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「おーい、カドルサムー。起きろー」
ようやく冷静さを取り戻す。一時期は彼女の身を心配していた俺だったが、いらぬ心配が先走りしていたようである。実際、俺が思うように彼女が何らかの病にかかって倒れたわけでもなかったし、彼女は脱衣所でただ眠っていただけだった。引き続き彼女の体を揺さぶって、起こすことを試みる。
「う〜ん、カナタぁ……どうしたのにゃ?」
体を揺さぶられてむにゃむにゃ……。片手を脱衣所の床についてゆっくりと起き上がる。その顔には眠気がまだ残っていていて、他愛のない表情だ。
「珍しく自分からお風呂に入ってくれたと感心してたのにな……、まさかこうして脱衣所で眠ることがお前の目的だったんだな」
「……仕方なかったのにゃ、カナタを説得することはできなそうだったから」
「なんでお前はそこまでしてお風呂に入ることを嫌っているんだ? 猫にしてもお前は水が嫌いなわけじゃないし、他に何か理由があるんだろ?」
「そ、それはっ……」
はにかむような表情を浮かべ、俺の視線を反らそうとするカドルサム。口元を手で覆い隠してモジモジする様子から見てやはり理由があるのだろう。しっぽも吊られて揺れ動いていた。
「話してくれ、別にお前のことを攻め立てるつもりはないから」
「そっ、そう言ってくれるのなら……」
俺のその一言で安心を覚えてくれたのか、カドルサムは上目遣いで俺のことを見上げる。そうして今にも消え失せてしまいそうな声でそっと呟いた。
「……実をいうと、一人でお風呂に入ることが怖いのにゃ」
「お風呂に入るのが怖い? それはまたどうして?」
「この前、興味本位でギルドのククに怖い話をしてもらったのにゃ。合わせ鏡からお化けが出てくるってお話で、それからというものお風呂の鏡からお化けが出てくるんじゃないかと怖くなってきて……」
彼女がお風呂を入ることを嫌う理由に思わず納得である。普段からマイペースでときどき生意気を抜かしてくる彼女だが、年齢的に言えばお化けや幽霊といった心霊現象を恐れるのがこの年頃。確かに俺も十に満たない頃、一人でお風呂に入ることが怖くて妹と一緒に入らなければ気がすまなかった。この気持ちは分からなくもないと、やがては一つの結論へと至る。
「じゃあ、一緒に入るか」
「ほ、本当かにゃ!? 一緒に入ってくれるのかにゃ!?」
「ああ、確かにお化けが怖いという気持ちは死ぬほど分かる。事実、俺は今でもぬいぐるみがなきゃ、一人で眠ることができないからな」
「……それはシンプルに気持ち悪いのにゃ」
”類は友を呼ぶ”とはこういうことなのだろうか。
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「これで安心してお風呂に入ることができるのにゃ。ありがとうなのにゃ、カナタ」
俺に感謝の気持ちを伝えてシャワーヘッドからお湯を出そうとするカドルサムだったが、シャワーがその身に降り掛かった途端その場に勢いよく寝転んだ。何があったんだと心の中で思わず呟く。
「冷たっ!! シャワーが冷たいのにゃあぁぁ……!!」
「ーー何やってんだ、お前は」
不意打ちを受けてその場で寝転び続ける彼女に代わり、シャワーヘッドの元へと駆け寄る。この家のシャワーは水道管の出口に取り付けられた二つのカランを調整してお湯を調整するタイプのものだ。
カドルサムがカランを捻った後を見てみると水が全開になっていた。カランを上手く調整して水を暖かくした挙げ句、彼女にへとシャワーを浴びせる。
「ああ、生き返ったのにゃー。まさに恵みの雨……」
ムクリと起き上がった彼女を見届けて、シャンプーを手にとり髪を泡立てる。カドルサムも俺に続いてシャンプーを手にとって髪を洗い始めた。健気にせっせと髪を洗う彼女の姿からは、小さな子どもの気質を感じさせる。
そうして彼女はシャワーで頭を流す。俺より後に洗い始めたはずなのに、ずいぶんと早く終わるものだなあと考えていると、彼女はバスルームの片隅に置かれていたバスチェアを持ってきた。たちまち、持ってきたバスチェアに足を乗せて俺の頭髪に手を添える。
「ん? 洗ってくれるのか、何だか悪いな」
俺の一言にコクリと頷くと、彼女は小さな手で俺の髪をモコモコと泡立て始めた。
「こうして人に髪を洗ってもらうのは何年ぶりだろ……。お母さんに洗ってもらったとき以来かな? なんだかとても懐かしい感じがする」
カドルサムは気にする様子を見せず、俺の髪を泡立て続けている。しばらく経った後、そんな彼女がふと声を上げた。
「ーーできたのにゃ、見て見てカナタぁー」
あまりの心地よさに目を瞑っていた俺は彼女の言われるがまま、目を開く。鏡に映る彼女は華やぐような笑みを浮かべておりとても楽しげだ。
「見てって何を見ればいいんだ?」
「髪型のことにゃ、髪型!! 気づかないのかにゃ?」
彼女の言うとおり、視界を上げる。その視界の先、鏡に映る俺の髪にはシャンプーで髪を寄せ集めて作った猫耳のようなものがあった。
「これは、猫耳……? 猫耳なのか?」
「そうなのにゃ!! これでカナタもドルドルとお揃いなのにゃ」
子どもの頃によくやった遊びにこうして巡り会えたことに思わず頬が緩む。一瞬、子どもに戻ったような感覚に囚われて嬉しかった。しかしその反面、もう彼女のような子どもに戻ることができないという切なさもあった。
「……フフッ、お揃いだね」
子どものように微笑んだ。そんな俺が普段見せないような一面に驚いたのか、一瞬思考が止まってしまったカドルサム。しばらくはそんな感じだったが、やがて彼女も俺に合わせて微笑み返してくれた。。
しかし、この先俺を待ち構えている問題はただ一つ。
それはいつこの髪を流せばいいのかである。
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