必要な栄養がとれて味が付いていれば良い、なんてことを口走る神流はともかく、オレは食事に対してちょっとしたこだわりがある。アレルギーがどうこうとかではなく只の好みな訳だが、あまりに直線的な味付けのもの…ようはジャンクフードの類いは好かないのだ。ハンバーガー好きな連中には先に誤っておくけれど、オレにはアレが食事とは思えない。せいぜいがおやつだろう。例えるなら、絵を描くのに絵の具をチューブから直接塗りたくってるような感覚だ。
そんな訳で繁華街によくあるファストフード店を軒並みスルーして歩いていると、とある喫茶店で目が留まった。
開発が盛んだったこの辺りにしては古めかしい外観で、木製の扉は日焼けとニス塗りの繰り返しによってキャラメルみたいな艶が出ている。かなり前からここで店を開いているとみえる。午後のティータイムにはまだ早いからだろう、中を少し覗いてみても客はまばらだ。
入口の立て看板にはランチメニューも書いてあるし、もしかしたら店主からこの地域の話が聞けるかもしれない。
オレは神流から受け取った現金を確かめると、鈴の付いた扉を押して中に入った。
「いらっしゃいませ。一名様でしたら、こちらのお好きな席にどうぞ」
店主と思しき口髭をたくわえた初老の男がカウンター越しに案内するのに従って、彼のすぐ近くの席に腰を落ち着ける。
「ご注文はお決まりで?」
「それじゃあ…欧風カレーをひとつ」
「かしこまりました」
接客マニュアルなどとは異なる、しかし余裕と丁寧さを感じる対応で注文を取ると、店主はカウンターの隅に立っていたウェイトレスに指示を飛ばした。対照的にどこかぎこちない様子からして、彼女は新人かアルバイトといったところか。
改めて内装に目をやれば、外観と同じく年季の入ったモノがそこらじゅうにあるのが分かる。特に、天井のランプは回転羽が付いた年代物の逸品だ。やや仄暗く調整された照明も相まって、ここが時の流れから切り取られた箱庭のように錯覚しそうだ。
「何か珍しいものでもございましたか」
「いや。そういう訳じゃないんだけど。随分前からやってる店なのかなと思って」
「そうでしたか。ええ、随分…かどうかは判別つきかねますが、ここは私の祖父の代より続いていますよ。当時は洒落た店として営業していたそうですが、今はノスタルジックといいますか…当時を思い出せるような店としてやらせていただいておりますね」
「オレから見て昔に感じる訳だ」
まばらに座ってるほかの客はほとんどがアラフォー以上の奥様方だった。身に着けている装飾品や服からして、旦那があくせく働いて得た稼ぎで優雅な時を楽しんでいるんだろう。
「私からすればお客さんのような年若い方がいらっしゃることの方が珍しく、新鮮な心持ちになりますよ。…この店で若者と呼べるのはアルバイトで来てくれている彼女くらいなものですから」
爽やかな笑顔を向けて言ってくれるが、その表情の内側から溜息が滲み出ているように見える。
昔から変わらない、というのが魅力となることもあるけれど、それは人の知覚では遡り切れない程の「昔」が残っていた場合の話。
歴史も思い出も人の想いの積み重ねに違いないが、重なっている情報の量が雲泥の差だ。故に歴史は数多の人を惹きつけ、思い出は限られたコミュニティでしか伝わらない。
そしてこの喫茶店が紡いでいるのは後者なのだろう、店主の口ぶりからすれば。
懐古する者が消えた先に、残る者は何もない。
「…初対面のお客さんなのに長々と、失礼しました」
そう言ってカウンター越しに置いたのは、陶器のプレートに平たく盛られた白米とルゥの入った魔法のランプのような容器。
「お待たせしました。欧風カレーのご用意ができましたので、どうぞ」
「いただきます。…ん」
ルゥだけを一口運んでみたが、美味いな。味から具材がイメージできるほどオレは肥えた舌ではないけれど、煮込まれた野菜の旨みを感じるカレー…のような気がする。
ライスと合わせた味を確かめるために味覚をリセットしようとして、まだ水をもらっていないことに気付く。
「すいません。水をいただいても?」
「あっ、失礼しました。すぐお持ちします!」
水を…辺りでバイト少女が食い気味に反応してくれる。
元気があってよろしい。
しかし平日で今の時間帯にアルバイトってのも珍しいよな。大学生か?
「…ご主人、最近はこの辺でも物騒な噂が耳に入ってきてるから、彼女の終業時間によっては帰り道を注意してやった方が良いかもしれない」
「それは、どういうことでしょう」
小声で話すオレに合わせて、店主は腰をかがめて少し顔を寄せる。
中身を知った上でとりあえず話を合わせにきたのか、本当に事情を知らずに聞きにきたのかは読み取れなかった。
「どうも、ここの近くで人死にが出たらしい。…ご主人はここいらで見慣れない人間がうろついていなかったか、心当たりはないか?」
「にわかには信じがたい。それに私は――
店主の言葉に意識を傾けていたオレは知る由も無かったが、実はこの時とあるアクシデントがオレの身に降りかかろうとしていた。
それは、
「お待たせしましひゃああっ!?」
バイト少女の間抜けた悲鳴が上がる。
あー。どことなくせっかちそうな雰囲気だったものな、何かしでかしてもおかしくないと思ってたよ。
などと分析している場合かオレ。
彼女のさっきまでの行動を思い返せば、次の瞬間に何が起こるのかはすぐに想像がつく。
すなわち、
「おわっ!冷てぇ!!」
宣言通りすぐに水を持ってきたバイト少女は、すっ転んだ拍子にその水をぶちまけてしまったのだった。
「すみません!すみませえええん!えぇと拭くもの、拭くものは…」
「…まあ只の水だ、そんなに慌てなくて良い。かかったのは袖の辺りだし、上着を脱げば済む話だよ」
放っておいたら土下座でもしかねない勢いのバイト少女をなだめつつ、濡れたシャツをとりあえず脱いでおく。ズボンの方はしばらく待てば乾く程度で済んだのが不幸中の幸いか。
「たいへん申し訳ございません。こちら新品のタオルになりますので、よろしければ――…」
「店長?…――あっ」
二人の言葉に歯切れの悪さを感じて見てみれば、その視線はオレに向けられたまま固まっていた。
正確には、オレの右腕―にある、刺青に。
「……お使いください」
言葉遣いこそ慇懃だが、その瞳には明確な忌避の感情が宿っている。
「ああ、タオルありがとな」
「ひっ!?あ…その、ほ、本当にすみませんでした」
バイト少女に至っては粗相をした以上の恐怖心が露骨に顕れていた。つか「ひっ!?」って何だよ、オレがヤクザ者にでも見えるっていうのか?…見えるんだろうな、実際。世間じゃ裏社会の人間よりも厄介な相手だと思われているフシもあるし。
気付けば優雅だった喫茶店の雰囲気もヒリついたものに変わっている。店員の二人だけじゃなくて、他の客までオレの方を盗み見るようにして何やら声を潜めて話してやがる。
店主から話を聞くどころじゃなくなったな。
これが病魔を抱える者に対する一般社会の現実だ。
発症者のほとんどが精神障害を起こす程度だとか、特認証は政府からの公認だとか、正確な情報を得て理性的に考えればこうはならないはずだが。
身内に発症者が居でもしない限り一般人の耳に入る情報は大抵メディアのもの。そしてメディアが取り上げる話題というのは得てして凄惨だったり衝撃的なものになるから、結局一般人に刷り込まれる病魔患者へのイメージは「おかしな超能力で暴れ出すかもしれない危険因子」に落ち着く。
まだ温かいのに味がしなくなったカレーをかき込み、オレは無言のまま代金を置いて店から出た。
扉が閉まる瞬間、中から安堵の溜息が聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
全く、溜息つきたいのはこっちだってのに。
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