聖所には、鉱脈が眠っているらしい。
その噂が流れた直後から、ダン商会が沼に詰めるようになっているという。
地盤が脆弱なためにどうやって掘削するのかで揉めているようだ。
ナールが解決に動いている。
ギンナルは息を潜めているようで、表舞台には出ていない。
フリオが薦めた表通りの喫茶で軽食をとるアスレイは、出されたスープを掬い口元に運ぶ。
東大陸原産の香辛料が効いている。
西大陸も作物は豊かなのだが、東大陸のような舌を痺れさせたり、呼吸器官がおかしくなるものはない。
また天宮では、海に面した紺碧の国リートレ地域付近でしか魚介は流通していない。
東大陸には魚介が多方面に流通している。
マーガの保存技術だけでなく、氷山であり冬の国、永久凍土アルビオンの恩恵が大きいだろう。
比較的大陸の中心に位置しているので、絶妙な保存庫となっているのだ。
ところが、店のものによると、最近アルビオンからの供給が滞っているらしい。
どうも魔獣が出たというのは眉唾ものではあるのだが、事実、仕入れに影響があるらしい。
そもそも保存庫としての役割が高いアルビオンであるが、他には輸出の目玉が無い。
近年はその役割をマーガ達に取られてしまったとかで、少しずつ輸出量が減っていた。
ここ一ヶ月は激減したらしい。
それでも今に今すぐ食料が無くなることが無いだろうと危機感が薄いのは、今が冬ではないからだ。
シビルは何処にいるか知らない。
別れてから、どこか違う街に行ったかもしれない。
それもいいだろう。
午前中図書館に寄ってから役所に行き、昼食をとる。
たまにサガンがそこにやって来て、一緒に昼食をとることもある。
その後、市場で夕食と朝食の買い出しをするのが、このところ習慣になっている。
アスレイは食事を終えて店を出ると、路地から金の髪の女が飛び出してきた。
ディアドラだ。
明らかに様子がおかしい。
金髪を振り乱して呼吸も乱れ、右手に何か握りしめたまま表通りを行ったり来たりしている。
そして此方を見るなり固まった。
「どうかしたのか」
「剣士様…」
ディアドラが近付き、握りしめた右手を差し出す。
そこには小さな紙切れがあった。
アスレイはそれを受け取る。
「アリーシャがいなくなったんだ。返してほしければ、あんたを連れて来いって」
「権利書とは、この前言っていた事か?」
ディアドラの言葉を遮り、問う。
差し出された紙切れには、権利書を持ってこいと要求されている。
「多分、墓の権利書、だと思う。昔、あたしの恋人が信者でね。聖所に通ってたから、ゲメトの沼の墓所には肉親が眠っているんだ。八年前に死んだ両親と、あたしの恋人の墓。疫病で皆死んじゃって、あそこの僧侶、マルヴさんが埋葬してくれたんだ」
「僧侶は引きこもっていたんじゃなかったのか?」
「え、そんなことないわよ。そういえば、あのときは薬を探しに各国を旅してて、なかなか帰ってこなかったけれど。殺されるまで、結構留守にしていることが多かったのよ、あの聖所」
ディアドラはきょとんとしている。
多少違和感を覚えたアスレイは、しかし、明確にはその違いを指摘しなかった。
「だから、多分、ダン商会よ。あいつら最近沼で何かしてるらしいじゃないか。全く裁判官の手先はやることが汚いよ」
ディアドラは金髪を掻きあげて、自嘲気味に嗤う。
罠(ブラフ)の可能性を考えるアスレイの冷めた目線。
それには全く意識がいっていないディアドラは、構わず続けた。
「アリーシャはたった一人残った肉親なんだ。あんたには悪いが、一緒に来てくれないか」
ディアドラが真摯な眼でアスレイに懇願する。
どちらにせよ、アスレイの選択肢は一つしかない。
「それで解決すると良いがな」
断られる覚悟もしていたのだろう、ディアドラがほっと胸を撫でおろす。
そして彼女は、「此方だよ」と、道案内を始めた。
街外れまで出て、しばらく歩くと葦の群生地に出る。
以前サガンと来た時より、その道程は短かった。
人一人が漸く通れるような道を進んだこともあるし、馬車の時はぬかるんだ土地を避けていたからだろう。
「さっきの話だが、僧侶は本当にここ最近ノクスの聖所にいなかったのか?」
「え、僧侶様は引き籠っていらした…ええ、そうよ。でも、薬を探していらした。だから驚いたのよ、殺されたって聞いて」
「街には降りてこなかったのか」
「滅多に見かけなかった…と思うわ」
行きがてら、僧侶の話を聞いていたが、どうもディアドラの話は不安定だった。
確信をもって話していたと思ったら、あやふやに、曖昧な表現をする。
ディアドラ自身が、なぜなのか思案している風だった。
やがてゲメトの沼に入り、足元がぬかるむ。
人の気配はない。
確かここ最近はダン商会が毎日地質とにらめっこをしているという話だったが、人っ子一人いない。
ただ、沼地には足元に乱れた靴跡がある。
それだけで、不気味なほど誰もいなかった。
墓所に入ると、沼で見たような靴跡の乱れがふつりと途切れた。
足跡が残りにくい地質なこともあった。
聖所への方向に靴跡はいくつか見られたが、正確な痕跡は分からない。
墓所の中心まで来ると、ごとり、と大きな音がして、アスレイは立ち止った。
ディアドラも同じく、音のした方を注視する。
そこにはなにもなかった。
いや、墓以外には何もなかった。
目の錯覚か、墓が震えている。
否、地面の一部が震えていた。
おそるおそる近づこうとして、やめた。
なにかが飛んだように見えた。
飛んだのは、土だ。
震えて盛り上がった土がひび割れ、棒のようなものが飛び出す。
棒の先はよく見れば細かく割れている。
それは手だ。
生者のものとは違うと、一瞬で分かった。
生者にしては、筋が見えすぎている。
白い、筋が。
認識と同時に二人は無表情で顔を見合わせ、刹那、足に力を込めた。
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