一日中屋内にいると、時間感覚が鈍ってくる。
窓にブラインドをかけた神流の事務所ではなおさらだ。
「…もうこんな時間か。ひなた君、門限は――無くなったんだったな」
「そうですよ。私は自由を手に入れたのです」
「とはいえまだ未成年だ。今日はウチに泊まっていきなさい」
「いいんですか?」
「構わないとも。もちろん、境が寝ているこことは別の部屋を用意して…どうした」
「なんでもないです」
むぅ…。と頬を膨らませる等々力は明らかに不満げな表情だったが、神流はその意味を察した上で無視することにした。
「このビル、実は一階が来客用の寝食スペースになっていてね。次の話がひと段落したら一緒に降りて準備しよう」
そう言って神流はコーヒーの代わりに紅茶の入ったマグカップをあおる。もちろんティーバッグ式の簡単な紅茶だ。適当な神流は湯に浸してじっくり待つなどということはせず、台所に転がっていた菜箸でガシガシしごいて作っていた。中の茶葉に物言う口があったら悲鳴を上げていただろう。
「さて。社会に戻された病魔罹患者が忌避されているという話だが、そもそも病魔に対する忌避感が何に起因していると思う」
「ううん…、正体の分からなさ、ですか?」
「それも要因の一つだね。人間はとかく得体の知れない存在を怖がる生き物だから間違いじゃない。でも、もっと直截的なものがある」
「それは?」
「彼女らの中に顕れる、異常能力――異能だよ」
等々力の脳裏に別谷の姿が浮かぶ。
三年前、二人が高校二年生だった年の春。
自分の眼前でかばうように構える別谷と、黒い炎に覆われた彼の右腕が。
「爪が刃物並みに硬く鋭く変化したり、ゴルゴンの怪物みたいに髪の毛が自在に動かせたり、触れたものを何でも溶かしたり…現代の科学では理屈を説明できない超常現象を突然彼女たちに与えるのも病魔の側面だ。そして現状、今まで確認されてきた異能はどれもが容易く人間を傷つけ、場合によっては殺す威力を備えている――というのは君もよく知っているな?」
等々力は黙して頷く。
「また、罹患者の振りかざした異能によって実際に人が死んでいるというのも事実だ。んで、そういった『異常な』事件はしつこく報道が成されるだろう?絶対数で比較すれば交通事故での死者数の方が圧倒的に多いし、発生割合でみても飲酒運転による死者よりは少ない件数であるにも関わらず、内容の凄惨さや報道の繰り返しによる刷り込みから罹患者というカテゴリ自体に『危険』という印象がつく。これが直截的な忌避感に繋がるわけ」
「それって、オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こした結果、新興宗教全体に対して『危ない組織』というイメージがついたのと似ていますね」
「社会心理学ではカテゴリー化という、人間の認知方法による弊害だな。まあ正直な話、病魔罹患者が女性だけとはいっても異能が発現してしまえば男女の差なんて無いも同然だし、発現する内容も原因も分からないんじゃ、罹患者全体をまとめて隔離させるくらいしか被害を未然に防ぐ方法はアタシにも思い浮かばない」
後手に回らざるを得ない「科学」の限界だな、と神流は自嘲する。
「発現する異能は、本当に全く予測不能なんですか」
「全く、というわけではない」
科学の基本は帰納法だ。
多くの具体例から共通する要素を取り出し、抽象概念まで昇華させるのが帰納法であり科学の歩み方である。
すなわち、
「異能の症例が集められてきて、仮説レベルの法則性なら見えてきたところだ」
「さすが神流さん!病魔研究の第一人者の名は伊達ではないということですね」
目を輝かせる等々力に「あくまで仮説よ、個人的な印象レベルのね」と念を押す。
「発現する異能、すなわち末端の結果に差異があるということは、同じ病魔罹患者の間に差異を生む要素があるということ。隔離病棟で罹患者と接していくうちに、その要素は彼女たちのメンタリティにあるんじゃないか…そう感じたの」
「罹患者の性格、ですか」
「性格もあるし、趣味嗜好である場合もあったな。さっきの例で言えば、爪の娘はその内面が飢えた獣のような渇望に呑まれていた一方で、髪の娘は髪の毛に対して異常なまでの執着があった。数値化できない上に一般性も無いから理論と呼ぶには遠く及ばないけど、アタシとしては彼女たちの内なる願望、あるいは無自覚な欲望がカタチを伴って表面化しているのが異常能力なんじゃないかと思ってる」
「それが分かっているだけでも凄いと私は思うんですけど…」
「現象と内面の繋がりが読み取れないケースもあるからな。まだまだ荒削りだよ」
そう語る神流の視線は、この場にはいない何者かに向けられていた。
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