赤い赤いオストリカ!

七つの旅
小和マリア
小和マリア

序章 冷凍夏季

レッドレッド・ブルーグリーン その1

公開日時: 2020年12月19日(土) 02:15
文字数:4,105


 数時間後の来訪者を知り、私は現実へと立ち返った。

 欠伸を吐きながら目覚めの悪さを呪う。

 あう。

 今朝は、ちょっと油断した。まさか起こされると思わなくて夢をいくつか千切って持ってきてしまった。屑みたいな火種だけれど、放置しておくと後々厄介なのですぐに棄却した。体がうまく機能しないのはそのせいで、私の朝の弱さに拍車がかかる。ぐわぁんと脳を直接揺さぶられたような吐き気が起きて、視界の歪みはそのまま現実との境界線を曖昧にする。

 しかも、たいして綺麗な夢じゃなかった。

 ちょっと昔の焼き直し。

 ファイアー・サンダー・ビッグバン! 

 真面目に本気だったけど、結局ただの大惨事。

 的な。

 あー、あー、嫌な記録。レッちゃんお弁当忘れてるわよー、みたいな優しさで持たせてくれたにしてはサプライズが過ぎませんか。

 どういうセルフいじめ? 

 まあ、まあ、うまいこと生きてこなかった自分が悪い。

 天国は空にある。地獄は振り返った先にある。

 はい、はい、絶不調。どうせいつものことですよーだ。

 反抗的な脳内懺悔を済ませながら、見た目だけはきちんと整えて寝床から這い出る。廊下に出ると誰もいない屋敷いえが微かにざわついている。「ほら、ほら。はしゃがないでー。おかーさん頭痛いんだから」テンション高い家具から先にちょん、ちょんと指示を与えてやると、単純にも張り切って自己研鑽に励みだした。洗濯機はそこらの服に手を伸ばし、冷蔵庫は期限切れのおかずを生ゴミ袋に詰め、本棚は並び順を出版社順に五十音で並べだす。

 さて。

 お客さんが来るのは実に半世紀ぶり。私は私で表の花壇に水をやり、玄関で散らばった靴を揃え、念のため裏庭の土いじり。どこを見ても恥ずかしくない屋敷にしときましょう。

 正直、あまり良い予感はしないけど。




   1


 摂氏三十一度。どこまでも広がる青空には夏らしい積雲が浮かぶ。

 堤防にしゃがみ、海を眺める男を見つけた時それが目当ての人物だとすぐにわかった。ハーメルン。そう呼ばれる運び屋は近づく私に気づくと、品定めをするように目を細め、足元にあった黒単色のキャップを目深に被った。

 男は軽装であるものの、その全身を黒で埋め尽くす。上下とも丈の短い服の裾より先は加圧シャツとタイツで覆い、猛暑のなか手袋まで嵌めた徹底ぶりで、唯一肌を晒す頭部だけが中空に浮いているような印象を受ける。キャップと長い前髪のせいで顔つきがわかりづらいが、思っていたよりも若々しい。伝え聞く話からして老人でもおかしくないのだが、この見かけではどれだけ老けていたとしても三十半ばくらいで、そうなると私とあまり変わらない。

「やあ。上から失礼……」

 地上の私を見下ろしながら、男はキャップのつばに軽く触れて白々しく不躾を詫びた。

「運び屋さんかい」

「いかにも。俺が噂のハーメルン」男はやはりそう名乗ると私を見下ろしたまま、跳ねるように伸びた襟足を撫でた。「そいで、あんたはかの悪名高き『殺戮宣言』……」

「おい」

 凄みをきかせると、ハーメルンは高く笑い、キャップをさらに深く被り直した。私の正体を知ったうえでなお、深くから覗いてくるような目つきに鋭さの衰えは見えない。

「はは、少しからかってみたんで……」

「良い度胸だな、ハーメルン。腕の一本くらい失くしても仕事に支障はないか」

「そりゃあ支障だらけだ。仕事にならねえ。……ケケ、別に皮肉で言ってるんじゃねえよ」悪かったよ、と言いながらハーメルンは微笑を浮かべ、ズボンのポケットを探ると所々破れて欠けた紙を取り出し、眺めた。手のひら大の紙に視線を落としたまま、私に解説する。「身構えなくてもいいよ。こいつはただのメモでね、依頼があればここの端っこに書いておくのさ。だから、あんたがどんな依頼を寄こしたのかこいつで確認を……ええと、『二〇二〇年七月十六日 正午 橋渡し ラジオ・パークフィルム』……ラジオ・パークフィルム。これがあんたのいまの名乗りかい」

「ハーメルン。あんた、いま内容を確かめているのか?」

「おうとも。なにか問題あるかい? ……ケケ、大丈夫さ。バックレやしない。くだらない奴ならまだしも、天下の『殺戮』……いや、パークフィルムさんだったね。あんたの頼みごととあれば、何処から、何処へでも……ってね」

「お道化たやつだ。『――何から何まで。何処から何処へでも』。聞いたところによるとそれがあんたの信条らしい。客が誰だろうが興味はないのだろう」

 ハーメルンはケケ、というどうやら癖らしい獣じみた笑いを吐くと、海を向いた。

 堤防は海岸線に沿い、ずっと伸びている。ハーメルンは私に背を向けたまま言う。「ここは良い町でしょ」

 県の中心地から百キロ弱離れたこの町は、背後に抱えるなだらかな山脈一面に柑橘畑を広げ、そうして採れた果物を出荷することで何とか成り立っている。西側に広がる海もかつては漁場として隆盛を誇ったらしいが、人口が激減した今では漁をする人間はいない。私たちのいる場所から堤防伝いに進むとそのかつての港湾があるが、空き家まじりの家々に囲まれ、苔まみれになった船着き場でロープに繋がれたまま腐っている船の残骸が浮いている有様。

 緩やかに死んでいくこの町を指してハーメルンが『良い町』だとしたのは、それでも他と比べればまだマシだから。

 心なしか肩の沈んだハーメルンの背中からは、かつての賑わいを知る者だけが纏う痛ましさが感じられた。

「パークフィルムさん。これまでに日本に来たことがあったかい」

「何度かは。だが大抵の用は都心部にあったから、こういう場所へは……」

「寂びれてるだろ」

 ハーメルンはいっそ快活に、嘲るように笑って言った。

「それでも、人の人たる営みを最低限度保っている町さ。もはや世界でも珍しいくらいだが……ここよりのぼっちゃ、駄目だね。世界でもって、そういう意味じゃこの国は最後の砦でもあったんだが、先日ついに心臓を機械仕掛けにすり替えちまったらしい。馬鹿なことをしたもんだよ。誰かに折られる前に自分のほうから折れちまって」

 楽園行きに必要なのは、そんなことじゃないのに。

 ハーメルンはどこか、海よりも遠くを見据えるようにして呟いた。

「さて」ハーメルンはスイッチを切り替えるように膝を打つと私向きに首だけで振り返った。「話が逸れちまったな。仕事の話に戻ろう。さっき、あんたの依頼はどこまで読んだかな」

 ハーメルンは再びメモに目をやり、最後まで確認したところでにやりと意地悪く口角を吊り上げた。

「『橋渡し ラジオ・パークフィルム 目的地』――『レッドレッド・ブルーグリーン』……本気かい? あの、イカれたほうの魔法使いに会いたいと?」

「詮索は控えてもらいたい」

 私が言うと、ハーメルンは意味ありげに鼻を鳴らして口端を歪めた。

「まあいいや。元から俺も、お客の事情には興味ねえタチなんで……俺の仕事はどこまで行っても、運ぶだけだからな」

 それが無駄口の最後だと、はっきりわかった。ハーメルンはすでに表情から笑みを消しており、むっくりその場で立ち上がると、ちょうど日の陽射しを背負うようになった。

 キャップのつばが作る影で、ハーメルンの顔は完全に黒く隠れた。いや、元々の服装も相まり、もはや輪郭すらもあいまいな影そのものとして目の前に恐らく在る。

 骨が消え、肉は溶けた。それなのに残ったただの影。

 異形としての威圧感はただの運び屋が放つ類のものとは思えない。相対した者が正常まともであるほどてられてしまうだろう。

 だが――あいにく、生まれてこの方正常であったことなど一度もない。

 私は平時と変わらぬ心境で、曰くつきの影と対峙する。

「ラジオ・パークフィルム」ハーメルンの声が目の前の影から聞こえた。影はゆらゆらと揺れながら、アスファルトから立つ陽炎を取り込む。「あんたの依頼はこの『ハーメルンのふえ吹き男』が承った。何処へなりとも、俺が運ぼう。……しかし、今回の依頼は単純な輸送とは違う――此方こちらから彼方あちらへの橋渡しだ。移動手段は『空間転移』になる。故に、道中のあんたの安全は保障しかねる――が、送り届けるという役目だけは必ず果たす」

 喋り終えたところで、太陽が雲に隠れた。影に落ちていた姿形が徐々にはっきりとしていく中、ハーメルンは破顔していた。キャップを深く、目元を覆うくらいにまでつばを下ろしながら言う。「――なんてな」


 人差し指を二本用意して、頭の横っちょにぴたりと触れます。そうしましたら、三分弱であら不思議、気になるアノ子のイメージが膨らんでくることうけあい。

 屋敷の掃除を終えまして。お空の調子も伺いまして。今日は一日晴れだそうで、もう少し時間がありそうなので、我が第二の玄関でもある砂浜の手入れでもしておきましょう。

 海藻がもつれた流木は元の場所くにへ。プラスチックは即時焼却デストロイ。ガラスの小瓶レターは回収して就寝前の楽しみに。小銀河が渦を巻くのは、綺麗なのでそのままに。

 そうこうする間に膨らむイメージ。二人分の人形ひとがたが虚像として浜に棒立ち。

 一人は、見知った顔。小生意気なふえ吹き男。真っ黒なアイツがやってくる時点ですでにフキツ。私の島で口笛でも吹こうものなら、保証されたはずの今日の天気だって怪しくなる。そんなことになったら嫌なので、ううん、そうだなあ。ちょっとリターンしてもらおう。

 虚像に凸ピン。光速三千倍で吹っ飛んで、三十六回の時空間移動をこなしたものの、着地点結局隣町。

 若干力んだのは先日の礼ということで――とかなんとか、あとでメールしておこう。

 問題はもう一人。どうやらメインはこっちみたい。

 ううん。

 皺の寄った眉間は男らしくて格好良い。傷だらけの肌が物哀しい。長身痩躯、一部欠損。あっちだって真夏だろうに、地面まで届くロングコートとはこれいかに。ゴールドの髪とブルーの瞳はかわいいけれど、透かして見えた経歴がほとんど死神という不健康さ、どう見ても私のファンじゃない。だってほら、ハートの表面に『八つ裂きなう』とか書いてある。

 ああ、この人ってあれ。座右の銘が辞世の句って感じ。

 そしてそれが、『八つ裂きなうブレイク・スルー』?

 ほら、やっぱり、良くない予感当たってる。

 このタイミングでの来客が鏡写しの試練だなんて、ご時世にしたって恣意的すぎます――。


 




 

 

 

 







 

 

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