オレがその言葉の意味を解する前に、答えの方からやってきた。
「あれ?他にはまだ誰も来てないんですね、藤堂先輩」
「等々力――――!?
「ああ、今回呼んだのは等々力さんだけだからね。この場には私と君だけだ」
二つの衝撃が立て続けにオレの思考を襲う。
ひとつはあまりにもタイミングよく等々力がこの場に来たこと。
もう一つは、彼女にオレの存在が気づかれていないことだった。
「等々力、なあ――
「私だけ?ということは前の尾行依頼みたいな、個人的なお話ってことですか」
――本当に見えてないのか――
「そんなこともあったな。まあ、そうだね。前回同様、委員会のこととは別件だ」
――ああクソッ…おい!等々力に何をするつもりだ!?」
オレを無視して進行する会話に苛立ちが募る。
肩を揺すってみても等々力の反応は皆無だ。
縁が、「等々力ひなたから見た別谷境」の縁が無かったことにされることで、等々力の中でオレの存在そのものが消えたっていうのか。
アイツはまだ何も知らない。
藤堂が神隠し事件の犯人であること。
そして恐らく、等々力が人質として第二特教に呼ばれていることを。
「呼んだのは他でもない、別谷のことで、君の意見を聞かせて欲しいんだ」
「もしかして、彼が停学から復帰できる可能性が見えてきたんですか!」
目を輝かせる彼女に、藤堂は頷いてみせる。
「君から見て彼はどうだろう。例えば、自分がいいえと答えたら大切な人間を失う…そんな要求を突きつけられた時、別谷は何て答える奴だと思う?」
――――!!
今、奴はオレを見て言った。
オレに向かって宣言している。
私の要求を呑まなければお前は等々力を失うぞ、と。
「なんだか心理テストみたいな質問ですね」
うぅん、と呑気に考え込む彼女を見て思う。
それが本当に心理テストだったなら、もしもの話ならどれだけ良かっただろう。
「プロファイリングの真似事だよ。別谷境という人物像を周囲のレッテルに惑わされず正しく認識し、先生方が警戒するような危険性は低いということを伝えるためのね」
奴が等々力の首元に凶刃をあてがっている姿を幻視してしまう。
神隠しの病魔に他者を直接的に傷つける能力は無い、とは藤堂本人の弁だが、奴の説明を一〇〇パーセント信用することは最早できなかった。オレに語っていない未知の要素で、等々力の命か、精神を刈り取ってしまうかもしれない。何せ奴が「特定の誰かに対する縁を無かったことにする」力を持っているのは事実なんだ。人を殺めたとて、被害者にまつわる縁を全て断ってしまえばその凶行が露見する可能性は極めて低い。
「別谷くんが何て答えるか、かぁ……」
等々力が思案中なのをよそに、藤堂は強気な笑みを浮かべてオレを顎で促す。
早く答えろ、ということらしい。
この状況下でオレに残された手段を考える。
藤堂の要求を呑む――奴の手駒となり、奴の私刑を幇助することを意味する。これはオレの願いに反することだが、等々力は助かるかもしれない。
藤堂の要求を断る――何らかの手段で奴が等々力に危害を加えることを意味する。そんなことは絶対に選べない。
人質を助け、二者択一から逃れる――これができれば迷わず選んでいた。だがこんな展開、ご都合主義の作り話でなきゃ不可能だ。
オレに状況を打破できる都合の良い能力は無いんだ。相手を置き去りにできる俊足も、弱点を見抜く慧眼も。
あるのは自分でも制御が利かない、周りに暴力をまき散らす病魔だけ。
喧嘩慣れして培われた多少の打たれ強さや、人を殴ることへの躊躇の無さは、等々力を守りオレの我を通すには役立たない。
ならば、オレの選択は…。
逡巡し、苦渋に塗れた返答を口にしようとして――
「……うん。『わからない』ですね」
――――。
喉から漏れかけた言葉が、引っかかる。
「意外だな。香美栖で最も別谷に対する偏見から遠い位置にいるはずの君が、分からないとは?」
「だって、別谷くんがどう行動するかは、彼自身にしか決められないことですから。私がどれだけ想像を巡らせたって、それは別谷くんの答えじゃない」
…ああ、まったくお前っていう人間は。
呆れるような、安心するような、どちらともつかない温かな感情がオレの内に湧き上がる。
「先輩は、偏見に染まっていない人間の意見を期待して私に訊いてくれたんでしょうけど、」
等々力もまた、藤堂に対してきっぱりと言い放つ。
「訊く相手を偏見の有る無しで選んでいる時点で、先輩も別谷くんのことを偏見ありきで捉えていませんか」
「…………」
「彼がどう決断するか知りたいのであれば、直接訊くのが一番だと思います」
その、直後。
背中を冷たいモノでなぞられたような寒気が全身を襲う。
悪寒の源は探るまでもない、藤堂だ。
「…もういい。時間切れだ」
抑揚の無い声でそう言うと、等々力に向かって左掌をかざす。
「先輩…?」
「恨むなら君を見捨てた別谷にしておくといい。これはあいつの選んだ結末だ」
オレは直感した。
いや、もしかするとオレに巣食う病魔の共感覚が知らせたのかもしれない。
奴はその病魔を――「縁の切り継ぎ」を振るうつもりだ。
それだけは、等々力に危害が及ぶことだけは許せない。
これは返答に詰まったオレが導いた状況。
たとえ都合の良い力が無くとも、オレにできる全力を使って守る義務がある。
なあ、おい。
病魔よ。
せっかく奴の予兆を気付かせてくれたんだ、このまま黙って見過ごすつもりは無いんだろう?
己の内に問いかけると、脳を直接揺さぶられるような衝撃が全身に走った。
――クラエ
「う、く…!」
――くらえ、喰らえ、クラえ、食らえ!!
今まで感じたことのない衝動が脳の中を、精神を駆け巡る。
オレという意識が巨大なメイルシュトロームに呑まれ、滅茶苦茶にかき混ぜられ、「喰らえ」という衝動に塗り潰されそうになる。
けれど。
冷たい潮流のただ中、オレの意識に寄り添い温め続けてくれる光があった。
そうだ、この輝きがあればオレは自分のかたちを確かめることができる。
オレは光を抱きしめて、病魔がもたらす衝動の渦潮に身を任せた。
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