14時過ぎに次の目的地である田原坂公園に向かうために、秋庭と侑斗は11時過ぎに綾の照葉大吊橋を後にした。
車を運転しながら秋庭は侑斗に「次の田原坂公園までの所要時間って何分かかるって言っていたっけ?」と聞き始めると侑斗は「高速道路などを使って最短でも2時間48分はかかるとありますね。」とかかると思わず秋庭は「長いね、長すぎるよ。」と苦言を呈してしまったのだった。
それを聞いた侑斗は秋庭に「最初のスタートが鹿児島でも薩摩半島の南部に位置する南九州市ですからね、そこから鹿児島寄りの東諸県郡綾町に移動するとしても2時間30分はかかる。さらに東諸県郡綾町からいま僕達が向かおうとしている熊本市も距離があるから2時間50分がかかる。いずれにしても総移動距離だけでも凄いことになりますよ。」と説明すると、秋庭は侑斗に思わず「心霊弾丸出張だな。」と呟くと侑斗は「いやいや、市長が考えたプランなんて心霊弾丸って言えるほどのハードなスケジュールではないと思いますよ。僕なんてつい最近関西ローカルの心霊ロケの番組で朝は和歌山に行って、昼は三重に行って、夜は愛知に行ってその日のうちに静岡に行って泊まるというハードな心霊ロケがありましたからね。あれを乗り越えてしまっているので、この出張日程なんて甘いほうですよ。」と話すと、秋庭は侑斗に思わず同情をしてしまった。
「ボランティアの霊能者なのに、大変だな。」
二人の乗る車が熊本県に入ったところで、二人は途中のサービスエリアに車を駐車して立ち寄ると、車の中でもつまんで食べることが出来そうなものをさっと購入したところで再び車を走らせることにした。
車の中で侑斗は買ってきたばかりのパンをつまみながら秋庭に「田原坂って西南戦争の激戦地として有名ですけど、秋庭さんどこまでご存知ですか?」と聞き始めると、秋庭は「何だよ。急に西南戦争は御存知ですか?って。どういうこと?勿論日本史に出てくることだし知っているよ。」と答えると、侑斗は「西南戦争があったのは知っているけども、西郷隆盛の反乱ってイメージですよ。それぐらいですね。駄目だ、こんなことを言っていたら俺も百道さんの文句が言えなくなってくる。でも俺は違う。カミカゼ・スペシャル・アタック・チームなどと言わない。」と話すと思わず秋庭が突っ込んでしまった。
「百道さん、そもそもカミカゼすら読めなかったじゃないか。しかも神風特別攻撃隊を英訳しちゃってる。でもそう言われたら、戊辰戦争あたりから俺もきっと怪しくなると思う。教科書に載っていたから分かる!しか、駄目だな。」
秋庭が侑斗に切り出すと思わず侑斗も「お互い様じゃないですか。ってか戊辰戦争ってどんな戦争でしたかって僕も聞かれたら新政府軍と旧幕府軍の戦いとしか言えませんけどね。北海道を題材にした漫画で、確か土方歳三がこの戦争で戦死したはずなのに実は生き残っていたというのがあってそれで改めて知ったんですよ。」と話すと、秋庭は「漫画で学習するってのも、ちょっとどうかな。」と指摘をしたところで二人は田原坂公園の駐車場に車を駐車させると、徒歩で熊本市田原坂西南戦争資料館へと向かおうとした際に左手に見えてきた建物に秋庭と侑斗は思わず目が留まり立ち止まってしまった。
侑斗は秋庭に「これ何なんですかね?建物の壁が損傷しています。有名なスポットなんですかね?」と聞き始めると、秋庭は「さあ。実は言うとここはよく調べていなかったんだよ。」と話し始めると、二人のやり取りを隠れて聞いて居たのだろうか背後から「その建物は弾痕の家という、松下彦次郎家の土蔵だった建物です。戦時中は相当の弾の数が飛び交ったために弾どうしでぶつかり合ったこという話があったことを示しています。因みに今あるこの建物は当時の写真をもとに復元したものです。」と教えると秋庭と侑斗は思わず後ろを振り返ると、「遠いところからわざわざ、熊本に来てくださってありがとうございました。宮崎からくるという話は聞いて居ましたので、遅れることも考えて大体この時間帯ならと思って僕も到着したんですけど、秋庭さんと饗庭さんのほうが先に到着していたのが予想外でした。待たせてしまい申し訳ありません。僕は饗庭さんと同じ市民課で、広報課はあるんですけどねイベントで忙しいからという理由で急遽僕が代打という形で御二方の案内係を務めさせていただきます金原侑都といいます。短い間ですが宜しくお願いします。」と自己紹介をしたところで、三人は弾痕の家に隣接する田原坂公園展望所へと足を運ぶと眺める景色を一望したところで、西南戦争の歴史を知ることが出来る熊本市田原坂西南戦争資料館へと足早に移動した。
利用料金の300円を三人が払って資料館の中へと入ると、展示されてある資料をゆっくりと観覧することにした。
改めて西南戦争の歴史に秋庭と侑斗が改めて学習をしたところで、金原のほうから秋庭と侑斗に「西南戦争で一体どれだけの戦死者を出したか、お分かりですか?」と質問されると、前もって学習をしていなかったことに対して質問された二人はしどろもどろになって秋庭は「日本最大の内戦だったから、あ~しまった。何名の方がお亡くなりになられたんだろ、100名ぐらいかな?」と答えると、侑斗は秋庭に「何を言っているんですか。100名なわけないじゃないですか。絶対100名は超えてますよ、確か教科書に載っていたと思いますよ、え~っと確か1000万人の方が亡くなられたと思います!」と自信満々に答えると、そんな二人の答えを聞いて金原は呆れてしまったのか二人に対して「田原坂に来られると伺っていたので、事前に何かしら情報を得た状態で来られたと思っていたんですけど、ちょっと残念ですね。明治10年(1877年)3月4日から20日の17日間にも及びその間に生じた戦死者の数は14,000人、そのうち約3500名が田原坂の戦いで命を落としました。戦死者の話とは逸脱しますが薩軍や官軍とは全く関係のない村人が殺されたというのも事実です。敵と分かって殺したのか、或いは村人だと分かって殺されたのか理由は分かっていないのですが慰霊碑に刻まれている氏名の中に殉難者として29名の方のお名前があります。資料館を見終えた後に慰霊碑のある場所へと行きましょうか。」と切り出したところで、改めて答えを知った侑斗は顔から火が出るほど恥ずかしい気持ちになり「すみません。知識不足でした。」と秋庭の顔を見ると、秋庭もまた恥ずかしい事を言ってしまった自責の念から顔が真っ赤になっていた。
資料館の中を一通り拝見し終えたところで、三人は資料館を後にして西南役戦没者慰霊之碑がある場所へと歩いて移動し始めると、金原のほうから「ここから先ずっと歩くことになるんですけども、せっかくここまでお越しになられたのですから慰霊碑を前に先ずは手を合わせてから、特に饗庭さんには見て頂きたいところがあります。」と侑斗に話し始めると、侑斗は「激戦地の跡地でしょうか。兄が言ってました。一の坂から三の坂にかけて、数え切れぬほどの無数の視線を歩いているだけでも凄く感じてやばいと言っていました。まさかそこに案内して下さるとは言いませんよね?」と聞き始めると、金原は「はい。その通りです。」と答えると、侑斗は思わず苦笑いをした末に「そうですよね、せっかくここまで来たのですから史跡の一つでもある激戦地を見ないといけないですね。先ずは一の坂から見るんですか?」と聞き始めると金原は「ちょっと歩くことにはなるんですけど、まず最初に豊岡眼鏡橋から見て頂いてその後に順に一の坂、二の坂、三の坂と見て頂いた後に田原坂公園の駐車場に停めてある僕の車で七本柿木台場薩軍墓地と七本官軍墓地へと改めて田原坂の戦いでお亡くなりになられた方々への追悼の意を捧げて田原坂の心霊視察の終了といったところです。駐車場は夜の19時まで開いていますので、だいたい豊岡眼鏡橋から三の坂までがゆっくり歩いたとしても20分程、公園まで歩くと10分ぐらいの計算ですかね。トータルで30分、駐車場から薩軍と官軍の墓地がそんなに時間がかからないので、今時間がちょうど16時を過ぎた頃ですので、ちょうどいい時間帯に視察できる計算になりますね。」と侑斗を見て語り始めると、侑斗は深いため息をついた。
「これからの時間、日が暮れて辺りは暗闇になっていきます。今から30分歩いて豊岡眼鏡橋から三の坂まで歩いて30分、トータル1時間ですから僕たちは17時を回ってから薩軍の墓地と官軍の墓地に行くことになるじゃないですか。時間帯的に周りが完全に暗闇になっているじゃないですか。もうそんな時間帯のお墓参りなんて勘弁して欲しいです、中之院の軍人像だけにして下さいよ。」
侑斗が思わず泣き言を言い出すと、秋庭が思わず「中之院の軍人像って何?」と不思議そうに尋ねられた侑斗ははっと我に返り「すみません。関西ローカルの心霊ロケで行った先を思い出しました。我々が来るのが遅すぎたのですから、次に御参りをさせて頂くときは明るい時間帯に行かせて頂きたいと思います。」と吹っ切れるよな感じの口調で釈明すると、秋庭も思わず侑斗に小声で「さっと御参りしてさっと帰ったら墓で眠る霊達に怒られることはないと思うよ。」と囁くように話すと、侑斗は「そうですね。長居は御霊の安息の時間を邪魔することに繋がりますからね。」と語った後に深く頷くと、二人の様子を見た金原が「何か予定外の事でもあったんですか?」と訊ねられ、秋庭は「いえ大丈夫です。それでお願いします。」と返答した。
そして三人が慰霊碑のある階段を上り始め、その先にある慰霊塔と亡くなられた方のお名前が刻まれている慰霊碑を改めて見たところで、三人は深々と頭を下げた後に両手を合わせて拝んだ。
慰霊碑を後にした三人がまず最初の激戦地の史跡の一つである豊岡眼鏡橋へと向けて歩いて移動することにした。歩きながら侑斗は金原に「この道って裏道ですよね。」と訊ねると、「はい、そうです。先ずは豊岡眼鏡橋を見て頂いてから、心霊観光地のメインとなる一の坂、二の坂、三の坂の順に見て検証して頂きたいのです。」と語ると、秋庭は「楽しみは後のお楽しみってやつですかね。」と金原に聞き始めると金原は「まあ。そんなところです。田原坂はオカルト系を取り扱うテレビ番組でも頻繁に出てくる心霊スポットとしては非常に有名なところですので、まあこう言ったらせっかく佐賀から来て頂いた二人に失礼な言い回しかもしれませんけど、田原坂を心霊観光地の一つとして名乗り出なくともテレビ番組が”放送禁止連発”として大いに取り上げてくれるので何も小城市に観光客がいないから我々が可哀想だと思って力になって協力してあげましょうというのが正直な本音ですよ。」と話すと、秋庭は「わかっています。大いに自覚をしています。」と言葉少なげに話し始めるのだった。
一方金原の言葉を聞いた侑斗は何も反論できずただ黙り込んでしまったのだった。
歩き始めて30分が経ったところで、三人は豊岡眼鏡橋へと到着すると、金原から秋庭と侑斗に「ここが最初の田原坂の戦いにおいて、激戦地の一つとして知られている豊岡眼鏡橋です。」と案内をしたところで、侑斗はその場で何かを感じ取ったのかすぐさま煉瓦造りの古い橋の上で目を瞑り霊視を行い始めた。
そしてある程度の霊視をし終えたところで、侑斗は金原に「田原坂の心霊現象で伝えられていることって何ですか?大雑把で結構ですので教えてください。」と訊ねると金原は驚いた表情で「え?先程のアクションって霊視じゃなかったんですか!?」と聞き始めると、侑斗は「分からないんです。多分、色々とミックスされているような気がするんです。西南戦争の戦死者だけではないと思います。」と話すと、思いもしない言葉が返ってきたので金原は「それは犠牲になった村人の霊とは関連性はなのですか?」と訊ねると、侑斗は「服装から見ても現代、昭和かもしれません。明治時代の人ではないのは間違いないと思います。」と話すと、それを聞いた金原は「昔、田原坂には電話ボックスが設置されていた時がありました。一時、電話ボックスの怪談話が話題になったんです。心霊写真でいるはずのない女性の顔を囲むように2名以上の霊を見た人は霊感がある!ということでも話題になったのですがスマートフォンが浸透するようになった現代では撤去され確認することは出来なくなりました。」と語ると、侑斗は「西南戦争以外にここで事件が起こったりとかはなかったのですか?」と訊ねると金原は「いや、それが全くもって女性の霊が現れる理由ですらはっきりとしないまま撤去されてしまったのでどうして女性の霊が現れるのかは謎のままです。ただ事件は起きていないということだけは言えますね。」と話すと、侑斗は「事件が起きていなかったとしても、自殺の可能性ならあり得ますね。ここなら夜は人気が全くと言ってもいい程無くなるでしょうし、また観光地でもあるから亡くなったとしても必ず自分の遺体を発見してくれたら通報してくれる人はいますからね。」と話すと金原は「まさか自殺者の御霊が呼びかけているというのですか?」と切り出すと、侑斗は「それはないですね。しかし電話ボックスが撤去されたことにより女性の御霊にとっては唯一の居場所だった場所が無くなってしまったために、徐々にこの世への未練を断ち切り自然と同一化しているあたりからそのうち成仏をされると思います。それよりもその先のほうがより空気を重く感じますね。坂が危ないですね。」と解説をしたところで金原は頷きながら「そうですか。少し歩いた先に一の坂公園がありますので、是非検証してみて下さい。」とお願いをされた侑斗は「わかりました。」と神妙な面持ちで答えたところで、豊岡眼鏡橋から一の坂公園へと移動することにした。
一の坂公園がある方向へと歩いていくにつれ、霊感をあまり感じない秋庭でも次第に表情が変わっていく。隣を歩く侑斗に思わず「何だろう、この陰鬱な雰囲気は、嫌な感じがするんだよね。晴天の雲一つもない良い天気なのに、ここだけがじめっとした雰囲気に包まれている。」と話しかけると、侑斗は「一の坂という看板が見えたあたりから、見えましたね。秋庭さん、念のために右側の木々が生えている方向を中心に写真撮影をして下さい。主に右側で強く感じます。」と切り出したところで、秋庭は侑斗に対して嫌な表情を見せつつも「わかった。」と答えてカメラのシャッターを切る。侑斗が秋庭に対して話した内容に金原が疑問に思ったのか、侑斗に対して「どうして右側をメインにする理由でもあるのですか?」と訊ねると、侑斗は「右側辺りから黒い帽子と服を着た若い男がいるのです。恐らく身なりから察して、政府軍の兵士の御霊かと思いますがどうしてか、右側に多く集まっているんです。左側はちらっとですが、着物?白い着物を着た何か、駄目ですね。軍服ではないですね。全然情報が収集できていませんね。」と話すと、金原は侑斗に「今僕達が立っている右側がまさに方角的に考えて政府軍の砲台の跡地があった場所を示しています。これから先歩いていくとより分かりやすいのですが、田原坂の戦いでは薩摩軍がカーブが多く先が見通せない土地の利点を生かして籠城したことにより当時としては非常に最新の技術を誇った銃や大砲を武器を使ったとしても政府軍は思いの外苦戦を強いられたわけです。また薩摩軍には戊辰戦争を戦い抜いたエキスパートばかりで構成されていたということもあり、持っていた銃の機能に関しては政府軍よりも劣ってしまうものの剣術に関しても非常に長けていたことから、政府軍がそれに対処すべく剣術に秀でた警察官を選抜して抜刀隊を編成したことからも、当時の政府軍における苦しい戦況が伺える話ではありますね。」と話すと、侑斗が「そうか。だからか。分かった。」と大きな独り言をつぶやくと、金原が侑斗に「分かったって何がですか?」と訊ねると、侑斗は「分かったんです。先程の僕の発言は僕の独り言ですからどうか気になさらずこの先の二の坂、三の坂に向けて歩き続けましょう。」と話すにとどまった。
思わず秋庭が「独り言にしては大きな声だったぞ。一体何がわかったのかは教えてくれないのはずるいぞ。」と指摘をすると、侑斗は「理由は知らないほうが良いです。ただ一つ言えることがあるとしたら、これから先の三の坂に向かうまでの空気がより一層重苦しくなってくるでしょう。数え切れませんね。」と語ると、秋庭は「数え切れないって、しかも理由は知らないほうが良いって、どういうことですか。」と聞き出すと、侑斗は「あまり深入りをしないほうが良いという事です。多くの方が命を落とした地でもあるわけですから、心霊スポットというよりかは慰霊目的で訪れるべき場所なのかもしれません。ここで彷徨う御霊の兵士の大方は、戦争が終結したことも知らず今も戦っているのかもしれません。慰霊碑を建立し、大切に供養したとしてもこれはよくある落武者の霊が出るのと同じ心境の地ではあるのですが、死んでもなお戦い続けようとするんです。大よそですが心霊スポットであげられる情報としては、馬にまたがる青少年の霊が出る、戦う剣の音が聞こえた、人の呻き声や泣き声、生首を見た等でしょうけども、一部はデマがありますね。」と切り出すと、思わず金原が侑斗に「僕は電話ボックスに出る女性の霊の話はしましたが、その他の戦死者の例であろう心霊現象の話はしていませんでしたけどどうしてそれがわかったんですか?」と質問したところで侑斗は「亡くなられた方々のこの世の未練が計り知れない程大きすぎるという事です。安らかな眠りについていただくためにもここは肝試しなどで遊びに来るようなところではないという事です。因みに僕が今歩きながら見た兵士の御霊の特徴としては馬にはまたがっておらず、ほぼほぼ茂みに隠れるように身を潜めていたり、或いは絶命するまでにこの地で意識が無くなり倒れたままの状態の方もいますね。またちらっと僕が伝えたのですが白い着物、青い袴、見た目から察すると薩軍の兵士の御霊かもしれません。ここは薩軍、官軍のお亡くなりになられた方々の未だに拭えぬ未練と無念があまりにも大きすぎて言葉には言い表すことはできません。霊能者の僕にとってここはきつすぎますね。」と言葉を詰まらせながら話すと、秋庭は侑斗の解釈を改めて知ったところで「そりゃそうですよ。戦わざるを得ない状況で戦わなければいけなかったのですから、この世への未練があって当然ですよ。僕や秋庭さんには見えないのですが、霊が見える饗庭さんにとっては酷な場所だったのかもしれませんね。」と話し始めると、侑斗は「酷じゃないんですけど、今僕を取り囲むようにして兵士の御霊達が集まりだしている、霊能者が嫌がる理由が多いに理解できました。」と語ったところで、三の坂と書かれた看板を通り過ぎた三人は田原坂を後にして金原が車を停車させてある駐車場へと向かうと、金原の車に乗って薩軍墓地と官軍墓地に向かうことにした。
まず薩軍墓地へと向かった三人は墓標を前に金原が前もって用意してくれた菊の花と線香を手に、秋庭が菊の花を供えると、侑斗が線香に火をつけた。両手を合わせ追悼の意を改めて捧げた。そして、離れた場所にある官軍墓地へとさっと移動をすると菊の花を今度は侑斗が手向けると、秋庭が線香に火をつけ、亡くなられた方々の安らかな成仏を願い両手を合わせ拝み始めた。
薩軍、官軍墓地の両軍の御墓参りが終わったところで、侑斗はあることに気付いた。
「僕達が先程手を合わせていた小屋からして、右斜めって言うんですか。新しく墓標が補修されているようにも見受けられるんですけど、まさか肝試しに着た若者による悪ふざけでもあったのですか?」
侑斗が金原に質問すると、金原は「墓標を壊す罰当たりな若者なんていませんよ。これは2016年の4月14日に発生した熊本地震の揺れによって一部の墓標が壊れてしまったんです。中には地盤そのものが傾いてしまったのもあって、さすがにこのまま放ったらかしにするのはまずいってことになりまして、壊れた墓標や地盤が傾いた墓標の修復工事が行われたんです。」と答えたところで、侑斗は「そうだったんですね。いや悪戯だったら酷いことをするなって、有名な話ですけど石川の牛首トンネルってあるじゃないですか。あれなんて、トンネル内のお地蔵様が何度も何度も心無い若者によって首を切断されては新しく作り直してもまたやられてしまうんです。それを知っているから、ふと脳裏をよぎったんです。」と話すと、金原は「心霊スポットの一つとは言え、今もこの木の下で安らかな眠りにつく兵士の霊達を怒らせるようなことはしませんよ。ただ心霊スポットという定義に当てはめるのは、亡くなられた方々も気に食わないと思いますけどね。」と語った後に、官軍墓地を後にすることにした。そして金原の車で駐車場にまで戻ってきたところで、侑斗が秋庭と金原の御祓いを実施して、田原坂公園での心霊検証を終えることにした。
秋庭と侑斗が案内役をしてくれた金原に御礼を伝えたところで、次の目的地である日田市の観音の滝へと向けて出発をした。
侑斗が秋庭に「ガレージの閉まる時間までには間に合いましたが、それにしても濃厚な内容になりましたね。”19時を過ぎましたのでそろそろ出て行ってくれませんか”ってガレージの管理員の方に言われてあたふたして出ていく形になりましたけども、僕達知覧特攻平和会館よりも長くいましたね。5時間もいましたからね。」と話すと、秋庭は「仕方ない。視察も兼ねているのだから長時間になってしまう。」と話したところで観音の滝の心霊調査は明日に行うことにして、二人は予め予約をしておいた日田市内のビジネスホテルへと向けて車を走らせることにした。
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