは違うけれど、生き残る気の無い相手を狩るのがつまらないって気持ちなら、ちょっと分かる気がするわ」
「そうかい」
訊いてもいない殺しの感想が聞こえてくる。
「オレは事の善悪ってのにあまり関心は無いし、正義のヒーローでもないからお前の所業をどうこう指摘するつもりは無い。だからこれはただの確認なんだが…お前は人を殺したとき本当に、つまらない以外の感情は抱かなかったのか」
「例えば?」
「…気持ち良い、とか」
「ぷ………あっ、ははは!貴女それ真顔で言うの!?最っ高!」
「どうなんだ」
茶化す城崎に詰め寄ると、
「はは、は――はあぁ、貴女の言う通りよ。今思い返してもゾクゾクする…ああ、彼女たちが爆ぜる瞬間の……ふふ」
神流から渡された資料に載っていた彼女の経歴からは考えられない、淫魔のような笑みを浮かべる。
「あの瞬間だけは嫌なこと、苦しいこと、辛いこともみーんな、忘れていられる」
(こいつは相当…キてるな)
熱っぽく息を吐く城崎が自分の世界へ浸る前に、別谷は質問を重ねる。
「待て。訊くことは他にもある。お前はこれだけの殺しを一体どうやって隠し通してきた?乾ききった血痕からして、この数日でできたとは考えにくい。それとも日本の警察は、こんな分かりやすい殺戮の跡を見逃すほど目が節穴になったっていうのか」
「それは…わたしじゃないわ。あの娘の…」
「あのひと?」
「……………」
そこまで言いかけた城崎だが、不意に顔を両手で覆って黙り込む。
「…どうして、どうして?わたしあの娘に嫌われるようなことした記憶なんて無いのに、どうしてわたしは捨てられたのかな」
別谷は知る由も無かったが、それは彼女にとっての瑕疵。
彼女と相対することで辛うじて取り繕われていた平静は、その一点にて崩れ去る。
さながら過冷却状態の水に刺激を加えた瞬間の如く。
最後の拠り所を喪失したことによる苦しみがぶり返す。
「分からない。ねぇ、なんでこんなに、息が苦しくて…気持ち、悪いの」
「おい、どうした」
呼吸は全力疾走を終えた犬のように荒く、早くなる。
額に脂汗を浮かべ肩で息をする様はまるで熱病にうかされているようで――
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