【完結】慰霊の旅路~対峙編~

退会したユーザー ?
退会したユーザー

ひめゆりの塔(沖縄・糸満市)

公開日時: 2022年1月9日(日) 18:18
文字数:7,603

喜屋武岬を後にした侑斗と支倉はひめゆりの塔を参拝するための無料駐車場に車を停車させてから徒歩でひめゆりの塔の入り口のところまで辿り着くと、敷地内に入るまでに支倉が侑斗にあるお願いをしていた。


「侑斗君。せっかくだから慰霊碑にお参りをするまでにまずはひめゆり平和記念資料館に足を運んでから慰霊碑に御参りしないか?実は沖縄に異動してから一度も足を運んだことがなくってね、一緒に来てほしい。」と打診された侑斗は、「沖縄にいらっしゃる割にはひめゆり平和記念資料館に足を運ばないのはどうかと思いますけど、でもひめゆり学徒隊のことについて知ってから御参りしたいので、良いですよ。」と答えると、支倉は「ぶっちゃけた話、長崎や広島の平和記念資料館も見るに辛すぎて行けないんだ。その人の生きた痕跡っていうのかな、見ただけでも涙ぐんでしまうよ。そんな場所に足を運ぶことが俺にとっては勇気が必要だったんだ。」と説明すると、侑斗は「知覧特攻平和会館にも足を運んだけど、馬鹿な案内役じゃなかったら俺も辛すぎて涙が溢れていたと思う。あれは辛い、霊能者にとってこれほど言葉に言い尽くしがたいものはないから気持ちは分かりますよ。」と話すと、支倉は「知覧特攻平和会館に行ってきたのか?あそこはそれこそ侑斗君ぐらいの世代の人が多く戦地に赴いて亡くなっているから同世代の子たちが亡くなったと知って言葉には言い表せられない感情になるのは当たり前だよ。佐賀にいたときに、まさに侑斗君ぐらいの歳の時に俺も知覧特攻平和会館は足を運んだけど、展示されている資料を見るたびに悲しい、悲しいって涙がボロボロ止まらなくなってそれから戦争に纏わる資料館に足を運ばなくなった。」と話すと、侑斗は「ひめゆりの学徒隊のことも知れば涙が溢れると思いますよ。今のうちにハンカチの用意をしましょう。」と話すと、支倉はちらっと侑斗のほうを見て「大丈夫。大泣きはしないから。」と語ると、二人は資料館の入り口に入ると受付で入館料450円を支払い、ロビーに掲示されてある案内板の指示通りに歩き始めると、第一展示室に辿り着いたところで二人はゆっくりとした足取りで展示ブースを眺めはじめた。


支倉が侑斗に「学校の歴史の教科書で学んだことだけど、よりひめゆり学徒隊について分かりやすく説明されているね。」と話すと、侑斗は「タブレットでひめゆりの塔について調べたらこう書いてありましたよ。”第二次世界大戦中に唯一国内で地上戦が繰り広げられた沖縄では迫りくる米軍の攻撃により多くの尊い命が失いました。ひめゆりの塔では沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校に通う女学生222名と女学生の先生達18名の計240名で沖縄陸軍病院に動員され、負傷した兵士の治療に尽力を注いだとありますね。ここで伝えられている心霊現象としては、体調不良や名前を呼ぶ声が聞こえるなんてあるみたいですよ。亡くなられた方々の遺影を眺めた後にその人の人柄を伝える文章を読んだだけで、誰かに足を捉まれたなんて報告があがっていますからね。しかもストリートビューでひめゆりの塔付近を見たら御霊らしきものが写っているわけではないのですが、上半身しか写っていないとか、右半身しか写っていないものとか、洒落にならないものが多いような気がしますよ。」と話すと、持っていたタブレットで開いていたストリートビューの写真を見せると支倉は右手で顔を覆い言葉にならない思いで語り始めた。


「これだけ多くの御霊達が救いを求めて集まってきたってことだろ。そりゃそうでしょ。行きたくて戦場に来たんじゃないからね。近くにお花を売る店もあるみたいだし、資料館を後にしたらお花を買ってひめゆりの塔の献花台にお供えしようよ。それから、沖縄ひめゆり観光センターの敷地内にある梯梧之塔と少し歩いた先にある伊原第一外科壕に足を運ぼうか。」


支倉の適切な発言に侑斗は「まあそうでしょうね。普通に考えたら女子高生ですからね。色々とやりたかったことだってあったでしょう、お洒落だって恋愛だって、戦争でそれらの全てを楽しむ権利を奪われてしまったのかと思うと、辛いですね。展示ブースに展示されてある内容が僕達にとってはヘビー過ぎて、ひめゆり平和記念資料館が心霊スポットでも何でもないんですけど、空気が重苦しく感じますね。ここには亡くなられた方々の生きた証が残っている。」と支倉に対して語ると、二人の足取りは段々と遅くなっていき、ついには亡くなられた全227名の方の遺影が壁面に展示されてあるブースにまで辿り着くと、支倉は侑斗に「侑斗君は大丈夫か?辛い。」と話すと泣くことをこらえていたのか思わず涙を流しハンカチで拭い始めた。


支倉の泣く姿を見た侑斗は「支倉さん、泣かないでください。僕だって展示されてあるコーナーの一つ一つが辛すぎて、もう駄目だ。我慢できません。」と話すと侑斗もこらえきれずに大粒の涙を流し始め持っていたハンドタオルで頬を拭った。


涙ボロボロの状態で二人は亡くなられた227名の遺影と人柄を伝える文章を一つ一つ目に通して、支倉が「侑斗君が話していたここにいると足を捉まれるって話はどうやら本当のようだな。誰かに足首を掴まれたような気がして、足首を見たら誰もいないのだがでも霊視をしたらもんぺ姿の女の子たちが複数いるのが確認取れた。きっと自分のことを伝えてくれているこのブースこそが彼女たちにとっては自分たちの思いを訴えることが出来る場所なのだろう。改めて手を合わせなければいけない。」と涙ぐみながら侑斗に話すと、侑斗は「僕も太もものところまで、女の子達に捉まれた感覚がありますね。まるで助けを求めるような感じでしたよ。亡くなった今でも僕達に訴えたいことがあって伝えるために現れているのかもしれませんね。」と涙を流しながら語ると二人はその場で御祓いを実施し、次のブースの”回想”に移動した。


入り始めたところで、侑斗が支倉に「紙とペンがありますね。ここで今まで展示されていたブースの内容を振り返りながら感想を書くことが出来るみたいですよ。来た記念に書きますか?」と聞くと、支倉は「そうだね。先程の女学生の御霊達に僕達の思いを伝えたい。」と答えると、二人は記入スペースへとやって来て書き綴り始めた。


”平和であることの有難さ・尊さを思い知らされました。資料館にきて改めて壕内で負傷兵の治療に尽力されたひめゆり学徒隊の皆様に心から感謝の気持ちと追悼の意を申し上げます。合掌。”(支倉)


”ひめゆり学徒隊として尽力された方々の遺影や遺品を見て、これからキラキラとした明るい未来があったと考えれば考えるほど、戦争が憎く感じてなりません。安らかに眠って欲しいと願ってやみません。”(侑斗)


二人が書き終えた後に、掲示するスペースに思いも思いの言葉を書き綴ったのを掲示すると、侑斗は支倉に「やっぱりそんな言葉しか思いつきませんよね。」と話すと、支倉は「これ以外の言葉が見つからない。戦争さえなければ、彼女たちは自由に恋愛して結婚して出産して子供を育てているだろう。女性として掴むべき幸せが奪われたことを考えたらやるせない思いしか浮かばない。あまりにも辛すぎる。」と話すと、侑斗は「結局アメリカのような大国と戦った結果、何かいいことはありましたかってことだね。最初から負け戦になるのは分かっていたはずなのに、犠牲を払うのは何の罪もない国民。アメリカは奇襲攻撃を仕掛けられたRemember Pearl Harbor(=真珠湾を忘れるな)の復讐にしか過ぎなかったわけですから、戦争をして得することなんて何もない。キラキラとした明るい未来が待っていたのに奪われてしまったと考えたら、それだけでもこういう資料館はあってこそ彼女たちの死を改めて伝える場所でもあると同時に、同じような過ちは二度とあってはならないですね。」と語った。


資料館を後にした侑斗と支倉は、献花するための花を購入するために道沿いの献花販売店に足を運ぶと献花を購入して、慰霊碑の前まで歩き始めた。そして慰霊碑を前にして改めて支倉が購入した花を献花台に献花すると、侑斗と共に深々と頭を下げて両手を合わせ拝んだ。


支倉が侑斗に「慰霊碑の前にある防空壕、洞窟や壕の事を沖縄の方言でガマって言うんだけどね。ここはかつて沖縄陸軍病院第三外科壕跡を慰霊碑にしたもので、戦争中だった時はひめゆり学徒を含む病院関係者や住人など大よそ100名はいたとされ解散命令が出された後の6月19日に米軍によるガス弾攻撃を受け80人余りの方々が亡くなった。薄暗く狭い壕の中で多数の負傷した兵士の呻き声が轟く中で必死になって治療に専念したひめゆり学徒や、必死になって生き延びようとした住人の方々が共存していたんだなと考えたら、俺達が資料館の中で体験した足を捉まれたというのも、この地で白い旅立ちを迎えることになった彼女たちの悲痛な叫びに聞こえてきた。」と話すと、侑斗は「陸軍病院跡地って書いてあるのに、後輩として先人達の声なき声に耳を傾けようとしなかったのが不思議でしょうがないですね。そもそもどうして沖縄に来てからここに訪れなかったのか、普通なら行くでしょ。」と支倉に対して言及すると、支倉は「言ったと思うけど、本当はこんなところに行くのは辛い。それに旧陸軍関係の慰霊碑や跡地に陸自として足を運ばなければいけないスポットって沖縄だけで考えてほしいけど滅茶苦茶多いよ。喜屋武岬で杏美さんが糸満市の心霊って言っていたけど、轟壕の話をしたのって覚えているか?」と侑斗に訊ねると、侑斗は「ああ。1時間も遅刻しておいてって怒りがまだ収まらないんだけど、確かに話してましたね。」と言って返事をすると、支倉は「轟壕のほうが群を抜いてきついところなんだ。」と話すと侑斗は「轟壕がきついことに理由があるんですか?」と聞き始めると、支倉が重い口調で語り始めた。


「轟壕は沖縄県庁最期の地としても知られていて、昭和20年(1945年)6月15日に壕に避難していた当時の沖縄県知事の島田知事が部下に対して行動の自由を与えるための解散宣言を行ったことから沖縄県庁最期の地として伝わるようになった。宣言を発表した島田知事は摩文仁の軍司令部壕へ向かうために壕を後にするのだが、知事が出て行ったことを知って日本兵の集団が壕の中に割り込んで入ってきて避難していた住民を奥の湿地帯へ追いやり監視をはじめ、食料の強奪や幼児虐殺などを行ったともいわれている。6月25日に壕内にいた約500~600人の住民はアメリカ軍に降伏するがそれより前のアメリカ軍の攻撃や日本兵の暴行、さらには餓死者もいたため、ここでは多くの住民が命を落としたそうだ。今でも白髪のお婆さんの霊が壕の中で座っているという噂が有名なんだけど、修学旅行で轟壕に見学に訪れた学生が鼻を突くような異臭がした、”ここから出られないんだ、出ちゃいけないんだ”と誰も声を発していないのにそんな声が聞こえてきたという話がある。これを果たして沖縄の怪談話って言っていいのかどうか、供養目的としては伝えねばならないし、訪れなければいけないんだろうね。」と話すと、侑斗は「日本兵なら尚更お詫びしないといけないのにどうして行かないんですか。それに沖縄のみならず日本各地の慰霊碑に後輩として足を運ばなければいけないと思います。田原坂だっていかれましたか?政府軍の一員として戦った帝国陸軍の亡くなられた兵士の皆さんが支倉さんのような陸自の関係者の慰霊登坂を首を長くして待っていると思いますよ。ある霊能者は100年以上も前の霊は可視化されたとしてもドロドロの土人形のような状態で現れると言いますけど、僕が見た田原坂の政府軍として戦った英霊達は生きているかのように生々しかったです。西南の役が起きて148年は経ちますけど、これは関係者の供養の気持ちがないからカンカンになって現れたのだと僕は思ってますけどね。」と指摘すると、支倉は「侑斗君。そんなことを言ってしまうと、日本全国あちこちでお詫び行脚しなければいけなくなってくる。それに自衛隊としては田原坂公園の敷地内にある慰霊碑に手を合わせることはしているから、それはあれだろ、抜刀隊の一員だった警察の供養の気持ちが足りていないってことだろ。兄貴に聞きなよ。」と答えると、侑斗は「資料館のマネキンの衣装で見た抜刀隊のみならず歩兵隊の皆さんも見ましたよ。それはさすがに今でいう自衛隊だと思いますよ。果たしてそれが陸か海かと聞かれたら、それは両方いたと思います。着ていた軍服が違いましたから。」と語ると、支倉は「陸上も海上も隊員として御参りしなければいけない所は沢山あるからもう聞きたくない。」と項垂れるように話した後、「こんな慰霊碑の前で長居していたら、平和記念資料館まで回り切れなくなる。今時間は13時30分を過ぎたところだから、ひめゆりの塔の御参りは済ませたところだし、あとはさっと梯梧之塔と伊原第一外科壕に行った後にお昼ご飯をここで済ませて14時30分ぐらいには出発しようか。」と侑斗に対して切り出すと逃げるようにして後にしたのだった。


「所詮、陸軍のことだから関係ないですか。いや違うだろ。陸軍と陸自の違いって何だ。常に武装して戦うことが出来るか否かの違いぐらいだろ。根本は同じはずだ。」


支倉の口から納得のいかない答えを聞いた侑斗はモヤモヤしていた。


そして二人はひめゆりの塔を後にして、観光センターの敷地内に入ると、その奥にある梯梧之塔で頭を深々と下げた後に両手を合わせさっと拝み終えると、歩いて9分の所にある伊原第一外科壕に向けて移動する。壕の前に到着したと二人は深々と頭を下げ両手を合わせ拝んだところで、車を駐車させておいたひめゆり会館のところまで戻ってくるとそこで食事を取ることにした。


そこで侑斗は改めて支倉に追求することにした。


「支倉さんの言っていることは非常によくわかります。悪い事以外にも足を運ばねばならない所って日本各地存在していると思います。でもそれってさっきの支倉さんの答え方だと、誰もが責任逃れをしているようにも聞こえて理解を示さないと思いますよ。今の陸自だって、アメリカ側の指示で敵から襲われたときに自衛するための組織は持ちなさいって言われて結成したのなら、陸軍だって同じじゃん。自衛するための組織であり、襲われそうになった時に国民を守る目的で戦うことが出来る。今の自衛隊は憲法9条に定められていることに忠実に守らなければいけないこともあるから、決定的な違いはそれは敵国から襲われたときに抵抗を示すことが出来るが、敗戦国である以上相手国に攻めたりすることは出来ないということだ。そう考えたら、根本は同じですよね。旭日旗を掲げているのもその名残ですよね。」


侑斗の指摘に支倉は「あんま大きな声で話す内容じゃないんだけどね。でも侑斗君の言っている通りだよ。守ることはできるが、攻撃は出来ない。それが陸軍と陸上自衛隊の決定的な違いだ。でも、轟壕の話、行かない割には詳しすぎるって思ったりしなかったか?」と侑斗に対して訊ねると、侑斗は「それは、支倉さんが知っていたんじゃないんですか?」と聞き始めると、支倉は「沖縄に来た時に、ここだけは足を運びなさいって上司に言われて轟壕には行ったことがある。壕内はとてもひんやりしていたが、悪寒に近いような、歩き進んでいくにつれ激しい頭痛と吐き気に襲われた。苦しかったけど何とか我慢して、壕内を探索することが出来たけど、二度目はもうないなと思った。洞窟内にある亡くなられた方々の供養のための地蔵を前に何度も頭を下げて、自分のミスじゃないけども謝らなければいけないって気持ちになってぺこぺこと頭を下げたのだけは覚えている。でもそのときに、俺の背後には誰もいないはずなのに、噂されていたお婆さんの霊なのかどうかはわからなかったんだけど、俺の謝る姿勢に背後から女性が俺に声をかけてくれたんだ。”あなたが犯した過ちじゃない、そこまでして謝る必要はない”って言ってくれて、そのときにふと気持ちが軽くなったのが今でも覚えている。あれは今でも何だったんだろうっていうのはある。」と語ると、侑斗は「行ったことがあるなら、行ったことを体験談として語らないとそれは亡くなられた方々の供養にもならないと思いますよ。」と話すと、支倉はうんうんと頷きながら「一度は侑斗君も足を運んだらいいと思うけど、やっぱり俺は戦時中の知覧特攻平和会館もなんだけど、こういう亡くなられた方々の足跡を辿るってのか、長崎の原爆資料館にも行ったけど、この方達の犠牲があって今の俺達の平和があるんだと思うと、言葉には言い尽くしがたいね。少なくとも二度目はない、一度足を運んだらそれで終わりといったところかな。」と語った。


二人が座るテーブル席に注文していたソーキそばが並ぶと、侑斗は「美味しそうですね。気分を変えて頂きましょう。」と話すと、割り箸を先に支倉に渡し自分の分の割り箸を取った後に「頂きます。」と挨拶してから、麺を最初に食べ始めた。


「支倉さん、めっちゃ美味しいですよ。食べましょうよ。」


侑斗に言われた支倉は「そうだね。頂くことにするか。」と語り、「頂きます。」と挨拶してからスープをすすり始めた。


「美味しいね。」


二人は注文したソーキそばを食べ終えた後、駐車場まで戻ってくると改めて自身の御祓いを済ませ、平和記念公園へと向けて車を出発した。


「フフーン♪フフフーン♪」


助手席に座る侑斗に支倉が「何?どうした?そんなに平和記念公園に行くのが待ち遠しかったのか?鼻歌まで歌ってどうした?」と気になって質問すると、侑斗は「何言っているんですか。僕じゃない。僕も聞きましたけど車のラジオの音楽じゃないんですか。」と答えると支倉は「何言っているんだよ。ラジオなんか聞いていないよ。」と話すと、侑斗は気になり後部座席を見ると慌てた表情で支倉に説明した。


「女の子たち、ついて来てますよ。」


侑斗に言われた支倉は信号待ちの際に恐る恐るバックミラーで後ろを覗くと、長髪を後ろで束ねているもんぺ姿の女の子たちが複数乗っているのを見た瞬間に侑斗に「平和記念公園の駐車場に来たら早急に御祓いしないといけない。どうやらつれてきてしまった。」と話すと、侑斗は「そうみたいですね。僕と支倉さんのどっちかが気に入ってついてきたんですかね。」と話すと支倉は侑斗をちらっと見て「答えは分かり切っている。イケメンの侑斗君に決まっている。学徒隊の女の子たちのファンが出来てよかったな!」と話すと侑斗は思わず突っ込んだ。


「御霊達のファンが出来ても嬉しくありません!!」

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート