オレは神流の事務所で生活しているわけだが、当然それは本来の用途ではない。簡単に言ってしまえばここは探偵事務所のようなもので、様々な依頼(ただ実際には迷い猫の捜索から害虫駆除や浮気調査まで、何でも屋のような仕事だ)を受け付けている。
どうしてそんな場所で暮らしているか、というのはなかなか一言では説明できないんだけども。
確実に言えるのは、神流はオレの雇い主である以上に、飼い主であるということ。
ゆえにアイツの管理下に置ける場所で生活することが、オレには義務付けられているのだ。
『病魔罹患者の関与が疑われる事件・事故件数が三ヶ月連続で低下していることを受け、管理派の市民団体『ワクチン』代表、春原氏は次のように述べ――』
「だってさ境。何か感想は?」
「え…別に。事件が減ってウチのご主人の収入まで減らないかな大丈夫かなーとか言ったら良いのか?」
「ハーァ…こんなヤツのどこが良いんだか。アタシゃひなたちゃんが可哀想で仕方ないよ」
いきなり水を向けてきた上に酷評されても気にしない。なぜならオレは神流の…って、
「待て。どうしてそこで等々力の名前が挙がるんだ」
「それが分からない輩には教えてやりませーん。お前はまず、自分がどれだけ愛されてるかを知るべきだよ」
「それは、分かってるつもりだけど」
「つもりじゃダメさ。分かってるなら言動に示さなきゃ。人間は不便な生き物なんだ、知覚できなきゃ無いのと同じだからね」
「ああ。…?うん」
ますます話が見えない。
かつてオレを救ってくれた等々力への感謝と、罹患者関連の事件数の減少にいったい何の関係があるのか。
「さてさて前置きが長くなっちまったが、ここからが本題だ」
眼光鋭く口角を上げ、悪の四天王みたいな笑みを浮かべる神流。オレが言えた立場じゃないけど、妙齢の女性がしていい表情ではない。
その様子とは裏腹に軽い調子だった声が重さを纏う。
「世間的には病魔にまつわる事件は減少していることになっているらしいが、今朝方ウチに新しい仕事が入った。本業のな」
「へぇ…」
そう聞いては関心を向けざるを得ない。
なぜならこの本業こそ、オレが神流の下で生かされている理由だからだ。
「久しぶりじゃん。つっても一ヵ月ぶりくらいか?」
「そうだな、望中学の件以来だからひと月と四日だ。ただし今回のはアレと比べもんにならないぞ。なにせ既に人死にが出てる」
「殺人容疑者が相手か…で、ウチに依頼が来るってことは、その遺体から犯人が罹患者である裏付けがかなりできる状態だった、ってことだろ」
恐らく、事件があったことすら一般人には伏せてあるはずだ。
ただでさえ病魔を身に宿してるってだけで拒絶反応を示す人間が未だ一定数いる現状で、猟奇的殺人事件の犯人が罹患者でした…なんて情報が流れでもしたら、世論はまた病魔の隔離排斥を叫びだすからな。この国のお偉いさん方としても、今までの成果に水を差すような案件は無くしたいところだろう。
「ホシは既に発病してる可能性が高い。なにせ今回は遺体と呼べるものが無いからな」
「何だって」
「言葉の通りさ。被害者の体は、肉片一つ残ってなかった。現場にあったのは真っ赤な水たまり――といっても、発見時点では酸化・乾燥が進んで赤黒くなってただろうから、これはさすがに叙述的過ぎる描き方だけどね」
神流は数枚のコピー用紙がホチキス留めされた資料をめくりながらそう言うと、オレの方へ投げてよこした。お前も読んでおけ、ということらしい。
どのページにも赤く「部外秘」の判が捺されているそれに目を通す。
現場の写真が何枚か印刷されているけれど、本当に血の跡しか写っていない。
場所はどこかの路地裏のようだ。
細い通路と両脇のビル壁一面が赤黒く塗り上げられている。量が量だけに、もはや血痕とも認識できないレベルだ。
「これは、なんつうか…何なんだ?」
「アタシも同意見。病魔に関しちゃ結構詳しい方だと思ってるけど、病魔ってのはこんな惨状まで作れちゃうのかーって驚き呆れたわ。古文で言えば『いとあはれ』って感情ね」
「美的感情に使うべき単語で表現するな。紫式部に怒られるだろうが」
いや問題はそこじゃなく。
資料には現場の写真と、調査した人間の所感も書いてあるんだが「まるで人が爆発したかのような光景」って…。
「今回、殺害に際して爆発物が使われたってことなのか?でも爆発したなら周りの人間が何かしら気付くだろうし」
「たとえ人のいないタイミングで、炸裂音も小さいモノを用意できたとしても、火薬の炸裂ではここまで綺麗に肉体を微塵にするのは難しいでしょうね。周辺の地面や壁にそれらしい傷が見当たらないのも良い反証になるかしら」
「じゃあつまり、原理は分かんねえけど相手を爆発四散させる病魔を抱えたヤツが対象って訳?」
「んー、そうなるな」
「なるな、じゃねえ。簡単に言うけどな、そいつと直に接触するのはオレなんだぞ」
「分かってるよそれくらい。事務所でも漁れるだけデータを漁ってみるから、新しく情報が手に入り次第連絡する」
それは現段階で判明している事柄がほとんど無いってことを逆説的に示しているのでは。
「ったく…頼むぜ神流。調べがついたときにはオレが血の池になってた、なんてのは御免被るからな」
資料を突き返しながら毒づく。
「珍しく慎重じゃないか」
「さすがに、人間を跡形もなく吹き飛ばすなんて聞かされたらなあ」
「とはいえ点数稼ぎには、もってこいの案件だろう?別谷境がそんじょそこらの病魔罹患者とは格が違うってところをアピールできる良い機会だ」
「オレは別に赤の他人がオレのことを何と思おうが、どうでもいいんだけど…」
「そういう所、お前とひなたちゃんってそっくりよね。実は双子だったり」
「違う」
「冗談だよ冗談。そう凄むな。…ただお前さんの場合、なりふり構わず行動することは一般人と違ってかなりリスキーだ。その理由は分かるな?」
神流との会話はいつもこうだ。
おふざけとシリアスが混じり乱れるから疲れてしまう。
「分かってる。これだろ」
オレは自分の右袖を捲って腕の刺青を晒す。
「指定疾患特別認可証―通称特認証。病魔罹患者に対して日常生活を送って良いと国が許可した証であり――」
「何か事をしでかしたときには一方的にその権利を剥奪できる首輪でもある。境の場合はさらにいくつか条件が追加されてるが、要は『善良な国民として生き、有事には国のために働く』ことがお前に課せられた、普通に生活するための条件なわけだ」
そして有事というのは大抵、今回みたいな病魔にまつわる厄介ごとだ。国から要請が直接飛んでくることは稀だが、別口で依頼された案件に対処してたら途中から国が噛んできた、というケースはよくある。逆に連中が先に着手した場合には、正式な要請という形でオレは出動せざるを得なくなる。
国の要請は義務であり応じるのが当然である。
一方こちらが自主的に事件を解決するのは、オレが「国家に対して協力的であること」をアピールすることに繋がっている…らしい。
それがどうメリットになるのか、具体的には聞かされてない。
神流によれば、オレが何かやらかした場合に幾分か穏便な対応になる可能性があるとのこと。情状酌量みたいなものだろう。
点数稼ぎという表現はそういう意味だ。
だからどんな依頼であれ、病魔の関係が疑われるものには対応した方が良い。
今のオレを形作ってくれたものと、その環境を守るためには。
「そりゃ分かるけどさ。やっぱ毎回毎回、相手はどんな病魔を抱えてんのかって考えながら動くのは精神的に疲れるんだよ。今回は加えて、下手したらこっちが死にかねないし」
「その心配、お前にあらゆる病魔に対する優位性があってもか?」
「一〇〇パーセントの力を引き出せたらの話だろ、それは。今のオレじゃ五割がいいところだ」
少なくとも、オレは自分をそう規定している。
そうしないと、今のオレが消えてしまいそうな気がして。
「…そうだったな。そういえば」
懐かしい光景を思い出したような顔で神流はつぶやいた。
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