【完結】慰霊の旅路~対峙編~

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【完結】糸数アブチラガマ(沖縄・南城市)

公開日時: 2022年1月16日(日) 20:09
文字数:9,042

浦添城跡を後にした三人は一度事務所マンションの駐車場に戻ってくると、支倉から白鳥と侑斗に糸数アブチラガマで行ってほしい心霊検証について説明を行った。


「糸数アブチラガマへの予約は16時から取っているから、16時までには現地に行ってほしい。もうすぐ15時30分になりそうだから今すぐにでも出発しないと間に合わない計算になるけどね。壕内はガイドの案内の元で見学する形になるから勝手に壕内に入ることはできない。勿論壕の中での撮影は禁止。50分の壕内の見学コースで料金は300円だね。」


支倉から聞かされた内容を聞いた白鳥は「何それ!?勝手に決めておいて!?しかも16時までに向こうに到着しないといけないとなると、今すぐにでも出発しなきゃ16時なんて間に合わないじゃないか!ってか何でこんな話を勝手に予定組んでおいてしかも当の本人は与那国へ出張しちゃうわけ!?納得がいかん!」と怒りを露わにすると、支倉は「出張の話は3日前に決まった話だし、それにこの糸数アブチラガマの心霊検証依頼は1ヶ月前に決まっていて、んでもって侑斗君からの連絡も先週の月曜日に俺に心霊観光地としての視察で沖縄に行きますから現地の運転手として帯同してくださいって連絡があってその時に元々俺と白鳥の3人で行くつもりだったけど急遽俺が行けなくなったから、見学は当初の二人で行きますってことで連絡はしているし、ちょうどいいなって思って、ごめん。出張だけは予想外だったんだ。」と謝り始めると、白鳥が侑斗に「ここでああだこうだ言っていたら現地でガイドが待っている。だらだらと喋っているわけにはいかない。支倉の車から降りて俺の車で移動しよう。ここから糸数アブチラガマへは25分ぐらいで到着する。」と説明すると、侑斗は納得しない表情ではあったが「分かりました。」と言って助手席から降りると、お別れのあいさつなどきちんとできぬまま白鳥の車に乗り込み糸数アブチラガマへ出発した。


糸数アブチラガマへと向かう道中、侑斗は白鳥に「結局ゆっくりしている暇もないまま沖縄版心霊慰霊の旅路ですか。」と疲れ切った声で話すと、白鳥は「納得しないのは分かるけどな。支倉だって急な出張だったから、俺も糸数アブチラガマの霊障と思われる心霊体験の話は聞いて居たが、まさか今日になるとは思ってもいなかったので支倉にとっても行くつもりで今日に予約をしていたはずだから。」と話すと、侑斗は白鳥に「その割には心霊弾丸ツアーになっていますけど何でですかね?」と聞き始めると白鳥は「糸数アブチラガマの営業時間が17時までなんだ。つまり16時から壕内の見学コースを50分満喫したら嫌でも17時の営業終了時間になる。だからゆっくりしている余裕がないんだ。」と答えると、侑斗は「そういうことだったんですね。営業時間の都合ですか。」と語ると、白鳥は「轟の壕に関しては営業時間はないみたいだけど、でもさすがに土地勘のない俺たち二人で壕内を俺たち二人で彷徨うのはさすがに嫌だろ?」と聞き始めると、侑斗は「そうですね。ガイドさんがいてくれたほうが助かりますね。迷子にならなくて済みますからね。」と語ると、白鳥の乗る車が糸数壕駐車場に駐車させると、予め車の中に積んであった二人分のヘルメットや手袋、そしてランタンを侑斗が白鳥から受け取ると糸数アブチラガマの案内所へと向かって歩き始めると二人の到着を待機していた川田美乃梨という女性のガイドと共に糸数アブチラガマの入り口へと移動し始めた。


糸数アブチラガマへと向かう道中に侑斗が白鳥に「僕達料金が300円かかるとは伺っていましたけど、でもまさか支倉さんが前もって払っていたとは思ってもいませんでしたね。案内所にいってお金を払わなければと思ったらガイドの川田さんが待機している状態で”お金は既に支払っていただいていますので行きましょう”って仰って下さるとは想定外でしたよ。」と話すと、白鳥は「支倉のことだから後で料金を徴収するつもりだろ。今はとにかく糸数アブチラガマの心霊検証を行うことに専念しよう。」と侑斗に語り掛けたところで、川田から二人に壕に入るまでに自己紹介を始めた。


「あのTVでも見た事がある饗庭さんが糸数アブチラガマの壕内ツアーに来てくれるとは思ってもいませんでした。今回ツアーガイドとして饗庭さんと白鳥さんに糸数アブチラガマの魅力を伝えられたらうれしいです。またもう一度足を運びたいと思ってくれるようなな案内を心掛けたいと思いますので宜しくお願いします。」


川田が案内すると、白鳥が「宜しくお願いします。」と話すと侑斗も続けて「宜しくお願いします。」と語ったところで、早速壕に入るための階段を下りていく。


階段を下りながら、川田から改めて糸数アブチラガマの説明がなされた。


「糸数アブチラガマは長さ270mの自然洞窟で、沖縄戦時の際は糸数集落の批難指定壕でしたが日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれ南風原陸軍病院の分室になり、映画の作品として有名になったひめゆり学徒隊もここで看護活動を行っていました。そしてここでは、戦況が厳しくなっていくにつれやがてこの壕にもアメリカ軍が攻めてきて、火炎放射による攻撃で多くの住民が命を落としました。戦争のない今では平和学習の場として修学旅行の学生など数多くの学生たちで訪れるようになりました。」


川田がそう話しながら壕内に入るための階段を先に下り終えると、続けて白鳥、侑斗の順で下りてきた。川田が白鳥と侑斗が階段を下りてきたことに気付くと壕内のマップを手渡して、各名所の説明を行い始めた。


「今私たちが来ているのは兵器庫と呼ばれる場所です。これから先病棟から見ると右手のほうに向かった場所に位置するベッド、破傷風患者のためのスペース、脳症患者のためのスペースと奥のスペースを見て頂いた後は出口の方向へと向かって歩いていきます。治療室、軍医室、治療室・手術室、病棟、食料衣服倉庫、監視所、住民避難場所、住民地区と見て頂いたら出口です。出口付近には大東亜戦争沖縄戦線戦没者之墓と書かれた慰霊碑がありますので帰り際の際には亡くなられた方々のご冥福をお祈りして地上へと戻ってくるという内容になりますので宜しくお願いします。」


川田からツアーガイドで案内する場所を一通り聞いた侑斗は「あの、僕達こう言ってしまえば非常に不謹慎だと思われますが、僕達が管理する心霊スポットサイトに寄せられた意見では、観光旅行に訪れたときに非常に気分を悪くしたのでこれが霊障なのかどうか確認を取って来てほしいというものでした。今もなおそういった症状を訴えられる方はいらっしゃるのでしょうか?」と訊ねると、川田は「いますね。とても霊感が強い方はこの壕に入ることすら躊躇う人もいますし、霊感がそんなに強くないという方でも強い頭痛から生じる吐き気に襲われる人もいます。ここはそういう場所なんです。」と言って答えると、それを聞いた白鳥が「それはどういうことなんですかね。未だに未成仏の御霊達がまだ彷徨っていると仰りたいんですか?」とつかさず質問をすると、川田は「こちらの都合で大変申し訳ないのですが営業時間が17時迄なので、長々と話している余裕がないんです。しっかりと50分見て頂きたいのでご了承願います。」と具体的な回答を避けたところで、白鳥と侑斗は”兵器庫”と書かれた看板のあたりをじっくりと観察し終えたところで次の病棟を右手に曲がった先にあるベッド、破傷風患者のためのスペース、脳症患者のためのスペースと奥のスペースと順にみていき、出口の方向へと向かっていくと、侑斗が小声で白鳥に近づくとそっと耳元で「あんまり歓迎されていないようですね。」と囁くと、それを聞いた白鳥が「どうやらそのようだな。未だに怨念を抱いていてもおかしくないところではあるんだけどね。」と答えると、それを聞いた侑斗は「糸数アブチラガマが心霊と言われる所以ってあるんですか?」と訊ねると、白鳥が先頭を歩く川田に聞こえぬようにこっそりと話し始めた。


「ここは凄惨な殺戮現場だったんだ。川田さんも言っていたと思うけど、激しい戦闘状況の中で、戦場から身を守る目的でこのアブチラガマで治療を受けることになった重症の負傷兵達が毒殺されたそうだ。またアメリカ軍の攻撃も火炎放射で壕内を燃え尽くすに限らず、ガソリンを流し込まれ焼かれたりと、残忍極まりなかったという。負傷した日本兵がここに来るまでは、地元の避難民が隠れていたそうだが、負傷兵の収容場所として決まったことにより避難民は追い出され、追い出された避難民はどうなってしまったのか、未だに分かっていないみたいなんだ。当時のこの火炎放射やガソリンを使って燃やされた痕跡が生々しく残っているあたりから察しても、相当な地獄絵図だったのは見て伺える。」


改めて白鳥から話を聞いた侑斗は思わず絶句してしまうと、白鳥は「ここは沖縄の数ある心霊スポットとして挙げられている場所の中でもトップ3に入るぐらいの怖さを誇っているんだ。戦時中とはいえ、亡くなったことに対して納得が出来ない方達が今もなお壕内を彷徨っているのだとしたら、ここは念入りに供養をしなければいけない場所の一つだろう。霊能者の俺たち二人がここにきていると御霊達が分かって益々ざわつき始めた。これは危険の兆候だ。憑かれぬよう気をつけなさい。」と警告すると侑斗は「わかっていますよ。取り憑かれぬためにも己を強く保ち正常心でいますけどね。これは気を付けて歩いていかないと、三半規管をおかしくさせますね。こんな気分になるのは初めてですよ。」と話すと、白鳥は「三半規管をおかしくさせるということはそれだけ心霊スポットとしての危険度が著しく高い証拠の一つなんだ。怨みを持ち、地縛霊として今もなお憎しみの感情を抱いているのだとしたら、俺達はとんでもないところに足を運んでいることになる。お亡くなりになられた方々の怒りの感情が他の御霊をおびき寄せているのだろう。」と答えると、侑斗は「以前兄が千葉の殺人事件も起きたあの活魚っていう廃ホテルに行った時のことを僕に話してくれたんですけどねそれも殺害現場の調理場が実際に足を運んでみて三半規管がおかしくなったと同時に激しい頭痛からめまいと吐き気に襲われた。2階に上がってみると、誰もいないはずなのにドアが勝手に閉まる、風呂場の焼け焦げた痕跡が残る部屋では此方を恨めしく睨む者がいた、調理場の上の部屋に足を運ぶがそこでは殺された女性の怒りの感情に同情するかのよう数え切れぬほどの御霊達が集結していて益々入ったと同時に感覚が狂ってしまったという。そもそも入るまでに誰もいないはずなのに2階の小窓から女性がにこりとした笑顔で眺めていたという。その時点で危険だと分かったそうだけど肝試しの同伴依頼で急に無理ですって言うわけにもいかず入ったみたいなんです。」と話すと、それを聞いた白鳥は「あのオカルト系テレビ番組でも取り上げられた有名な廃ホテルじゃないか。あの廃ホテルも今となれば完全に入ることが出来なくなって土地の管理者も連絡つかずの状態だから、いずれ建物が朽ちて崩壊してというのを待つしかない。そんな状態だから、もう肝試しに訪れようなんて輩はいないと思うが、俺も大学生だった時に興味本位で写真の霊視を行ったところ、調理場で女の霊が睨み付けてきたのを実際に目の当たりにして俺も活魚関係の写真や動画ははっきり言って敬遠するようになった。あそこはとんでもないところだ。怨みの感情を抱いてもしょうがない。事件が起きた場所で事故物件扱いにもなるから買い手もつかず後はもう事件の被害者への慰霊目的のためのスペースとして活用するしかない。」と話すと侑斗と白鳥が長々と二人で話し合っているのを見た川田が気になり声をかけた。


「饗庭さん、白鳥さん。大丈夫ですか。気分を悪くされたら気兼ねなくお声をかけてください。」


川田の問いかけに白鳥が侑斗の顔を見て「わかりました。僕たちは元気です。」と言って返事をすると、再び病棟のところまで戻ってくると、出口の方向にある軍医室、治療室・手術室、詰所及び病棟、病棟とそれぞれのスポットを見ていくと、住民避難場所と記載された場所にまでやってきたところで、川田から侑斗と白鳥に「監視所が見えて参りましたのであと少しで出口です。階段を上がった先にある慰霊碑に手を合わせて時間も出口まできたら17時を過ぎているかと思いますので辿り着いたと同時に現地解散をするという形で見学ツアーを終わらせて頂きたいと思います。」と言って説明がされると、説明を聞いた侑斗は「わかりました。」と答えると、隣にいた白鳥の表情が険しくなっていく事に気が付くと、侑斗は気になり白鳥に対して「白鳥さん、顔色が悪いんですけど大丈夫ですか?」と気遣って話すと侑斗の問いかけに白鳥は「そういう饗庭君だって眉間にしわが寄っているけど大丈夫か?」と聞かれ、侑斗は「お互いさまってことですかね。あまり歓迎されていない。こうして出口まで何とか辿り着いて、正直もう二度目はないな。観光旅行として楽しんでいくって言うよりかはもうもう慰霊目的で訪れたほうが良いのかもしれないって場所だな。」と話すと二人が体感した意見を聞いた川田が「出口まであと少しですから、本当に気分を悪くされたようならわたしに気を遣わなくて結構ですので何なりとお申し付け下さい。」と二人の顔を見て話すと、白鳥は「大丈夫です。ところで未成仏の浮遊霊が彷徨っているか否かという饗庭君の質問に対して御答えできなかったのには理由があるんですか?」と川田に対して聞き始めると、川田は「慰霊碑の前でお話しします。まずは出口の階段を上りましょう。」と話すと、三人は出口の階段を上り始め途中に設置されてある慰霊碑を前にして立ち止まると、深々と頭を下げてから両手を合わせた。


御参りを終わらせたと同時に、川田から改めて説明がなされた。


「昭和19年7月頃から日本軍の陣地としての整備が始まり、翌昭和20年3月23日に南部が艦砲攻撃を受け、24日から糸数地区の住民大よそ200名がアブチラガマに避難してきたんです。その当時から日本軍の陣地・糧秣倉庫及び付近の住民の批難壕として使用されるようになっていくのですが、地上戦の戦況が激化していくにつれ南部への危機が迫っていくようになると4月の下旬頃に南風原陸軍病院の分室として糸数アブチラガマが設定され、5月1日から大よそ600名の患者が搬送されました。ガマにいることさえ危険になってきた5月下旬の撤退まで陸軍病院として使用されたそうですが病院の撤退後は重症患者が置き去りにされアメリカ軍からの攻撃を度々受け凄惨な地獄絵図が繰り広げられていたのは事実です。しかしながらこのガマがあったおかげで生き延びた方もいらっしゃるのも事実です。ガマ内で亡くなられた方々の遺骨は戦後に糸数住民と関係者等によって蒐集され”魂魄塔”に合祀されたんです。今回初めて来られたであろう饗庭さんと白鳥さんに霊障と思われる話を避けたのは、実際に壕内を歩いて探索していただいてから説明をしたほうが分かりやすいと思い、明言を避けましたが、よく聞かれる話としては感じない人にか全く感じないそうですが霊感には個人差があるために敏感な方にとっては、激しい頭痛や吐き気に襲われるなどの気分を悪くされる方が多数報告が寄せられていますね。あんまり具体的に”幽霊が出ますよ”というのは、心霊スポットの検索サイトでも糸数アブチラガマのことを心霊スポットの一つとして取り上げられているのですが、やはり不運の死を遂げた方達ばかりですので、悪ふざけや悪戯目的で来てほしくないですね。わたしもツアーガイドとして幾度か皆さんと一緒に同行をしていますが、案内をすればするほど次第に気配を感じ始めるようになりました。戦争が終わって80年は経ちますが未だに心の傷が癒えない幽霊達が洞窟内を彷徨っているのだとわたしは思います。」


川田が白鳥と侑斗に説明すると、侑斗は「そういう理由があってわざと僕達に理由を伝えなかったってことですね。でも僕達が前もって理由を聞いたのには理由があります。それは兵器庫のブースに入ったと同時に、この壕内で命を落とされただろう複数の方々が僕達のほうを見始めた途端に、より強く感じました。ただ僕たち二人では処理しきれぬほどの生前に受けた傷が癒えない方々が一度に集まりだして、それに気が付いたときに川田さんに霊障によるものだろう報告を聞いてピンと来たんです。詳細な事実を知らぬ僕達が自分たちの脳裏で描く憶測だけで先に進むのはまずいと思いましたので、伺っただけなんです。」と話すと、白鳥が「饗庭君もですけど、僕も歩いていくにつれ僕達だけでは対処しきれぬほどの御霊達が集結してきて、次第にここにいることが徐々にきつくなってきました。生き延びるためにこのガマに避難した結果巻き込まれて命を落とした方々の残留思念が強く残っているのだと思います。こうして出口まで上がってきて、改めて慰霊碑にお手を合わせて、亡くなられた方々の心からのご冥福をお祈りするしかありません。」と話すと、三人は慰霊碑を後にして出口まで上がってきたところで、ガイドをした川田に御礼を言うと、侑斗と白鳥は食事を取るためにさっと自身の御祓いを済ませてから駐車場に停めておいた車に乗り移動すると近くの中華料理屋へと向かい遅めの昼ご飯を取ることにした。


食事を取りながら白鳥が侑斗に「今日は心霊写真こそは撮れなかったけど実際にアブチラガマに足を運んでみて、あそこはいる。ただ、あれだけ多くの御霊達に救いを求められたら俺たち二人では処理しきれないね。正直言って数え切れないね。それだけ無念の死を遂げた方々が今もこの世に未練を残しているとしたらここは慰霊目的以外に来てはいけない。それに尽きるね。場所は違うけど中頭郡読谷村にある集団自決が起きた地としても知られているチビチリガマで少年たちによるガマ内部とガマ外部に荒らされた痕跡があり、戦争を知らない世代が徐々に増えていくにつれ罰当たりなことをしてまでも幽霊を見ようとする若者の世代が増えてくると思うと、やっぱりあってはならないことが起こったことも考えると、改めて霊視を通して学習したことを世の中の若者に対して発信しなければいけないことを身に染みて感じたな。平和の祈りを込めて折られただろう千羽鶴がどうして飾られているのかも、それすら理解を示さない人がいるのが非常に悲しい現実だね。」と話すと、侑斗は「僕は何でしょう。あんまりSNSで取り上げるような場所ではないと思います。それこそそっとしておいて悲劇の現場として知っている方が訪れるぐらいの場で良いと思いました。亡くなられた方々の存在がいてこそ、僕達は戦争無き平和の有難さを実感しながら今を生きているわけですからね。喜屋武岬からひめゆりの塔、平和記念公園、旧海軍司令部壕、浦添城跡、アブチラガマに訪れてみて改めて思いました。」と語った後に、二人はさっと食事を取り終えて、店を後にすると那覇空港へと向けて出発した。


白鳥がハンドルを握りながら侑斗に「今日はハードだったけど手伝ってくれてありがとう。あと少しでお家に帰れるよ。」と話しかけると、侑斗は「霊能者として改めてやって来て、これだけ多くの方が救いの声を今も求めていることに耳を傾けることが出来て、これが沖縄の現実なんだなというのを肌身で感じました。これから先戦争を知る世代が段々とお亡くなりになられるでしょうし、益々戦争の恐ろしさを伝えることが出来ない世代が増えていくと、先人が犯した過ちを二度と起こしてはならないと学習しました。しかしアブチラガマ、SNSで取り上げるのは本当に躊躇しますね。救いの声と同時に、怒りの声も聞こえてきて、あれはあれで本当にそっとしておくべき場所なんだと僕は率直に思いました。亡くなられた御霊達の安らかな眠りを妨げるようなことは避けたほうが良い、それだけですね。」と話すと、それを聞いた白鳥が侑斗に「戦争の悲惨さを伝えるのなら伝えたほうが良いと思う。でも俺と侑斗君が体感した三半規管が狂ってしまったことが侑斗君の中では気がかりだろ?俺も九州の心霊、色々と検証しているけど、あんな歩いていて自分の立ち位置が分からなくなってしまうほど目の前の世界がグルグルとなってしまうのは初めてで洒落にならぬと言ったら本当に怒られるかもしれないが、ガイドの川田さんが話したことと重複する内容になるが遊びで入ってはいけないという事だろう。」と話したところで、二人の乗る車は那覇空港へと到着し、送ってくれた白鳥に侑斗がお礼を言うと、福岡空港へ出発する便の搭乗手続きを済ませてからお土産屋に足を運びお土産などを購入し終えたところで、予約した飛行機に乗り込み、沖縄を後にした。


そして家まで戻ってくると、改めて自分が体感したことを兄の星弥に話し始めると星弥は「沖縄は戦跡が数多く残っているからね。実際に怖いものを見たとか慰霊の旅路の公式SNSで取り上げては良いと思うが、決して幽霊が出ますよということは誇張し過ぎないほうが良い。」と語った後に侑斗に対して「これまで霊能者として色んな御霊達と対峙してきたわけだし、今度は霊能者としての試練を与えてみようかな。」と話し始めると、その言葉を聞いた侑斗は「試練?何それ?」と聞き始めると、星弥は「霊能者としての試練!厳しい課題を与えてみてその課題にどうクリアをするかを見極めたい。」と意気揚々に語り始めるとその言葉を聞いた侑斗は「試練って一体どんな試練?七人ミサキの一員になってこいとかは言わないよな?」と質問すると、星弥は「アハハ。どんな試練かは心霊スポット巡りのみならず、実際に霊障で悩み苦しんでいらっしゃる方のためにこれまで以上に精力的に活動をしてほしい。」と答えると電話を切ったのだった。星弥の言葉を聞いた侑斗は「試練、試練かあ。でも仕方がない。これが俺が選んだ道だからね。霊能者として活動を続けたいと反対されても続けたのは俺の意思だからね。」と自分に言い聞かせるように語り掛けるのだった。

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