異世界メイド

―Disappeared Teaspoon―
間野ハルヒコ
間野ハルヒコ

ACT10 異世界転生者

公開日時: 2021年11月22日(月) 22:56
文字数:6,027

午後15:35 地下迷宮最下層、転送ゲート前


 藤原はいわゆる異世界転生者だ。


 転生前の人生ではブラック企業で働くキャリアウーマンだった。


 飛び抜けた能力で会社の危機を何度となく救い続け、仲間から信頼され責任と権限を与えられていたが、過労が祟って呆気なく死んだ。


 平均睡眠時間2時間半、一日に摂取する栄養ドリンクは平均12本。ふたつ名が鋼の連勤術師では当然の帰結である。


 死後、果てた藤原の前に流麗な鎧兜の戦乙女が現れた。戦乙女は藤原のような鋼の意思を持つ企業戦士を欲していた。ヘッドハンティングである。


「其女の名誉ある戦死、確かに見届けた! その魂を我が社(株)オーディーンに召し上げよう! うちはいいぞ。過労の果てにすり切れた魂を修復する巨大建造兵器〈ヴァルハラ〉により魂朽ち果てるまで、いや朽ち果てても労働できるんだ! どうだ嬉しかろう!」


 しかし、藤原はこれを拒否。藤原的に待遇が良すぎたのである。残業は多いものの残業代が出るというところがネックだった。


 待遇が良いことを理由に断られると思っていなかった戦乙女はひどく動揺して、ではどんなところならいいのかと訊いた。男のような口調で藤原は答える。


「まず、労働基準法やそれに準した法律がないところがいい。社会的に底辺で労働環境は劣悪、ひどい偏見が蔓延っていて、非効率的で生産性に乏しいところだ。もちろん休暇はなし。あと賃金は少ないか、もしくは賃金が出ないところはないか?」


 戦乙女は絶句した。なぜそんなところを選ぶのか、幸せになりたくないのか。人間の考えることは理解できない。混乱する戦乙女に藤原は続ける。


「そんな職場があるなら、きっとそこはこの世の地獄だろう。ならばこそ職場を改善し、健やかな人生を歩める人々を増やしたい。生前、僕は自分の仕事に熱中するばかりで仲間の業務改善を怠ったからね。きっと、問題が起きる前に動けないとダメなんだ。」


 藤原の死後、藤原が働いていた会社は倒産した。一人ではとても抱えきれない量の仕事をこなしていた上に藤原にしかできない仕事があまりにも多すぎたのだ。


 戦乙女は内心「こいつヤバイやつだ。」と思いながら携帯端末で上司に連絡を取り、事情を説明し、本社に戻り、諸々のやたら面倒な事務手続きを済ませ、藤原の魂の行き先を決定した。





【フジワラ! フジワラ!】


 妖精たちが騒がしい、あたりを見回すと地下回廊には三、四十匹ほどの妖精たちが詰めていた。勝手に集まってきたのだろう。


 藤原が転送ゲート前の石段に腰掛けている。前を見やるとスキル〈次元融合〉によって石畳に脚を埋められ、身動きを封じられたケルベロスが唸っていた。妖精たちがおっかなびっくり近づいては噛まれかけている。


【わー!】【わーー!】と打ち寄せる波に近づいては逃げる小鳥のように、ケルベロスに近づいては逃げてを繰り返していた。自分たちに勇気があるところを示したいのだろう、たまに藤原の方をちらちら見ている。


 妖精たちの容姿はバラバラで、めがねをかけたものや獣のような毛が生えたもの、目がつり上がったものなど種類が多い。


 これらの妖精は所有者がスキル〈イマジナリーフレンド〉を喪失した結果、はぐれになったものたちだ。藤原はギフト〈精霊王の加護〉によって妖精たちを集め使役している、総数は藤原自身も把握していないが、百匹前後はいるようだった。


 藤原は転生する際、多くの制約を己に課した。それは「結婚しない」や「金持ちにならない」といったもので、これらの制約を守る限り、制約の重さに準じたステータス上昇を得る。


 藤原は自らに膨大な数の制約を課すことで途方もない才を手に入れた。これは戦乙女を事務手続きの山に埋没させ「もう二度とお前の担当はやりたくない」と言われたほどである。


 制約を破れば災いが降りかかると言われたが、自らを自動機械として扱う藤原にとってさしたる問題ではなかった。


 転生後、戦乙女に無理を言ってかけさせた肉体年齢を十七才で固定化する竜の呪いを逆利用することで、生後間もなく急成長を遂げた藤原は即座に両親を捨てて職につき、いくつかの職場を渡り歩きながら魔術と錬金術、機械工学を会得。館に腰を落ち着けて今に至る。


 館の業務改善は機械化と効率化によって行った。


 オイルランプを蛍光灯で駆逐し、食器洗い機は皿洗いにかかる時間を大幅に短縮した。その結果、多くのメイドが不要になり大量の失職者が出た。職を失ったメイドたちは借金ともども外に売り払われ闇に消えたが、それでも藤原は止まらなかった。


 人生に犠牲はつきもの。溢れる命を留めるよりも、必要と割り切った方が物事は回る。藤原は命の価値を数字と性能に求めた。


 家具を家具庫ではなく近隣の大部屋に積むことで館の家具の総数を増やし、家具庫は潰して大部屋に変えた。


 客の回転率と共に仕事量と利益が上昇し雇用も回復したが、上級メイドたちにはお客様を蔑ろにし、伝統的な手法を破壊していると揶揄された。


 それでも藤原は止まらなかった。その伝統とやらは非効率だったからだ。


 今回、簒奪された花嫁を奪還したところで、上級メイドたちに陰口を叩かれるだろう。余計なことを、そんなことしなくても問題なかったのに、と。


 主人の近くに侍ることを許された上級メイド、いわゆる侍女は主人を彩る装飾品として雅に振る舞うことが求められる。きれいな服や宝石を与えられることで勘違いすることはよくあることだった。


「結婚式前夜に花嫁が簒奪された原因は異世界ホテルのセキュリティの問題だ。よって結婚式の代金は支払わないし、むしろ慰謝料を請求する、か。結婚式代はともかく裁判になるのはなぁ。当館は異世界にあるのであんたがたの法の適用外ですって突っぱねることになるんだろうけど、できればやり玉にあげられたくないや」


 この世界には法がないので違法ではありませんでは評判が落ちる。


 この館は他の世界にあるような労働法をまったく守っていないので、人権団体やメディアに取り上げられてあら探しをされるのは避けたかった。借金のカタに女子どもを買い取ってタダ働きさせている悪の組織だと外世界の新聞に書かれるかもしれない。


 まぁ、まさにそうなのだが。


 しかし、人を売り買いしていない組織がどこにあると言うのか。あらゆる雇用は人件費と労働力の取引だ、そこから目を背けてはいけないし、搾取かどうかはどこまでも主観でしかない。朽ち果てるまで働けるなら、社会を構成する一員として本望ではないか。何がいけないのだろう。まったく理解できない。


 たとえば、何らかの事情で収入が減り。

 生活が立ち行かなくなった家庭があるとする。


 立ち行かないということはどう足掻いても無駄だということだ。口減らしにいらない奴を殺すか、殺した後に食うか、さもなければ皆で共に飢えるしかない。


 食料の奪い合いになればより多くが傷つけあい無駄に死ぬ。効率が悪いどころの騒ぎではない。


 ならば、持て余した子を売り払い必要な人間だけが残れば良い。実に効果的だ。親は自分の子を殺さずに済み、金まで手に入る。


 売り払われた子は別に死んでも構わないし、運が良ければ生き残ることもできる。つまりプラスしかない、というのが藤原の考えだった。


 藤原は人権思想がはびこり、人に値段をつけて売り買いする健全な取引きをごまかす世界を想像すると吐き気がした。


 命を秤にかけることを放棄し、人間には無限の未来があるなどと存在しない価値を押しつけ、現実を無視すれば歪みが出るのは当然だ。自分の価値を他人に測られたくないからといって、命の重さを誤魔化して何になるというのか。


 人の身で全ての命を平等に扱うことなど土台無理なのに、神にでもなったつもりだろうか。


 世界は完璧でないがゆえに、それを補強するシステムが必要なのに、なぜ理解できない。本来平等でない命を平等に扱うには莫大なコストがかかる。そのコストを無視できるほど、この多重世界はまだ豊かになっていないのだ。


 せめて、働き頭を失ってもご遺族の方が安心して生活できる保険制度の重要性を知ってから人権を語ってもらいたいものだ。この多重世界はどこも福祉の概念が希薄すぎる、戦争資金に使えると、どこぞの王でもそそのかし、年金制度を作るというのはどうか。


「……さて、花嫁奪還行ってきますか!」


 気を取り直して藤原はゲートに向かう。


 藤原は今回の花嫁簒奪事件についてあまり悲観していなかった、この花嫁簒奪事件の裏側で起こっていることについては、すでに解き明かしている。十中八九何事もなく終わるだろう。むしろこちらが示談金をふんだくれるかもしれない。


【フジワラ、おさげが天空楼に向かってるよ。放っておいていいの?】


 魔術〈感覚共有〉を付与された妖精が、遙か上階の妖精の視界を共有しおさげを視認していた。藤原は大丈夫だよと返す。


「そりゃ、ドロシーとおさげの確執は知っているし。ドロシーが明日青竜楼にやってくるGBM社の連中を殺したがってるのも知っている。リンを使役されたらちょっとすごいことになるだろう。でも、そんなことしたって何にもならないじゃないか。効率が悪すぎる。名前持ちになれるほどのメイドが、殺人なんてそんなバカみたいなことするわけないだろ、そんなことをして明日からドロシーはどうやって生きていくのさ。きっとどこかで思い直してくれるよ。」



【うーん、危ないと思うけどなぁ。おさげが自分のことしゃべっちゃうかもだし】



「ハハハ、おさげがGBM社の元令嬢だと自分で口にするわけがないじゃないか。そんなことをしたって自分の立場が悪くなるだけだ。効率が悪いというか意味不明だ。いくら狂っているからって、それはないだろう。なんだって自分から破滅しようとする? 誰しも人は生きたいと願うものさ。」

「今回は、予定通り青竜楼でドロシーがおさげにティースプーンを渡してこの話はおしまいさ。ハッピーエンドだよ。まぁ、おさげは危ないから拘束するけど。」


 歌うようにそう言うと藤原は転送ゲートに飛び込んだ。残された妖精が呟く。


【うーん、フジワラはそういうとこあるからなぁ】

【確かに】

【フジワラは人の心がわからない】

【心を食べるスキル持ってるのになー】

【がぶー!】【わー、やめろよー】

【ふふふははは!】


 妖精たちが遊んでいるうちに〈次元融合〉が解けたケルベロスが石畳から分離、活動を再開した。周囲の妖精たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 その中の一匹、そばかすが特徴的な納屋妖精が石壁にある通気孔に飛び込んだ。通気孔は上階の館とつながっている、妖精の飛行能力なら一階まで戻ることなど造作も無い。


【フジワラいなくなった! いなくなった! おやびんに報告だ!】


 野良妖精たちの中にドロシーの納屋妖精が混じっていたことに、藤原は最後まで気づけなかった。




午後15:40 一階天空楼


 周囲に家具が積み上がる、天空楼の中央部分。人が通れる程度のスペースで一組の丸テーブルを挟み、ドロシーとおさげが向き合っている。


「おめでとう、これでティースプーンは集まったな。晴れて見習いから本物のメイドに昇進だ」


 丸テーブルの上には200本ほどのティースプーンが入ったプラスチック容器が置かれていた。ドロシーの手元には鳥籠があり、鳥籠には屋敷妖精フィーが捕らえられている。


 主人を失った屋敷妖精はすでに魔力切れを起こしており、身体を形成する魔力がほどけ、光の粒がこぼれていた。


 おさげが〈イマジナリーフレンド〉を失っていたことはドロシーにとって予想外の出来事だったが、それは用意しておいた脅しの一つが使えなくなったにすぎない。複数の手を用意しておくのは策謀の基本である。


「まぁでも、このティースプーンはタダじゃない」


 グラスフットの小さな指がプラスチック容器の縁にかかる。


「何事もギブアンドテイクだ。おさげには明日あたり何かやってもらわないとな!」


 朴訥とした笑顔を浮かべつつ、ドロシーは〈激情の魔眼〉で、おさげの感情に介入する。


「おっとその前に、手短に昔話をしよう。オレがこの館に売られた時のことなんだが……」


 ドロシーが思うに借金のカタに売り飛ばされて下級メイドになりたい奴など存在しない、この館で働くものにはそれぞれ辛い過去があり、許せぬ敵がいるはずだ。


 ならばこそ健気な物語を語り、魔眼で感情を誘導すれば幼い少女の心を操ることなど造作もない。追い詰められた人間というのは優しくされれば懐き、親しくされれば愛着が湧くものだ。


 農家を営んでいたこと、GBM社の羽ばたき飛行機械が農薬を撒き、畑が全滅し、土地と身体が汚染されたこと。


 GBM社の農薬に耐える同社の種を買ったが年々値段をつり上げられ、最後には金に困った家族に売られたこと。


 どうすることもできなかった、下級メイドの悲劇は真実であるが故に心に響く。


「――そうですか、そんなことが……」


 話に聞き入っていたおさげが重々しく頷く。微かに赤くなった瞳が、魔眼の効果を示していた。


 心とは連続する感情の積み重ねが記憶として定着したものだとドロシーは考えている。


 そして人は自らの心をそう簡単に裏切ることができない。たとえ魔眼の影響下で積み上げられた感情であってもそれは紛れもない当人の心となるからだ。


 すでに、リンを筆頭に主要な下級メイドは〈激情の魔眼〉の支配下にあった。


 下級メイドに青竜楼の照明に細工をさせ、妖精に命じて落とすことも、混乱した会場をリンに襲わせることも、妖精たちに調べさせた地下迷宮の地図を使ってゲートへ到達し、この館から脱出することもできるはずだ。ゲート前のケルベロスはスキル〈先祖返り〉で巨獣化したリンをぶつければいい。


「いけ好かない奴らに、少しだけいたずらをしてやろう。」


 ドロシーは甘い言葉でおさげの心をなびかせながら、考える。


 詳細を教えてやる必要は無い、おさげは脱走時の囮にしよう。

 怪しげな行動をさせてメイド長たちの注意を引ければそれでいい。その後、おさげがどうなろうが知ったことか。


「あの、えっと。勘違いだったらすみません」


 唐突に口を挟まれて、ドロシーが押し黙る。


「ドロシーさん、明日やってくる青竜楼のお客さんに何かされるおつもりですか?」


 ようやく気づいたのだろう、後はちょっとしたことだと言って指示を出せばいい。自分の思い通りに他人が動くのは楽しいものだ。


「なんと言いますか……大変申し訳ないんですが」


 少し間をおいておさげが続けた。



「ドロシーさんが殺したかった人たちは、もうわたしが殺しちゃったんですよ。」



「……は?」


 咄嗟に意味を理解できず、理解してなお困惑する。

 ドロシーから余裕が剥がれ落ちた。


 少女は秘密を打ち明ける。

 その狂気はあまりに澄んでいて、救いようがなかった。




ツリ目たちに託したティースプーン 70本。

白虎楼前に置いたティースプーン  30本。

青竜楼から回収したティースプーン 534本

銀器庫から回収したティースプーン 69本

必要な残りティースプーン     97本。

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