◆二〇〇三年 四月三日 香美栖高校二年B組
ここ二日間彼を観察して気付いたことがある。
別谷境くん―配布された名簿に載っていた名前だ―が登校初日に見せたあの態度。あれはどうやら私のことが嫌いでやったのではなく、誰に対しても同じような壁を作っているらしい。いや壁というか、あれは最早電気柵って感じだけれど。関わり合いに来たら怪我させるぞ、という意志すら感じるものだった。
もうひとつは、彼の名前を聞いたときの既知感について。
一昨日の私は全然気付かなかったのだけど、別谷境という男子生徒は不良として有名だった。どんな不良かと言えばそれは昨年度、他校の学生を相手に殴り合いの喧嘩をして問題になった回数が、片手の指では収まらないという逸話からも窺い知れよう。それで名前だけが一人歩きして、私の耳にも入っていたというわけだ。
始業式のあの朝、教室の入口で私が彼に手を差し出していたのをクラスメイトたちが見て唖然としていたのはそれが理由だったらしい。
そんな別谷くんなので、教室内で同じ部活同士や去年同じクラスだった者同士の仲良しグループが誕生していく中、彼はずっと一人だった。
ただ、わたしが彼に感じた印象は皆が言うのと少し違って――
「なーにぼうっとしてんの、ひなた」
「麻里、おはよ。うーん、ちょっとね…考え事」
「どうせまた別谷のことなんでしょソレ」
周りに聞こえないよう耳打ちしてくる井瀬麻里は去年に引き続きのクラスメイトだ。
次のホームルームまでの休み時間で、私の席まで来たようだ。
「よく分かったね」
「分かりますとも。あたしがひなたを見たとき、ほとんどあいつの方を眺めてるんだもの。ほんと、そういう所去年と変わらず、変わってるよね。…あ、もしかして似た者同士として気になってるとか?」
「そういうんじゃないよ。というか、私が変わり者だって言うなら、そんな私とわざわざお喋りに来る麻里もなかなかの変人になると思うんだけど?」
「ふふーん。あたしは基本的に誰とでもお喋りするのが好きなのだ。特別ひなたとだけってわけじゃないから、その変人カウントはノーカン!」
手首だけで小さくセーフのジェスチャーを披露する麻里。
大丈夫、安心して。そういうことをオブラート包まずに笑顔で言える貴女はきっと普通じゃないから。
「けどそう言う麻里でも彼には話しかけたりしないのね」
「うー、そこを突っ込まれると苦しいけど、やっぱり自分の身に危険が降り掛かりそうな相手とはねぇ…」
「ね、そう言うけどさ、ホントに彼ってそこまで暴力的なの」
「そりゃあたしもこの目で喧嘩してるところは見たこと無いよ。無いけど、生活指導の先生から何度か呼び出し食らってたのは事実だからさ」
「ふぅん…そうだったんだ」
「一昨日も言ったけど、あたしら一年の間では結構有名だったんだよ?香美栖に不良がいるって。ひなたなら去年の時点で興味持ってそうなのに、珍しいこともあるんだーって思ったな」
不良、か。
別谷くんが本当に不良なのかどうかはさておき、珍しいと言えば、そういった暴力沙汰の噂話そのものが香美栖高校では珍しい。国立大学への進学率の高さをウリにする程度には進学校であるためか、香美栖に在籍する生徒の気質も結構おとなしい傾向があるからだ。
「っと、いけない。もうホームルーム始まるじゃん」
「委員決めとかするんだっけ」
「そそ。んじゃまたねひなた!」
その気質を証明するかのように、休憩の終わりを告げるチャイムが鳴り始める頃には、彼を含めた全員が自分の席に戻っていた。
つまらなそうに、でもきちんと席について待っている姿はとても不良らしくない。
やっぱり私には、彼を噂通りの性格だとは思えなかった。
「全員いるね?そしたらホームルームを始めます。知っての通り今日で委員会や席順等々、色々を決めてもらうんですけど。まー皆さん二年生ですから、各委員が何の仕事してるとか説明は要らないと思うので、どんどん決めていっちゃってくださいよろしく」
担任の川滝教師は入ってくるなりそう言うと、教卓の椅子を隅に移動させて座ってしまった。
あとは自分たちでやってくれという意思表示らしい。
「あ、学級委員だけは先に決めないと進行役がいないか。では…はい、このクラスを牛耳る権力が欲しい人ー」
もうちょっと婉曲的な言い方はできないものか、文芸部顧問よ。
「男子が一人か。女子で自薦する奴はいないか?」
どんなクラスにも一人はいる、小集団を仕切ることが好きなタイプが男子にはいたらしい。
立候補があるのは良いことだ。彼以外の男子は内心胸をなで下ろしているだろう。
なぜなら自薦が無い場合、次に求められるのは、
「それじゃ他薦でもいいんで、女子で学級委員やってくれる人は…」
「…」
「――…」
ここで生じる無言の会議。
一年である程度互いを見知った者同士、誰がどんな役回りに向いているか、誰になら押し付けても良さそうか。
そんな思想を孕んだ視線が高速で教室中を飛び回り、やがて総意がつくられていく。
「…、あの、私やります」
今回はクラスの総意を向けられた一人が手を挙げることになったらしい。
などと、まるで他人事のように語るのは、私がこういった女子のコミュニティと縁遠い人間だからだ。
「お、そうか、ありがとう。そしたらここから先の進行は学級委員の二人に任せるよ」
「はい…」
「わかりました、不束ながら頑張ります!」
最初から距離を取ろうとは思ってなかった。でも入学して間もなく、この香美栖にも中学と同じ村社会の如き集団意識があるのを感じて、私はその集団を避けるようになった。
なぜなら彼女らはコミュニティから外されることを何より怖れて、自分の心を身体の奥にしまい込む。コミュニティ内で生まれる総意を正とし、それに反発することを悪とする。
そんな、周りの顔色を窺うような高校生活に、私は何の魅力も感じない。
だから自分の心に正直に、主張したり行動した。
「では残りの六委員…美化、保健、図書、風紀、行事実行、選挙管理も決めていこう!保健、風紀と行事実行は男女一人ずつ、他は同性の二人でやっても大丈夫だ」
「おれ行事実行ー!」
「あ、ずりーぞ俺もだ」
「ちょっと、早いもの勝ちじゃないんだから順番に決めて――」
その結果私は、どの女子グループにも属さない一匹雌狼となった。
今や、麻里以外に私と他愛もない世間話をしようとする女子はいない。
とはいえその状態を苦痛に感じたことは無いので、これはウィン・ウィンの関係と言えるだろう。
ワイワイガヤガヤと盛り上がるやり取りを遠巻きに眺めているうちに、次々に委員は決まっていった。
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