◆二〇〇三年 四月二十五日 香美栖高校昇降口
「おかしな所は何も無かった…よねぇ」
放課後。
D組の生徒から情報を得たものの、それ以上の進展が無かった私はため息混じりに呟く。
昼休み、吉井の友人に礼を言って自分の教室へと戻った私は、真っ先に教卓の出席簿を手に取った。
本当に誰かが神隠しに遭っているなら、名簿と座席を一つ一つ見比べていけば「名簿上は出席扱いなのに姿を見ていない」人が浮かび上がるはず…と思っていたのだけど。
「何回チェックしても分かんなかった…全員、今日顔見た覚えがあるし…」
結果は芳しくなかった。
試しにクラスメイトの机を順繰りに数えてみても、クラス全員ぶんの四〇個。数は揃ってるし、鞄が掛かっていたり筆記用具が置いてあったり、全部に何かしら登校している痕跡があった。
つまり完全に手詰まりである。
午後の数学の間も色々考えてみたけど、あのとき感じた違和感の方がおかしいとすら思えてくる。
このまま考え続けても埒が明かないので、今日はもう帰ろうかと昇降口まで行くと。
「………あれ、別谷くん」
下駄箱を前に神妙な面持ちで立っている別谷くんがいた。
どう声を掛けるべきか、もっと悩むと思っていたけど、実際に会ってしまえば驚くほど自然に言葉が出てきた。
「ね、そこで何してるのよ」
「…等々力か。別に何も。下駄箱の数を数えてただけだ」
「それ、何もしてないって言えるの?」
つっけんどんながらもきちんと答えてくれる辺り、人の良さが滲み出ていて私は内心でほくそ笑んだ。
同時に、下駄箱の―すなわち生徒の数を数えるという行動が昼休みの自分と重なって見えて、思わず訊ねてしまう。
「もしかして…さ、神隠しの噂のことで何か調べようとしてる?」
「―――、―」
質問を口にしてから私は後悔した。
オカルトが嫌いだと聞いたばかりなのに、その後に会ってすぐの話題が胡散臭さ百パーセントの噂話なのは流石に失敗だ。
ああもう、思ったときには既に動いちゃってるこの癖、本格的にどうにかしないとまずいかも。
私の脳内反省会をよそに、ひとつため息をこぼした別谷くんから意外な言葉が返ってくる。
「どうしてそう思う」
「え、えっと…私もその噂のことで気になることがあって、クラスの人数を数え直したりしてたから、やってることが似てるなーなんて」
「なるほどな。ならお前の意見を聞かせてくれ、オレたちのクラスは全員で何人だ?」
「そうだよね違うよね、ごめん!また私の思い込みで――って、へ?」
今、なんと?
「何言ってんだ?お前。いいから二年B組の人数、答えてみろよ。当たり前だけど生徒だけだぞ?教師はカウントするな」
「あ、うん。ウチのクラスは四〇人だよね」
「やっぱりそうか…となるとコレはいよいよ…」
てっきり「んな訳あるか!」「またその手の話か、シッシッ!」なんて不興を買うものだと思っていた私は面食らってしまう。
そんな私をほったらかしで自分の思考に没頭する別谷くん。
「ちょっと、一人で勝手に納得しないで説明してよ。何が『やっぱり』なの」
「その下駄箱を見て、何か気付かないか?」
「下駄箱って…」
香美栖の下駄箱自体はそう特別な造りをしていない。
金属製の各個人の靴箱は外履きと上履きが入る二層構造になっていて、鍵はかからないけど扉が付いている。
その靴箱が縦に五個、B組は四十人だからそれが八列並んで……あれ?
「九列目の最上段までがウチのクラスに割り当てられてる?どういうこと?」
「つまり二年B組は四十一人のクラスってことだろ」
「え、でも…」
「ああ。お前は何の疑いもなく四〇人だと思っている。お前だけじゃない、オレも未だにクラスは四〇人で構成されていると思ってる――思い込んでいる」
そう。奇妙なことに、私は目の前にある下駄箱の配置の方がおかしいんじゃないかと思い始めている。
「実物は四十一個の靴箱があるにも関わらず、な」
「待って、今数え直すから。一、二、………」
一旦落ち着こう。
先頭から順番に、飛ばしたりしないようゆっくり数えていく。
「三十八、三十九、四〇!…四〇?」
九列目最上段を指した状態で私は硬直する。
数え損ねた靴箱は無かったはず。
おかしい。
一番おかしいのは、九列目最上段を指しながら四〇と口にしたという事実をおかしいと感じられないことだ。
「オレも試した、何回やっても同じだよ。どうやってもオレたちの認識上はクラスメイトが四〇人ってことになるらしい」
「い…意味が分からないんだけど!」
「簡単な話さ。神隠しはオカルトでもなんでもない、実際に起きている現象ってことだよ」
下駄箱を指差しながら別谷くんは確認するように説明する。
「計算で論理的に考えれば四十一マスあるのは間違いない。なのに一つひとつを順番に数えようとするといつの間にか四〇丁度で数え終わるようにズレている。オレたちの認識そのものがおかしくなっているんだ」
別谷くんがあまりに真面目な調子で語るからすんなり飲みこんでしまいそうになったけれど、突拍子もない話だった。
算数的に考えたら四十一あるはずのものを、二人の人間が何度数えても四〇にしかならないなんて。
こんな現実離れした現象が本当に起きているとしたら――。
「もしかして、神隠しの原因は病魔である可能性が高い?」
深呼吸するようにゆっくりと別谷くんが頷く。
「その仮説が正しいとするなら、今もB組の誰かが、何者かの病魔によってオレたちの意識から消されている…ってことになるな。病魔の効果が消されたその一人じゃなく、オレたちのような周りの人間の認識に向けられていると考えれば、この人数の不一致も説明できる」
「けど、病魔を発症してるその人は一体何のためにそんなことを…」
「さあな。もしかすると制御の効かない発作なのかもしれないが、それにしては今までの被害者が女子生徒だけってところが気になる。……いずれにせよ他人を巻き込むような病魔にロクな奴はいないだろ。手遅れになる前に見つけるぞ」
「見つけるって、犯人を?それに手遅れって」
「なんだ?被害に遭った奴から話を聞かなかったのか。神隠しに遭った生徒はそれまでと全く違う、地味で大人しい性格になってたんだ。仕組みは分からねぇが、それまでの人格を失うほどの仕打ちを受けてるとみた方が良い」
「そんな……」
昼休みに話を聞いたとき、吉井の友人は彼女の振舞いをいつも通りじゃないと言った。
それが如何に異常なことか、私は今になって理解した。
「加えてこれだけ周囲に勘付かれないまま犯行を実行できる奴だ、探して見つかるような相手じゃないだろう」
「じゃあ――」
「神隠しに遭ってる誰かさんを見つけるんだよ」
別谷くんは踵を返して、校舎内へと戻りながらそう答えた。
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