世間を揺るがせた王太子婚約破棄事件が、ほぼ自分の書いた筋書き通りに終息した事を確認したエセリアは、この間、ある意味自分以上に暗躍していたと思われる兄を、自室に呼び出した。
「やあ、エセリア。自分の無実が証明され、縛りが無くなった自由な生活の気分はどうだい?」
入室するなりナジェークが発した、些か能天気にも聞こえるその問いかけに、彼女は苦笑の表情で自分の向かい側のソファーを手で勧めつつ、皮肉交じりの口調で応じる。
「おかげさまで最高ですわ。王太子殿下の婚約者などという面倒な肩書が無くなった今、活動の手を色々と広げたいところですが、その前にまず真っ先に解消したい疑問がありますの」
「おや? 何かな?」
「この期に及んで、しらばっくれないで貰えますか? お兄様の、意中の方に関してのお話です。この前の建国記念式典の時に、全て事が片付いたら教えてくださると仰いましたよね?」
そう言いながら(この期に及んで誤魔化そうとするなら、容赦しないわよ?)という気迫を醸し出しつつ睨んできた妹に、元より隠し通す気は無かったナジェークは楽し気に笑った。
「分かった分かった。洗いざらい白状するよ。これから父上に話をして、先方にも正式に申し込もうとしようとしているのに、エセリアの機嫌を損ねたらご破算にされかねないからね」
「まあ! 何て仰りようですか。私、そんな底意地の悪い小姑などに、なるつもりはありませんわ」
そこでエセリアが軽く拗ねてみせ、ナジェークが苦笑しながらそんな妹のご機嫌を取っていると、ここでエセリア付きの侍女であるルーナが彼の前にはお茶を、エセリアの前には紙の束とペンを静かに揃えた。
「……相変わらず有能だね、ルーナ」
「恐れ入ります。様子を見てお茶はお代わりをお出ししますが、喉に良い飴の類や軽食も、すぐお出しできるように準備してありますので、必要ならいつでもお声をかけてくださいませ」
「うん……、ありがとう。本当にエセリア付きだと、色々凡庸ではいられないのだろうね」
ナジェークは(これはエセリアの気の済むまで、相当根掘り葉掘り聞かれる事になるのだろうな)と覚悟しながら、一応確認を入れた。
「エセリア。君の知的好奇心を満たす為に、私の秘密の恋人の話をするのは構わないが、その話をそのまま本にするつもりなのかい?」
「それは話していただけた、お話の内容にもよります」
「そうか」
「聞いた範囲の内容だけで充分に萌える内容でしたらそのままで、大して面白くないのなら、盛って盛って盛り上げて一大恋愛代叙事に仕立て上げてみせますわ! これぞ作家の腕の見せ所ですわね!」
「…………」
ルーナは思わず俯いて溜め息を吐いたナジェークと、その反対側で「おーほっほっほっほっほ!」と高笑いしているエセリアから、無言で視線を逸らした。
「エセリア、頼む。本にする場合、色々な方面に差し障りが出る可能性があるから、固有名詞や設定は容易に察せない程度に変更してくれ」
「勿論です。それ位は常識ですわ」
至極当然のように断言されて、ナジェークの溜め息が深くなる。
「……時々、エセリアの常識について、もの凄く問い質したい事があるよ」
「御託は良いですから、いい加減、さっさと話してくださいません?」
「分かった。それではまず相手の身元だが、ガロア侯爵家のカテリーナだ。お前もクレランス学園在学中に、何度かは面識があると思うが」
催促されたナジェークがさらりと口にした名前を聞いて、エセリアは一瞬固まってから目を見開いて絶叫した。
「“あの”カテリーナ・ヴァン・ガロア様ですか!? れっきとした侯爵家令嬢でありながら騎士科に所属されて、今現在、近衛騎士隊で勤務されておりますわよね!? 王妃様をお訪ねした時、後宮で何度かお見かけした事がありますし!」
「そう、そのカテリーナだよ」
苦笑いで頷いた兄を見たエセリアは、驚きが通り過ぎた後は唖然とした表情になり、次いで不気味な笑みを浮かべながら、含み笑いを漏らした。
「うふふふふ……、お兄様? 今日のお夕食は兄妹水入らずで、こちらで頂きましょうね?」
「できれば父上や母上と一緒に、食堂で食べたいものだな……」
夜までぶっ続けで話をさせられそうだと悟ったナジェークは、妹に抵抗する事を完全に諦め、ほぼ五年前に遡るクレランス学園入学以来の、自分と彼女がしてきたあれこれについて語り始めた。
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