◆二〇〇五年 六月十三日 叶市某所
「はっ、はっ、はっ、はあっ…はっ――」
わずかの明かりも無い暗闇の中に、荒い息づかいと地を蹴る足音がこだまする。
迷路のように狭く入り組んだ道を走るのは一人の少女。
「はあっ…はあっ、痛っ!?」
金属片か何かを踏ん付けてしまったらしい。
鋭い痛みに顔をしかめるが、片手で足の裏を払うだけで再び走り出す。
よく見るとどこかの高校らしき制服を着ているが、その生地はあちこちに破れや裂け目があった。
「止まってる場合じゃ…ない。逃げないと…」
続きは口にしなかった。
この逃走に失敗すれば自分がどんな末路を迎えるか、彼女は嫌というほど目にしてきた。
(あんなの、人の死に方じゃない…あんなことやってる集団だって気付いてれば、こんな目には)
有り体に言って、彼女は軟禁されていた。
そこは人身供物となった人間が放り込まれる場所。部屋というより空間で、意外なことに頑丈な扉や壁のようなものは無かった。そのうえ身体に拘束の類は一切無く、自由に歩き回ることはできた。
なのにどうして逃げ出せなかったかと言えば、そこに肉食獣すら凌駕する脅威がいたからだ。
日がな一日寝ているかと思えば、欠伸をするくらいの気軽さで人を殺す。
いや、殺すという表現も適当ではない。
彼女の抱いた印象は「処理」だった。
そんな存在が、何故だか今日は姿を見せていなかった。
これが罠なのかどうか、なんて考えるよりも早く体は本能で動いていた。
物音を立てないようにローファーを脱ぎ、初めは衣擦れを起こさないようゆっくりと。そして「あの場所」を出た刹那、彼女は全力で走り出したのだった。
あれからどのくらい走っただろうか。
体育会系でもないため既に息は上がってバテ気味だが、それでも歩みを止めずにいると薄明りが視界に入ってきた。
どうやら表通りの街灯らしい。
「結局、アレは何だったのかな」
目前の恐怖から離れたことで、ようやく思考する余裕が出てくる。
彼女がアレと呼ぶ惨劇は、実際に目撃した彼女でさえ理解の及ばない現象が絡んでいた。
「…何が神の御業よ。バカみたい」
自らの体験ごと吐き捨てるように呟く。
悪い夢でも見ていたんだ。
さっさと忘れよう。
そんなことを考えながら路地裏を出ようとした少女は、背後から聞こえた足音に背筋を凍らせる。
「そうね、本当、馬鹿みたいよね」
「ッ――――!?」
この声を知っている。
どうしてここに、いや、問題はそこじゃなくて。
「別に美味しい獲物でもない貴女のために私がこうして出迎えに来なくちゃいけないなんて…馬鹿らしいと思わない?」
声を。助けを呼ばなくちゃ。
口は動くのに、喉が思うように動いてくれない。
「ふぅん、だんまりってワケ。…それとも喋れないのかな?まぁどっちでもいいんだけどさ」
それか、今すぐ駆け出せば。
足に命じているのに、筋肉は震えるばかり。
「うふふ……残念でした。せめて、少しは私の足しになってね」
悪魔の食指が、少女の体に触れる――――
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