◆初老の警官がとある少女に声を掛ける一〇分前 叶市外縁部の交番にて
「何か言い残すことはあるか」
「待ってまだ何も説明してないのに!」
到着するなりこれである。
四ストロークエンジンを唸らせて大型バイクで交番までやってきた神流は、フルフェイスのヘルメットも取らずに言い放つ。
「こんな時間に連絡を寄越したかと思えば『身元引受人として交番まで来て欲しい』だぁ?全く、怒りを覚えない方がおかしいだろう」
単車から降りてツカツカとオレの眼前まで迫ると、
「んで?何をしたんだ。まさかと思うが暴力沙汰か」
「えぇと確かに暴力沙汰は起きたけどあれは正当防衛で話は通ってて…じゃなくて!オレの特認証が読み取れないから、身分証明ができないと帰せないって言われてさ」
「特認証?…あぁー、そういうこと。それなら電話越しにでも先に言ってくれりゃよかったのに」
無駄に腹を立ててしまったじゃないか、と呆れ気味に言った。
神流はライダースーツのままで交番へ入り、何も知らない体で恰幅の良い警察官に声を掛ける。
「こいつが手間をかけさせてしまったようで申し訳ない。アタシが保護者兼、雇い主の神流玖美子だ。で、アタシは何をすれば良いのかな」
「あ、ええ。彼女の特認証が機能していなくてですね。他に身分証明できるモノも持っていないと言うものだから、身元引受人として呼んでもらったんですよ」
「つまり、こいつの代わりにアタシの素性を確かめる…と」
ハァァー、と心底嫌そうなため息がヘルメットの隙間から漏れる。
観念したようにそれを脱ぐと、どうやって納めていたのか気になるボリュームの茶髪が溢れてきた。
おいコラそこの公務員共、露骨に見惚れてるんじゃねぇ。
「はいコレ。アタシが出せる中で一番信用が得られるやつだと思うんだけど」
財布から無造作に差し出されたカードを受け取ったおっさんが凍りつく。
そんなに凄い内容が書いてあるのか?実は年齢が五〇オーバーの化物だった、とかならオレもビビるかもしれないな。
などと下らないことを考えていると、
「し…失礼しました、神流警部!」
地蔵のように固まっていたおっさんは、神流に向かって敬礼した。
ん、警部…?
神流はため息をつきかけて、寸でのところでそれを堪える。
「そう畏まらないでくれ。権力を振りかざして今回のゴタゴタを揉み消そうってつもりはない。ただ、アタシが真っ当な組織に属していて、許可を得てこいつを連れていることを理解して欲しいだけだ」
「なんだよ神流。アンタ、警察の人だったのか。前聞いたときは研究者とか言ってなかったか?」
「お前は人サマに迷惑かけてる側だってこと忘れてない?」
う。それはその通りなので何も言い返せない。
「まあ何だ、警察組織に伝手がある研究者…くらいに思ってくれれば良いさ。あくまで本業は病魔研究」
「いやいやいや!定食に添えてあるたくあんみたいな扱いで済ませる役職じゃないですよ!?」
「?警部なだけではないんですか」
つまらなそうに応じる神流とは対照的に盛り上がる警官二人。ずっとオレ達を眺めるだけだった若手の兄ちゃんまで話に加わってきた辺り、関心の高さが伺える。
「一年目のお前はまだ知らなかったか。警視庁刑事部特殊捜査課―病魔やそれに比肩する『通常の人間では起こしえない』ような事件の捜査を担う部署だ。病魔そのものに対する情報が不足している現在、刑事部の中でもごく限られた者が選抜されて活動していると聞いていたが…こんなところでその一人と会えるとは思わなかったよ」
後輩にまくし立てるおっさんは興奮気味だ。
一方の神流は相変わらずで、だから嫌だったんだと言わんばかりの表情である。
「それで?アタシの素性は信用に足るものだったかしら」
「は、はい!それは充分に。警部のIDカードも本物だと確認できましたので、身元引受人として認められます。引き留めてしまい申し訳ありませんでした」
それじゃあこれで、と神流がオレ共々引き上げようとしたとき、
「こちら叶市豊中地区巡回中の茂嶋、同時多発行方不明者の一名とみられる少女を確保。リストとの照合求む。氏名はしろさきねじ――」
ブつッ…と気持ち悪い音を立てて途切れた通信が、警官の無線機から聞こえてきた。
機械の不具合か?
いや、おっさんの焦ってる様子からしてそういう類いの異常じゃない。
これはまさか。
「……境、今すぐ無線を飛ばしてきた警官のいる場所に向かえ。彼の身に危険が迫っている可能性が高い」
「了解した。なぁおっさん、今の無線はどこからだ?」
「おっさんじゃない木之下だ!正確な位置情報は分からんが、豊中はここから北東へ進んだ辺りだから―って、おい!」
迷子が道順訊いてるんじゃないんだ、悠長に説明なんて聞いてられるか。
通信が不自然に途切れたのは機器の不調じゃない、ならばシゲシマという警官以外の第三者が邪魔をしてきたということ。
襲撃者の素性も目的も分からないが、神流が指示を下したならばオレはそれに従うまで。もしかすると、今回の爆殺事件とも関連があるかもしれない。
「ここのチャリ、借りるぞ」
ロックが掛かってないのを確認して、オレは返事も待たずに全力でペダルを踏みつけた。
さあ、お仕事の時間だ。
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