青く輝く惑星(ほし)で

朝倉 畝火
朝倉 畝火

7-9 空の上の追走劇

公開日時: 2024年11月21日(木) 06:00
文字数:2,816

「ナニカ、ごようハゴザイマセンカ?」


「またか……」


 エクアトリアの兵士、マディウンはうんざりしていた。


 ここ白虹《はっこう》では、なぜか体が宙に浮いて普通に動くだけでも苦労する。だというのに、丸みを帯びた奇妙な機械の人形――ロボットというらしい――が頻繁に話しかけてきて鬱陶しいことこの上ない。


 管理者の話では『千年ぶりに人間が来たので彼らも張り切っている』とのことだが。


「なにかと言われてもな――ああ、そうだ。俺たちの乗ってきた籠……ケージトレインだっけか? あれの掃除でもしててくれないか。帰りもあれに乗るんだし」


「カシコマリマシタ」


 独特のイントネーションとともに棒のような腕が振られた。金属製の帯で束ねられた車輪を足にロボットが去って行く。きゅるきゅると回るベルトが、どうして床から離れないのか謎だ。こちらはじっとしているだけでも難しいというのに。


(無重量状態、だっけか? 空の上がこんなおかしな所だとは聞いてなかったぞ)


 護衛としてではあるが、調査チームの一員に加えられたのは光栄だ。だが全くの未知の状況に、どうしても不安を拭いきれない。数ヶ月に及ぶ船旅を終えて空に広がる森にたどり着いたと思ったら、仲間の不始末で起きた火災の消火に追われ、ようやく鎮火した先に鳥籠のように狭い部屋へ荷物もろとも押し込められ――。


(森に残った居残り組がうらやまし……。いや、そんなことを言ったら恨まれるか。これはこれで貴重な体験だし)


 などと思いながら窓の外に広がる闇の世界とそこに浮かぶ青い球体――空の世界――を眺めていると、背後で物音がした。


「なんだ?」


「なんの音?」


 同僚も怪訝《けげん》そうに振り向いたので空耳ではない。仕事ができたことに少しほっとしつつ、マディウンは床を蹴った。


「ちょっと見てくる」


 了解、という声を背に宙を滑る。


「ふんッ」


 眼前に迫ってきた壁に手を突き方向転換、跳ね返されるようにして通路の角を曲がる。そうして宙を漂うように進んでいると、掃除を頼んだのとは別のロボットが走って来るのが見えた。さらにその先にも、小さな人影が。


「まてー」


「ニゲロー」


「……子供?」


 つい最近、どこかで見たような気がする。そんな疑念を込めてつぶやくと、相手もこちらに気付いた。小さな影が慌てたように背を向け叫ぶ。


「わーたいへんだ。みつかっちゃったー」


 不自然に抑揚の欠けた声だったが、それで気付いた。空の森の消火活動に当たっていた時、どこからか飛んできてシグレに食って掛かった少年だ。しかしにわかには信じられず、マディウンは半ば確かめるように呼び掛けた。


「隊長の弟か!?」


「にげろー」


「おい待て!」


 どうやってここまできたのかは知らないが、調査の妨害をされるわけにはいかない。彼を拘束するべく、その背中に向け手を伸ばし――。


「くそっ」


 マディウンは舌打ちした。一度勢いをつけると、身体が宙を滑って思うように移動できないのだ。水の中のように泳げはしないかと手足で空気をかいてみるが、その間にも少年はゼンマイ仕掛けの翼を羽ばたかせ先へ行く。こんな調子では、一人で追うのは無理だ。


「侵入者だ! 隊長の弟が紛れ込んでいる!」


 声を張り上げながら自身の体勢を立て直す。向きを確認するべく視線を巡らせていると、班の仲間が流れて来るのが見えた。


「どこ?」


「あっちだ。ケージの発着場! 俺はこのまま追うから、キャンベラは皆に知らせてくれ!」


「分かった!」


 同僚に指示を出し壁を蹴る。 本来ならば、大人が多人数で取り囲めば子供一人ぐらい楽に捕まえられる……はずなのだが。


「おい、こら!」

「わっと」


「待てと言って――ええいっ!」


 重力が働かないという未知の環境は、年齢や体格といった差を弱めていた。それどころか子供の方が適応は速いようで、合流した仲間とともに取り囲んでみせても、間からすり抜けるようにして逃げてしまう。そして気付けば、隊長であるシグレを除く全員で追う羽目になっていた。


「屈辱だ。たかがガキ一人相手に」


「ねえ! このままでは埒《らち》が明かないわ!」


「分かってる! どこか隅にでも追い詰められれば……お?」


 愚痴とも相談ともつかない会話を交わすうちに、軌道ステーションのホームに出た。先が見通せないほど広々とした空間に、調査隊の乗ってきたケージトレインが並んでいる。そして先ほど頼んだ掃除のためだろう、籠の出入り口であるドアは大きく開け放たれていた。そのうちの一つに、絡繰《からく》り仕掛けの翼をはばたかせる少年が近づいていく。


(しめた!)


 チャンスと見たマディウンは、背後を振り返って仲間に向け叫んだ。


「このまま追い込むぞ! 俺とキャンベラでケージに追い立てるから、他は先回りして壁になってくれ!」


「了解!」

 籠に入ったところで出口をふさげば袋の鼠《ねずみ》、身柄を確保するのは簡単だ。あとはそのまま隊長に引き渡し――と、次に採るべき行動を思い描いた時だった。


「高速展翅オニヤンマ」


 少年の背中で震える羽の勢いが増す。それまでのゆったりした羽ばたきが高速の振動となり、鈍い響きを奏でる。


「わひゃ!」


 少年が奇妙な声を上げながら宙返りした。滑らかな弧を描きながら、一気にマディウン達の背後に回り込む。


「なに!」


 思わず叫んだ一瞬で全てが決まった。そのまま少年は螺旋《らせん》を描くようにして飛翔を続け、籠から離れてしまう。


「しまったっ」


 舌打ちする間にも、体は大きく口を開けたケージトレインの中に突っ込んで行ってしまう。今は一瞬でも無駄にできない。思考するより早く、マディウンは自分に続いて流れ込んでくる仲間に向け叫んだ。


「すぐに外へ出ろ。そのまま壁を足場にして出口に飛べ!」


「ええ! ……っと」


 優秀な同僚だが慣れない環境で動きが鈍い。それでもどうにか出入り口に近づいた、その時。


「クァー!」


 どこからともなく、カラスの鳴き声が響いた。それが合図だったかのようにドアが閉じ、箱型の列車が音もなく動き出す。


「どうして!」


「……あのガキの仕業か!」


 突然のことに驚く仲間の問いに、吐き捨てるような声で答える。しかしそれ以上はどうすることもできない。苛立《いらだ》ちと悔しさからマディウンが歯軋《はぎし》りしていると、車内の奥から独特な抑揚の付いた声がした。


「どう、シマシタカ?」


 先ほど掃除を頼んだロボットだ。この幸運を逃すまいと、マディウンは勢いよくヒトならざる案内人に詰め寄った。


「今すぐここから出たいんだ! どうすればいい!?」


「もうシわけアリマセン。けーじとれいんハ、とちゅうデおりるコトハ、デキマセン。もどりたいノデシタラ、いちど、ていきどうすてーしょんマデ、いクひつようガアリマス」


「その、なんとかステーションとやらまでどれくらいかかる!?」


「七十じかん、デス」


「な、んだと……」


「だいじょうぶ、デスカ?」


 思わぬ数字を聞かされ、全身から力が抜ける。宙に漂い始めたマディウンを、ロボットが優しく抱き留めた。

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