異世界転生者になろう! だなんてバカなこと言ってないで勉強とか仕事しろ、と言われた男の話。

下間 悠
下間 悠

01 令和初日に死ぬようだ

公開日時: 2020年10月5日(月) 20:40
更新日時: 2020年10月5日(月) 20:53
文字数:5,107

こう言うのも面白いかなと思って始めてみました。

「おお、これはまた、特に見るべきところもなさそうなしょぼくれた男が来たものじゃの」

「なんだいきなり、失礼な奴だな……」


 薄明かりに包まれた、何もない空間。

 俺は長い黒髪を持った、ワンピース姿の小学生くらいの童女に、顔を見ただけで罵倒されていた。

 喋り方は子供臭くないと言うか、いわゆる「のじゃロリ」ってやつらしい。 


「なんだと言われても困るがの。どう説明したらいいものか」

「ひょっとして、神さまってかい?」

「そうじゃな、途方もない話と思うかもしれぬが、わらわは神さまじゃよ」


 直感的にそう思った。

 ここはあの世、もしくはこの世とあの世の境目で、俺は死ぬ運命にあるんだなと。

 なぜなら現実に俺は、死ぬような目に遭っていたのだから。



 実りの少ない人生を歩んできた、と今になって思う。

 ここで言う「今」とは、まさに俺がトラックに撥ね飛ばされ、路肩のガードレールに体を叩きつけられ、おそらく体の骨が数本、あるいは十数本折れて、後頭部と眉尻はぱっくりと割れて血がどくどく流れ出し、口の中が血反吐と吐瀉した昼飯が混じったもので充満され呼吸も怪しくなり、痛みなのか麻痺なのか感覚はないがおそらく下半身は大便小便なりを失禁しているであろう、まさに今である。


 元号が平成から令和に変わり、新しい時代の幕開けとなった5月1日、夕方のことだ。


「ミナヤキくんお疲れさん、連休はどこか行くの?」

「いえ、金もないし家でゴロゴロするか、せいぜいパチンコに行くくらいですねえ」


 勤務終了、タイムカードを押すときに、同僚から声を掛けられる。

 ナチュラルに名前を間違えて覚えられているが、いちいち訂正はしない。



 俺こと皆焼鎺(ひたつら はばき)は勤めていた派遣先の工場で休日出勤を終えて帰宅の途上にあった。

 さて左の肩と腰が痛いが祝日だから近場の病院は閉まっているし、駅前の赤ちょうちんに行ってアホみたいに濃いカルピスハイ(焼酎もカルピスも濃い。むしろ炭酸水の成分が一番少ない)を飲みながら50円の焼き鳥でもかじりまくるか、などと考えながら職場から最寄駅へ至る県道の横を歩いていた。

 この道路は交通量が多い割に上下一車線ずつで、なおかつ歩道が完全に整備されていない。

 道路脇には立派な日本家屋や新型の分譲住宅や建て売り家屋が立ち並んでいる。

 こいつらが土地を変に侵食しているせいで道路の拡幅が全く進まねえんだな、と200回くらい繰り返した感想を頭の中に抱きながら、駅前大通りの横断歩道に差し掛かる。

 信号は青だった、確かに青だったんだ。

 ていうか職場でもないのに青信号を指差し確認して渡ろうとしたくらいだから確実に青だったよ。


「どこ見て運転してんだ。イカれてんなこいつ」


 横断歩道に突っ込んできた2トントラックにぶつかる直前、俺は不思議と冷静にそんなことを思っていたのは確かだ。



 で、体のあちこちがぐちゃぐちゃになっている俺だが。

 自分が事故に遭って死にかけているという自覚を持ちながら、もう一つ、自分の意識が二つに分かれたような不思議な感覚のまま、ぼんやり光る謎の空間で、謎の童女と対峙している。

 幽体離脱……なのかもしれないが、現実の駅前交差点脇で、瀕死になって血反吐とか血尿とか垂れ流している俺自身の感覚もそれなりに実感があるのが不思議だ。

 痛くもかゆくもないが、俺の体と命が今まさに崩壊して、終わっていく途中だという、どうしようもない虚無感が俺の全身を満たしていた。


「確かにそれほど特筆すべきことのない人生だったかもなあ……」


 なんとなく現状を理解し、諦めや達観の境地に至る。


「歳は39か。おぬしの国ならひとかどの仕事を成したり、家庭を持って妻子を守ったり、そういう立場にあってもおかしくない年頃じゃろう。しかし独身で、職も転々としていたようじゃな」


 呆けている俺の年齢その他のプロフィールを、童女の神さま(仮)が確認する。


「まあ、そうな。なんとなく生きてて、気付いたらこうなってた。まあそういう運命なんだろうさ」


 青信号を渡って撥ねられて死んでるんだから、親には保険金がそれなりに入るだろう。

 ひょっとすると跳ねた運転手と裁判沙汰になるかもしれない。

 親父もお袋もいい歳なので、厄介な裁判なんかで残りの余生を苦労して過ごしてほしくないなとは思った。


「そのことに後悔や、やり直したい気持ちはないのかの?」

「なんだ、やり直させてくれるのかい。今流行りの異世界転生とかそういうアレで」


 童女の質問に半笑いで質問を返す俺。

 いかんな、疑問文に疑問文で答えたらとある筋の人たちからめっちゃ切れられてしまう。


「何をバカなことを言っておるのじゃ。おぬしの人生をやり直すかどうかという話をしておるのに、いったいどこから異世界だのと言うわけのわからない話が出てくる」

「はあ、ごもっとも。でも正論ばっかり言ってると嫌われるぞ」

「うるさいわ。わらわは、まあ神のようなものじゃぞ。少しは敬え」

「あいにく仏教徒なもんでな……」


 そもそもこの童女、見た目が可愛いだけで神さまらしい威厳が全くない。

 可愛いは正義であり絶対的価値とも言えるがな。


「ああ言えばこういうやつじゃのう。それで、どうなんじゃ。おぬしの人生、やり直してみようという気持ちはないのか?」

「え、なに、言葉の通り、やり直すってことか? 小さい頃とか、生まれた頃から?」

「まあそうじゃな。昔に戻ってやり直したいことがあるなら、そこまで時を戻してやらんこともない」


 スゲエな、マジで神さまじゃん。

 しかしそこで、素朴で大きな一つの疑問。


「なんで俺にそんなことしてくれんの? 俺、なにか神さまに選ばれちゃうようなことした?」

「特に理由などないわ。単なるわらわの気まぐれじゃ。死にかけの人間を一人、こうやって拾い上げて、人生をやり直す機会を与えると言ったらどういう反応をするのかと興味があったから、とでも言おうかの」


 それがたまたま俺だっただけかよ。


「宝くじみたいなもんか。じゃあお言葉に甘えて、人生やり直させてもらいますわ」

「じゃから、さっきから言うようになにか未練とか、過去に戻ってでもやり直したい明確な目標みたいなものがあるのか、それを聞いておるんじゃろうが」


 なにげに条件細かいな。

 どうせランダムで選ばれただけの存在なんだから、そんなのどうでもいいだろうと思うが。 


「そうだな、若い頃や小さい頃に戻れるなら、もう少し真人間になって、仕事や人間関係を充実させて、満足のいく死に方をしたいもんだね」


 自分の人生を振り返ってみて、うむ、特に何もなかったと言うのが実にふさわしい。

 いや、生きてりゃそれなりに色々あったのは確かだが、俺はその「色々あった経験」を大事にしないまま時間を過ごしていたんだろうなとは思う。

 今まで辞めた会社の中にも、きっといい会社はあったんだろう。

 今まで付き合って別れた女の子の中に、きっとものすごくいい女がいたんだろう。

 今まで勉強したり経験したことの中に、きっと世の中でスゲー役に立つようなことや、とてつもない大金を生み出すようなアイデアが存在したに違いない。

 俺はそれらを大事にしないでこの歳まで生きて来たから、大したことのない人間のまま交差点で撥ねられて死のうとしてる。

 死因は完全な事故だし俺は青信号を確認して渡ってるから悪くないはずだが。


「漠然とした話じゃが、そういうことならわらわからおぬしに一つ、贈り物をやろう。それを手にした状態で若返るがいい」

「なんだい、転生時ボーナスのチート能力ってやつかい」

「なんじゃそれは」

「知らないならいい」


 通じなかった。


「おぬしはこれから過去に戻り、人生をやり直すことになる。その時のおぬしは、今のおぬしよりちぃとばかり、勤勉で他者に気を遣う人間になっておるじゃろう。今よりほんの少し、と言う程度じゃ。根本的には今のお主と変わらん」

「え、この記憶を持ち越したまま、学生時代の勉強とかをやり直さなきゃいけねえの? 面倒くせえな……」


 今更テスト勉強とか絶対無理だぞ。酒飲んで寝るかパチンコ行くわ。


「そのあたりはなるようになるじゃろ。むしろなんとかしろ」

「ひでえ。ブラック企業の上司みたいだ」

「では勉学に、仕事に、余裕があればそれ以外にも必死に努めながら、二度目のおぬしの生を満喫するが良い。戻りたい年頃、年月を頭の中で強く思い浮かべるのじゃ。次に意識を取り戻した時が、新しいおぬしの人生の始まりじゃ」


 空間全体を包んでいた光が一層強くなり、童女の姿も認識できないほどになる。

 その光に包まれながら俺は自分の意識が薄くなっていくのを感じた。

 ああ、もう過去への遡りが、始まってるのね。


「いきなりだなー。もう少し心の準備とか、考えをまとめる時間をくれねーのかよ……」


 そんな愚痴を吐きながら、俺はどこまでさかのぼって欲しいかをすでに決めていた。

 今日、俺が一回目の人生を交通事故で終えた日は令和元年の初日、5月1日。

 そんな縁もあってか、過去に戻って人生をやり直せるなら、あの日が良いかなと直感で思ったんだよ。



 目が覚めると、布団の中だった。

 部屋の空気が冷たい。室温がかなり低いんだろう。

 確認しよう。さっきまで俺は2019年、令和元年5月1日の夕方を過ごしていたはずだ。

 その日その時、何やらおかしなことがあったのは確かだ。

 なにがあったのか記憶があいまいだが、何故か頭の中に強く刻み込まれていることがある。

 今日、今、俺が迎えているこの朝、寒い室内での目覚めは「令和元年の5月ではない」と言うことだ。

 そしてこの天井を知ってるぞ。

 この布団の感触も知ってる。

 ああ、約31年ぶりってことか。

 むっくりと布団から起き上がり、寝室のドアを開けて右の階段を下りた先にダイニングテーブルがあることを確認する。

 おおう、身長も足の長さも違うから階段を下りるのがおっかねえぜ……。

 食卓にはほとんど白髪のない俺の両親が朝のニュースをテレビで見ながら座っていた。

 画面にスーツに眼鏡のオジサンが映った。


「新しい元号は、平成であります」


 俺がそう呟いて食卓に座った数秒後、テレビの中のおじさんが「平成」と筆字で書かれた色紙を構え、俺と同じ台詞を発した。


「鎺……お前、なんで知ってるんだ?」

「今まで、どこのニュースでも言ってなかったわよね……?」


 驚く両親の顔を直視せず、俺は瞳にあふれる涙をこらえながら、トーストと目玉焼きと牛乳をかきこんだ。


「父さん母さん、おはよう」


 そして明日からよろしく、2回目の平成。

 昭和の終わりか平成の始まり、俺はここから2度目の人生をやり直すことになると、何故か強く確信していた。

 なぜそんな突飛なことを確信していたのか理屈はわからない。

 しかし、なにかの力でそうなっているということだけ、何故か強く理解できるのだ。


「しかし『平成』か……そういう時代になってくれればいいな」

「本当にねえ」


 朝のテレビニュースでは、各局が昭和天皇崩御と平成改元の話題ばかり流れている。

 それを見ながら親父とお袋が不安げなコメントを発している。

 はて昭和末期、平成の初めにそんな物騒な事件があったかなと、両親が渋い顔をするのを無視してテレビのチャンネルを回しまくった。

 そのうち一つのテレビ局だけ、崩御改元ではない別の特集を流していた。

 

「また『異世界転移者』か? 銀座に突如現れた銀鎧の女騎士に迫る!!」

「1月6日未明、東京都中央区銀座4丁目交差点に、強い光と共に銀色の鎧に身を包んだ女性が現れました」

「各地で発生している『異世界転移現象』の一種である可能性が高い、と捜査当局は発表しています」


 朝からそんなニュースを見せられても、どういう表情をしていいか俺にはわからない……。

 いやこれニュースじゃなくてバラエティ番組ですよねきっと。

 そう思ったが、映像を見て溜息をつく親父が、続けてこう言った。


「鎺の学校にも、ほら、なんと言ったか……エルフとか言う子が、向こうの世界から来たんだろう。特に問題なくやってるのか?」

「えぇー……」


 クソ真面目を絵に描いたような親父がこんな冗談を言うわけはないので。

 うん、俺が今いるこの31年前の日本は、どうやら俺が知っている31年前の日本ではないらしいな!

 そんな感じで、令和の記憶を持ちこしているアラフォーのオッサンこと、皆焼鎺。

 31歳ほど若返って平成初日(厳密に言えば今日はまだ昭和64年の1月7日だが)人生をやりなおすことになった。

 しかしここはちょっと、俺の記憶にある31年前の日本ではないようだな……。

 どうなるのかは全く分からないが、なにかをしなきゃいけないんだろうな、という想いだけは、何故か強く胸の中で熱を持っていた。

 とりあえず親孝行と勉強、かな。


 今の俺、小学生だし。

次回予告

「わが校に、転移者であるエルフ女子児童に対するいじめは確認されておりません」

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