「ねえねぇ、カナタぁ~~」
釈然としない意識の中、ふと体を揺さぶれるような感覚に陥る。目を見開いた先、視界に真っ先に入ってきたのは俺の体に馬のりになった少女の姿だった。
「どーした、カドルサム?」
「……どうしたとかそういう問題じゃないにゃ。今が何時だと思っているにゃ?」
彼女の額から生えそろった大きな猫耳がピクピクとわずかに上下している。
「果たして今が何時であろうと眠いことには変わりないんだニャ。だからヘイ、カドルサム。一時間後に起こしてー」
「猫でもないお前がその語尾使うと不自然だにゃ。また、そうやって二度寝に入って……。じゃ、その一時間後とやらに備えて爪をじっくり研いで待っているから」
……目を覚ますどころか永遠の眠りについてしまいそうな、いわば殺害予告である。
「わかった、わかった。起きますよー!!なんだかいつになく必死だな、お前」
「お腹がすいてるからにゃ!! ……まったく、せめてそんぐらいは察してほしいにゃ」
声を荒げる否や、ベットにそのままダイブ。たちまち、うつ伏せの姿勢から寝返りを打ち、顔を覗かせる。窓から降り注ぐ日差しが彼女の浅葱色の瞳に光を灯していて、とても可愛らしい。
俺はベットから起き上がると、覚束ない足取りでキッチンへと向かうのだった。
♢♦︎♢♦︎
普段から料理をすることがないので、今日も相変わらずキッチンは汚れている。料理で飛び散っただろう油染みに、コンロの周りに所々見られる焦げた跡。最後に料理をしたのはいつだろうか。
「あれ? おかしいなー。ここらにしまっておいたはず……」
普段から料理をする機会がない俺にとって最も世話になっているであろうもの、それがこの貯蔵庫である。しまいこんだものの鮮度や温度をしまった当時そのまま保っておいてくれる代物だ。街に出掛るが度、料理をテイクアウトしてこの貯蔵庫にしまい込んでいる。
そんな今日この頃、貯蔵庫を漁るばかりの俺は、少からず違和感を覚えていた。それは、昨日買い込んでしまっておいたはずのドーナツがどこにもないのである。
「昨日、家で食べちゃったっけ……?」
と昨晩のことを思い返してみるが、まったくもってそんな記憶は一切ない。
昨日は、立て続けにクエストを受けて疲れていたのもあって、家に帰ったらすぐに寝ていたはずだ。
「カドルサムー、俺って昨日ドーナツどこにしまったか覚えてるか?」
「……買ったことそのもの気のせいじゃないかにゃ? 少なくともドルドル(一人称)は、そんなの知らないにゃー」
「そうだったかなー」
そうは言うものの、そのはずはない。この部屋に漂っているドーナツの甘い匂い。これは確かに昨日、俺がドーナツを買ってきたという証拠である。
「この匂いからして、今この部屋のどこかにドーナツがあるのは確かなんだけどな」
「そんなはずはないにゃ。そんなことより、お腹が空いたから早くしてほしいにゃん」
「そんなことよりって、あのドーナツは一日15個しか販売されない限定品で巷で美味しいって評判なんだぞ」
「……じゅるり」
ソファで横になっているカドルサムの口元がほんの一瞬、食欲にそそられて緩んだような気がした。
そりゃ、そうだろうな~。数時間並び続けてようやく手に入れた一品だ。美味しいに決まってる。
「カドルサムも食べたいってことに変わりないんだろ? なんなら、探すの手伝ってくれよ~」
「そんにゃこといって……ドルドルは知らないのにゃ」
ぷいっと視線を逸らしてソファの上でうずくまるカドルサム。一見興味がなさそうな反応を示した彼女だが、実はこういうとき、彼女のしっぽを一目見ればどんなことを思ってるか丸分かりなのである。
何か嬉しいことがあったり動揺しているときには、尻尾が波打つように動くし、何かに怯えていたり悲しんでいるときには尻尾がしんなりとする。これはいわば、彼女の癖なのだ。
今、彼女の太い尻尾は波打つようしなやかに動いている。尻尾が揺れ動く度に白い粉末のようなものを振りまきながら……。
ん? 白い粉末のようなもの……?
ソファに近寄ってそれが果たしてそれが何なのか確かめようとする。彼女の界隈に漂う甘い匂い。試しにその粉末を手に取って舐めてみた。
口の中に入れた途端、舌の上で薄く広がるように溶けていく甘み……
「うん、砂糖だコレ」
ソファに手を掛けてそっと立ち上がった。今、目の前で波打つようにしなやかに動く彼女の太い尻尾。その表面では無造作に散りばめられた砂糖がきらきら輝いているように見える。
「まさか、コレって……」
察しがついた俺は彼女に気づかれないように息を殺して彼女の尻尾へと顔を近づけていった。この甘い匂いはそういうことだったのか……。
「……いただきます」
小さく手を合わして彼女の尻尾を精一杯頬張る。一口サイズのドーナツなのでこれくらいがちょうどいい。
彼女は俺が尻尾にかじりついた途端「にゃ!?」という声を上げ、全身に震えを走らせた。
彼女の尻尾を伝って震えが伝わってくる──。
「そ、そこを攻めるのは反則にゃぁ……」
力なくしてカドルサムはソファの上から転がり落ちていく。今に床に叩きつけられてしまいそうなとこらをドーナツをモグモグしながらキャッチ。
「反則ってもそこにドーナツがあったからね……。お仕置きみたいな感じかな」
「てっきりドーナツを尻尾にはめておけばカナタに気づかれないだろうと……ごめんにゃさい、もうしません……」
ぐでーんと伸びきった体を抱え込まれながら、涙交じりの瞳でカドルサムは必死に訴えかけてくる。
後日談。
二人は仲良くドーナツ屋台に向かったそうな。
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