午後13:30 地下食堂
館の地下には下級メイド用の食堂がある。食器は古びた流用品、食材は余った食材の使い回ではあるものの、何かしらの食べ物はある。年若い洗い場メイドが働く最前線だ。
料理系メイド最低位にあたる洗い場メイドがここで腕を振るうのは、多少調理に失敗しても下級メイドなら腹を壊しても構わないからだと言われている。
出てくる皿を見てみれば確かになにがしか失敗している。下級メイドたちは、やれへたくそだの、酸っぱすぎるだのと文句を言いながら今日も腹を満たし。バカにされた洗い場メイドはこんにゃろめと憤って腕を磨いていくのだ。目指すは正規厨房、キッチンメイドである。
ガヤガヤとごった返すそんな食堂で、おさげとリンは昼食を取っていた。
「それで、ティースプーンは見つかった?」
糸のような目をしたリンがさらに目を細めて、大きな白菜のソテーを切り分ける。おさげが一人で座っているのを見かねて、リンが同席したのだ。ドロシーに様子を見ておくよう言づてられたらしい。気にかけてもらえるというのは嬉しいものだ。
「えっと、それがまったく……それに、あれから大して時間も経ってませんし。」
そう言って、おさげは付け合わせの野菜炒めを口にする。
もぐもぐと咀嚼していると、隣から騒がしい声が聞こえてきた。今朝方、脱走を企て、蜂の巣(ハイブ)で簀巻きにされていた三人組だ。リーダー格らしいツリ目の下級メイドが怒り、仲間らしきめがねとまえがみが特徴的な下級メイドがしきりに頷いている。
何をどう聞いても脱走を企てているようにしか聞こえない。なぜそんなリスクを取れるのか、理解できない。
「あの……あれ。いいんですか?」
「ああ、あいつら昔からずっとああだからなー。ああ見えて仕事は早いんだよ。昔は脱走する度に人手が必要になって面倒だったらしいけど。今は藤原先輩が召喚したケルベロスがいるし、大丈夫だよ。」
明らかに失敗するとしか思えない脱走案をめがねが提示し、ツリ目とまえがみはこれでいけると喜んで、計画を練っていた。
真面目に働いている自分はクビになりそうなのに、あんなふざけた人たちはメイドとしてやっていけている。おさげには悔しかった。
「うーん、お前。頭良さそうなのになー。」
リンが白菜を口に運ぶ、褒められているのか貶されているのかわからない。
「そんなことないですよ。スプーンひとつ集められない駄メイドです……。きっとわたしは獣人の晩ご飯にされちゃうんです」
「んー、どうかなぁ。お前は細すぎて食いでがなさそうだし。骨が細かくて面倒くさそうだ。」
さらっと物騒なことを言われた。以前は食肉加工業にでも従事していたのだろうか。
「そ、そうですか?」
「うんー」
リンが大ぶりの白菜をぶちりと噛みちぎる。思いのほか犬歯が鋭い。
なんとか場を和ませようと、おさげは話題を変える。
「リンさんって、犬とかお好きなんですか?」
「ぐぶはっ」
唐突にリンがむせた。咳き込んで水を飲む。
「なぜ、そう思った……?」
今朝小部屋で見たことを伝えると、リンの真剣が顔がみるみる赤くなった。
「べ、別にあれは。いやらしい意味ではなくて純粋にだなー」
「いやらしいんですか?」
まっすぐな目をしたおさげに追求され、リンが押し黙る。しばらくして観念したようにこう言った。
「くっ、殺せ……!」
「なんで!?」
なぜこんなことになったのだろう。いたたまれなくなったおさげは話題を変える。貴重な昼食の時間だ、有効に活用したい。
「あ、そうだ。ちょっとお伺いしたいことがあるんですけど、青竜楼って何かあったんですか? ホワイトボードには今日は婚礼って書いてあるのに、誰もいなくて」
リンは少し考えてから、思い出したようにこう言った。
「……ああ、花嫁がさらわれたんだよ。おかげで急に婚礼がキャンセルになって大変だったんだー。」
そんなことが現実にありえるのだろうか、まるで物語のようだった。結婚式の最中に男が花嫁をさらうやつだろうか。
「いや、上階のホテルに泊まっているところをさらわれたらしい。まぁ、そうなるよねー。式の最中に手を出すよりはやりやすいわけだし。」
おさげは考える。これはまずい、この異世界ホテルの信用に関わる。しかし、ケルベロスが守るゲートをそう簡単に突破できるものだろうか。それも、暴れる花嫁を抱えながら。
いや、問題はそこじゃない。事件がすでに起こっている以上、重要なのは落とし所だ。
婚礼にかかった莫大な費用はご祝儀代で相殺するものだが、宴席自体が開かれないのであればご祝儀が出るわけもない、全額お客様の負担になる。もしホテル側に非があったら話がややこしくなる、この責任の所在はどうなるのだろう。状況次第でかなり揉めるのでは。
「あ、そうか。だから玄武楼で会議やってるんだ。」
緊急的に会議が開かれた理由がわかった。今頃、宴席の主催者たちと話し合いの場が設けられているのかもしれない。
「まぁ、そんなとこだよ」
「私らメイドからすればいい迷惑だよー。突然夜中に青竜楼の婚礼がキャンセルになったと思ったら今度は玄武楼のセッティング。とにかく穴熊楼に調度品を突っ込んで玄武楼が空になったのが02:30くらいだったかなー、そこから机やら椅子やら運び込んだんだよー。自室に戻る時間もないから空き部屋で寝る羽目になった。なんで私ばっかこんな。実はまだ少し眠いんだ……」
リンが眠そうにあくびをする。おさげは笑顔を貼り付けたまま、なんとか「それは大変でしたね」と口にする。
違和感がある。空き部屋にいたメイドはリンを含めて十人程度だったはずだ。
ああそうか、あそこにスプーンがあるのか。知っていて黙っているとなるとリンが黒幕か、もしくは少なくとも悪意を持っていることになる。
笑顔を取り繕って、平静を保つ。少しでもリンに疑っていると思われたら、はぐらかされて終わってしまう。嫌われないよう、拒まれないよう、自然な言葉を選ぶ。
「それにしても先輩方はすごいですね。それっていきなり始まった会議のセッティングだけじゃ済まないじゃないですか、青竜楼も片付けないといけないわけですし」
白虎楼がそうであったように、婚礼のセッティングは大量のメイドを使う大仕事だ。
前日からセッティングした青竜楼を元通りにする時間が昨日のリンにあったとは思えない。ただ、リンが素直に話してくれる可能性は低い。それはティースプーンを隠していると白状するに等しいし、目下の者に失敗を知られるのは屈辱だろう、おそらくはぐらかされる。でも、何かしらの反応はあるはずだ。
リンはいつものように糸のような目をしている。
きょとんとしているようにも見えるが、何を考えているかわからない。
ここで言質を取りたい。青竜楼の明かりをつける際にメイド長の許可が必要になる可能性がある。そうなれば自分の言だけでは足りない相手にされないだろう。最底辺に位置する最弱のメイド見習いである以上、青竜楼にはティースプーンがあることを保証する、誰かの言葉が欲しかった。
「何でそんなことを気にするのかわからないけど。青竜楼はそのままだよ? 明日にはまた別の婚礼があるし。次のセッティングの時にテーブルを足し引きするだけでセットが済むから、この方が楽なんだー」
「えっと、それってもしかして……ティースプーンも?」
そんな、まさか。本当に忘れていただけ? そんなことがあり得るのか? わたしが必死に探していたスプーンが、そんな、馬鹿な。悪意でも謀略でもないただのうっかりで。
リンが思い出したように視線を上に泳がせ、眉間にしわを寄せた。
「……あ、まだ青竜楼の中だ。」
見つけた……! それもこんなに簡単に! あの暗闇の中、青竜楼の中にはティースプーンがある。それも婚礼一回分……相当な本数だ。それだけで白虎楼のティースプーンすべてをまかなえるかもしれない。まさか、この地下食堂でティースプーンを見つけることになるとは。
そして、これで消えたティースプーンの謎も解けた。
「まず、青竜楼で行われるはずだった婚礼が花嫁を奪われてキャンセルになる。その後、婚礼失敗の責任の所在を問う会議が開かれる。ここでティースプーン250本がキープされる。さらに、本来戻ってくるはずだった青竜楼のティースプーンが時間的な問題で放置される」
「消えたティースプーンは銀器庫から持ち出された分と、銀器庫に戻らなかった分の二つがあったんだ。」
そして、銀器庫の番人シルバーホルダーが不機嫌だった理由もわかった。シルバーホルダーからすれば、下級メイドが持っていったティースプーンがまだ戻っていないのだ。それなのに管理を疑われては怒るのも当然だろう。どれほど銀器庫の管理を徹底しても、戻らない銀器についてはどうすることもできない。
……今思えば藤原先輩が朱雀楼と玄武楼分のティースプーンを誰よりも早く回収したのは正解だった。ティースプーンの総数が足りない以上、先に使うところから補填していくことになる。仮に朱雀楼と玄武楼で使う合計500本のティースプーンを白虎楼担当のおさげが回収した場合、困るのは白虎楼より早くティースプーンが必要になる朱雀楼のドロシーと玄武楼のリンだ。
そうなれば、リンが青竜楼の銀器の存在を失念している以上、白虎楼のティースプーンを回収することになるだろう。会議や婚礼の時間を考えれば回収されたスプーンが戻ってくる保証はどこにもない。必然、おさげは抵抗することになる。一度ティースプーンの奪い合いになり関係が悪化すれば、使い古しのコースターに館の地図を書いてもらったり、こうして食堂で一緒に食事を取り、青竜楼に残留しているスプーンの話を聞くことはできなかっただろう。考えたくもない事態だ。
藤原先輩が狙ってやっているのだとしたら、とんでもない事だ。たった一手でその後に起こる問題を、問題が起こる前に解決していることになる。藤原先輩とは一体何者なのだろう。
なぜ、こんなにも気を配ってもらえるのかわからない。
人とは弱者から奪い、強者のみが豊かになるものではなかったか。
ドロシーといいリンといい、人間ができすぎているような気がする。おさげが住んでいた屋敷は裕福だったが、こんなにいいところではなかった。
この館では自分の人生が、他人につながり広がっている。広いけど狭い、内側に閉じた屋敷とは大違いだ。ここでは人が否応なしに世界に関わり、影響され、変化していく。他のメイドたちは外界から隔絶された館に嫌気がさしているようだけれど、とんでもないことだ。
ここでは身の振り方によって人に好かれたり、愛されることもできるのだろう。嫌われることすら、選択できる。
それは途方もなく素晴らしいことのように思えた。
自分の人生を自分で左右することができるのだ。誰かに決められた運命ではなく。
「いや、なんていうか申し訳ない。もっと早く気づけばよかったな。」
申し訳なさそうなリンにおさげはわたわたする。
「いえ、そんな。リンさんだって夜中まで働いて大変だったでしょうし。」
あたりにはガヤガヤと食事を取る下級メイドたち、厨房には働く洗い場メイドたちが忙しなく働いている。自分もいつかこの館の一部になるのだ。この課題をこなして、きっと一人前のメイドになってみせる。
ふと、気づいた。ここには下級メイドと洗い場メイドしかいない。
中級以上のメイドやキッチンメイドは食堂も別なのだろう。下級メイドの住処は生活圏最下層と聞いているから、少なくとも上階にいるとして、管理は誰がしている? 少なくともディーネメイド長ではないはずだ。
元令嬢の経験から察するに、最上位にはメイドと鍵の管理者たるハウスキーパーや料理長がいるはずだ。そして主人に直接仕える侍女、上級メイドもいるだろう。中間の組織図が気になる。想像はつくものの確信が欲しい。それとなく、当たり障りのない言葉を口にする。
「ふと思ったんですけど、この館のメイド長って何人いらっしゃるんですか?」
「え、メイド長? んー、私も詳しくはないけど、上階にも何人かいるみたいだよ。給仕とか客室とかリネンとか、それにほらBARもあるし、それぞれに責任者というかメイド長はいるんじゃない? 少なくとも、ディーネメイド長が何でもやってるわけじゃないよ。」
つまり、ディーネメイド長はあくまで下級メイドの管理者でしかないわけだ。
下級メイドを統べる役職など、メイド長の中でも最低位、他のメイド長と親密になる時間さえあれば、外部から何らかの圧力をかけることもできたかもしれないとおさげは考えた。生き残る為だ、手段は選べない。正攻法が使えないなら、絡め手を使うことになるだろう。もっともディーネメイド長が下級メイドの首を飛ばす力を持っていることに変わり無いが。
他にも聞いておきたいことがある。
「ところで、青竜楼にあるティースプーンって勝手に使ってもいいものなんですか?」
権利関係は重要だ。
単にティースプーンを集めるだけなら、この地下食堂から集めたっていいのだ。二階よりもさらに上の階層から借りる手もあるが、それはできない。管理者が違うからだ。
これも上階やキッチンメイドにツテがあれば使えた手ではあるものの、まだそういったコネは構築できてはいない。人見知りなおさげにそんなことができるかはわからないが、少なくとも前住んでいた屋敷のメイドにはそうやって融通をきかせる者もいた。
現状のところ、ディーネメイド長が他のメイド長にかけ合って借用できるかどうかというレベルだろう。現実的ではない。一介のメイド見習い、それもスプーン集めの試験中にそんな世話を焼いてくれるとは思えない。
生き残る為には自分でなんとかしなければならないが、それはあくまで館のルールに則った上での話だ。何でもありというわけではない。正しい手段で青竜楼からティースプーンを回収する必要がある。
ここで問題になるのは現在青竜楼担当のメイドがいない点だ。
担当メイドがいないのをいいことに本来銀器庫に返却するはずのスプーンを回収していいかは微妙だった。
使い終え、洗い場から銀器庫に戻るスプーンならまだしも、すでに配置され使用予定があるものを回収するという行為は窃盗という扱いになるのではないか。そうなればタダでは済まない。
「そこに関しては私もわからないなー、ドロシーなら嬉々として奪い取ってきそうだけど。かなりグレーゾーンだ」
「そんなことをすれば、翌日青竜楼で「ティースプーンが消えた」と騒ぎになるだろうし、犯人探しになったら最悪つるし上げられるぞ。間に入ってやりたいけど、その時近くにいられるとも限らないし。それに明日の青竜楼は重要な席になるからできる限り問題を起こして欲しくないなー。」
「なるほど、勉強になります。」
正しい手段でディーネメイド長に許可をもらうべきだ。勝手に判断するのは危険すぎる。
リンはスープに口を付けると眉間にしわを寄せ、飲まずに器をテーブルに戻した。
「どうかされたんですか?」
「ん、オニオンスープだった。ネギ類は苦手でさー、身体が受け付けないんだよー。最初は前世的な呪いかと思っていたんだけど、あれるぎーってやつらしい。藤原先輩が言っていた」
「あれるぎーですか」
森の中に棲む精霊みたいな名前だ、どんな概念なのだろう。気になるけれど今はそんなことより青竜楼のスプーンだった。照明についても確定させておきたいことがある。
「青竜楼の明かりってどうやったらつくかご存じです? 見た感じ近くにスイッチとかなかったんですけど」
「ああ、あれはメイド長がどこかに連絡してつけてもらってるんだよ。下級メイドが勝手に明かりをつけられないように。」
そこまで答えると、リンが席を立った。
「ごめん、ちょっと体調悪くなってきちゃったから先に戻る。ティースプーン探し、がんばってね。」
そう言い残してリンが去って行く、手を振られたのでおさげも小さく振り返した。がんばってねと言われただけで、心がほどけるようだ。リンは敵ではなかった。
【ご主人ー! ご主人ー!!】
唐突にテーブルの上から声がした。目を移すと、屋敷妖精のフィーが何か訴えている。
【ようやく気づいてくれた! ずっと無視されるからなんか寂しかった!】
人目を気にしながら、おさげが話しかける。
「あの、すみません。全然気づきませんでした。」
【~~~~~~!!】
傷ついたフィーが何かを訴えながら、すっと消えていく。
目を凝らしても見つからない、こんなことは初めてだった。一体、何が起こっているのだろう。
机の上をぺたぺたと触ってみるが、何かに触れる感覚もない。消えたというより、わからなくなったに近い。
「フィー?」
何度見回しても、姿は見えない。
……ここは食堂だ。人が多い場所で不審な行動をするわけにはいかない。以前のおさげであれば人目も憚らずに妖精を探し続けただろうが、館で獲得した社会性がそれを拒ませた。
まだティースプーンは集まっていない、こうしている間にも時は過ぎていく。これから何をするか整理しなければならない。頭の中には集めたばかりの情報が散らばったままだ、早くかき集めないと、すぐに忘れてしまうかもしれない。
「友達がいなくなったっていうのに、探す時間もないんですね。」
おさげは青竜楼のティースプーンのことを考える。考えなければならないのに。フィーと過ごした時間がよぎっては消えていく。しかし、今のおさげはそれどころではなかった。働かなければならないのだ。小さな妖精のことなど考えている暇はない。
こうして少女は時間に追われ、幻想は失われていく。
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