午前22:00 地下、ドロシーとリンの部屋
名前持ちのドロシーとリンには下級メイドには珍しく、まともな部屋があてがわれている。
少し固いけれど手足を伸ばせるほどに広いベッド、簡素ではあるものの鏡に机などの調度品まであるというのは、他の下級メイドたちとは比べ物にならない好待遇だった。
ベッドの上のおさげの膝にドロシーがちょこんと座り、ぶすっとした顔で赤毛に櫛を通されている。机の上にはおさげが手帳代わりに使用したコースターが置かれていた。
「つーか、おさげお前。なんで無事なんだよ」
ドロシーの髪に櫛を通しながらおさげは「ディーネメイド長を言い負かしたんですよ」と朗らかに言う「きっと、これはその罰ですね」と。
扉の向こう側から「メイド長に逆らうとかお前、正気かよ。あんまり賢いと殺されるぞー?」とリンの声がした。
おさげを拘束するにあたり、ドロシーとリンは見張りとしてあてがわれた。
ドロシーが部屋の中で、リンが扉の外でそれぞれ監視するよう命じられている。
ドロシーはおさげに足を舐めさせて服従させようと試みたが、嬉しそうにベッドに飛び込むおさげはまったく聞く耳持たず、怒るドロシーをベッドに組み伏せ、手近にあったリンの櫛でドロシーの髪を梳き始めた。
最初は暴れていたドロシーだが、魔眼を使いすぎて疲れたのかなんだか色々どうでもよくなり「勝手にしやがれ」とそっぽを向き、されるがままに髪を梳かれている。
ドロシーの腕力ではおさげに勝てそうにない以上、ヘタに刺激しておさげに組み伏せられるよりは好きにさせておいた方がいいという判断だった。
殺されそうになったらリンが助けに来てくれるとはいえ、無駄な体力を使いたくない。
こうしている間にも、おさげは愛しそうにドロシーの髪を梳いている。他人に髪を梳かれるというのは初めての経験だった。髪に櫛が通るたびに大切にされている気がして少しこそばゆい。愛されるというのは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。
互いの過去を打ち明けあったメイドたちが急に仲良くなることはそう珍しいことではなかった。そのまま固い絆で結ばれることも、希に恋に至ることもある。
これが魔眼の影響だとすればドロシーの自業自得である。
猫可愛がりされながら、ドロシーが叫ぶ。
「リン、こいつはおさげだ。覚えとけよ、色々やばいやつだからな!」
ガタッと、扉が音を立てる。
「やばいやつの近くにいてドロシー大丈夫なの!?」
当のおさげは何が面白いのか、ころころと笑っている。
「大丈夫ですよ、リンさん。ドロシーさんはわたしの膝の上で髪を梳かれてるだけなので」「ずるいずるいずるいー」
リンが駄々をこねる。
「私もドロシーの髪さわりたいー!」
「ドロシーさんは人気者ですねー」
「うるせー」
実のところ、数時間前までドロシーは明日の青竜楼襲撃を諦めていなかった。
おさげに諭された時には確かに復讐したところで誰も救われず、むしろ状況が悪化するだけだと納得したものの、後々に考えをあらためた。
よく考えてみると、ドロシーとしては漠然とした将来への不安や日頃の鬱憤を他人にぶつけて、うさを晴らせればそれでよかったのだ。
そんな軽薄な自己を見つめ直した結果、それも自分だと前向きに受け入れ、何もかもめちゃめちゃにしてやろうと決心したのである。
そうと決まれば明日の準備だ。残り時間は少ないが、天空楼に留まらず自分も動けばなんとか襲撃の手はずは整えられるだろう。
うまくいけば脱出後の食料くらい、くすねることもできるかもしれない。
しかし、その計画も藤原先輩に……正確には藤原先輩が残した「研修明けのおさげを見張れ」という指示に邪魔をされた。
いくら下級メイドとはいえ不当な理由で拘束されたならドロシーも反論できただろうが、見張れという命令では従う他ない。
藤原はおさげを拘束するという名目でドロシーとリンを見張りに立てることで、実質的にドロシーとリン、そしておさげの三人をこの部屋に縛り付けることに成功している。
三人が結託して脱出を試みる可能性もあるが、藤原がその程度のことを想定していないはずがない。
おそらくは、リンにも見張りがついていると見て間違いないだろう。拘束期間は明後日の朝まで、青竜楼の宴席を意識しているのは明白だった。
「クソ、藤原先輩は一手で複数の問題を同時に解決してきやがるからなぁ。口では信じてるとか言う癖に欠片も隙がねぇ。そういうわけであれは延期だ、リン。」
「まぁ、そうなるよねー。なんか私も体調悪いし、失敗して死ぬよりはいっかー。」
〈先祖返り〉で巨獣化すれば、解毒を早めることもできたが、廊下で獣に变化するわけにもいかない。部屋に入るにしてもおさげがいる、騒がれたら詰みだ。
ひょっとすると、昼食のメニューに細工をしてリンに毒を盛ったのは藤原先輩なのではないだろうか。いつものことだが、やることがえげつなかった。
「藤原先輩が花嫁奪還して、帰ってくるまでが最大のチャンスだったんだがなぁ」
くたびれたように呟くドロシーの言葉をおさげが接いだ。
「きっと、すぐ帰ってくると思いますよ。だって、花嫁さんを館に連れて帰る必要もないわけですし」
ドロシーとリンの頭上に疑問符が浮かぶ。
「花嫁だって抵抗するわけですから、ケルベロスが守る地下迷宮を抜けるのは至難の業ですし、昏倒させて運ぶにしても邪魔になります。そもそも上階のホテルで人目につかずに花嫁を奪うこと自体かなり難しいでしょう。となれば、犯人は花嫁を奪ったというより、花嫁が逃げるのを手伝ったと考えるのが自然です」
「花嫁の部屋に荒らされた痕跡がなく、悲鳴が上がらなかったとなれば、その線はより濃くなります。結婚自体が政略結婚なら、嫌がる花嫁が逃げ出す理由にもなりますね。破談が両家の経済事情に打撃を与えるなら、お客様方がホテル側に猛烈に抗議する理由にもなるでしょう。賠償を求めてもおかしくはありません」
ドロシーがおさげの膝をぺしぺしと叩く。
「だから何なんだよ。事情がわかったからって花嫁がいなくなった事実は変わらないじゃねーか」
おさげは髪を梳きながら続ける。
「花嫁を連れて帰ったところで、追求がなくなるわけではないでしょう。結婚にケチがついたことに変わりは無いわけですから。つまり、花嫁が本当に帰りたい場所に帰す正しい奪還を行い、うるさいお客様には花嫁からのラブレターでもお渡しして差し上げればいいんですよ。」
「『ごめんなさい。でも、私は彼のことが好きなの! 政略結婚なんてもううんざり! 人を道具だと思って好き勝手しやがって、死ね! 私は人だ! 物じゃない! 私は幸せになるんだ!!』とか書いた書状や、映像記録などを見せて。当館ではお客様同士でのいざこざによって発生した被害に賠償金を支払ってはおりませんとでも宣告すればいいんです。自分から逃げ出したんじゃセキュリティも何もないですし、むしろ、迷惑料とかもらえるかも」
しばらくの無言の後。ドロシーがリンに言葉を振った。
「な、こいつやばいだろ?」
「あー、藤原先輩みたい。やばいなー」
藤原は館に来た当初、メイドたちに徹底的にいじめられた。そのすべてを力でねじ伏せた結果、藤原は先輩と呼ばれるようになった。
しかし、ドロシーやリンにはおさげがそこまで強いとは思えない。
今回、ドロシーがそうしたように、これからも誰かがおさげを潰そうとするだろう。ドロシー自身、食堂で嫌いな野菜が出た日はおさげにつらく当たるに違いないと確信している。
人生は不平等で苦難に満ちていて、理不尽なものだ。おさげは生きていけるだろうか。
「なぁ、おさげ。お前の妖精のことなんだが……」
ドロシーが口ごもる。あの妖精はここにいると言えば、存在しない妖精を人質にしておさげを操れるだろう。リンが肉体の怪物なら、おさげは精神の怪物だ。危険な手合いは早い段階で支配しておきたい。
「フィーがどうしました?」
ここまで片時も止まらなかったおさげの手が止まる。
これからかける言葉はおさげの心に大きな影響を与えるだろう。妖精を失い弱っている今なら、心を手玉に取った後で好きなだけ砕いて遊べる。このクソッタレな人生に復讐できる、またとないチャンスだ。
「あの妖精は、いなくなった」
……嘘をついておさげを支配しても、いつかバレる。おさげ一人ならなんとかなるだろうが、シルバーホルダーか藤原先輩と協力されたら簡単に気づかれる。
なら事実をそのまま伝えた方がいい。
いや、だからこそ今のうちに心を砕いておくべきだろうか。
「いなくなった……? どうして、いなくなっちゃったんですか?」
おさげにとっては当然の疑問だったが、ドロシーからすれば予想外だった。魔眼の乱用で疲れているからか、頭が回らない。
助けようとしたが、妖精が「お前になんか助けられたくない」と言って脱走し、勝手に死んだと言っておさげが納得するだろうか。
「助けようとした」という部分がどうも偽善的に思えて気に入らない。だからといってオレが殺してやったというのはどうか、それはそれでまた偽悪的な気がする。
偽らないというのは難しい。あの小さな妖精はよくあんなことができたものだ。一生勝てる気がしない。今日はもう疲れた、早く寝たい。何でもいい適当なことを言って納得してもらおう。
「あの妖精は、帰るべき場所……妖精の国に帰った」
瞬間、ドロシーはおさげにぎゅっと抱きしめられた。そのまま組み伏せられ、押し倒される。
髪が乱れて顔にかかった、うっとおしい。
髪をどかした先にはおさげがいた。
「妖精の国!! あるんですか! あるんですね!! どんなところなんですか!? わたしも行けますか!?」
目がキラキラしている。
そういえば、おさげはまだ十四歳だった。
ドロシーは顔を背けてけだるそうに「知るかバカ」と言ってそのまま寝ようとする。
執拗に質問を投げかけるおさげを適当にいなすと、扉の向こうではリンが「あー、いいなー。ずるい。おさげばっかりずるい。私もドロシーといちゃいちゃしたいー」と拗ねていた。
おさげから逃げるようにごろんと寝転がって布団にくるまり、まくらを抱きしめると、たまたま近くにいた赤毛でそばかすの納屋妖精が話しかけてきた。
【おやびん、おやびん】
【おやびんは、しあわせか?】
こうしている間にもおさげが布団を剥がしにかかる。
もはや昼の面影がない。
まるでやんちゃな姉か妹のようだった。
ドワーフや獣人ほどではないがヒュームは無駄に力が強い。そこまでして妖精の国のことが知りたいか、そんなにか。
リンはリンで文句を言いながらも部屋の前から動かない、忠犬かよ。自己がないのかお前には。
「オレが知るかよ、うっとおしい」
ドロシーはリンを部屋に呼び戻し、リンの顔に枕を投げる。無様に顔で枕を受け止めたリンを見て腹を抱えて笑うと、今度はドロシーに顔に枕が命中した。おさげが投げた枕である。
その後はもうよく覚えていない。枕を投げ合い、布団に潜り込み、大した意味もないくだらないことを語り合っているうちに、眠くなった。
その様子を見ていた納屋妖精たちが物を投げつけ合って遊ぶことを覚えたことで後日、見知らぬうちに小物が散らかる事件が起きることになるのだが、それはまた別の話。
すでに眠りに落ちたおさげとリンに抱きしめられながら、ドロシーは妖精のことを考えた。
大人になることで〈イマジナリーフレンド〉を失うなら、ずっと子どもでいい。いつまでも小さな身体、失われぬ妖精たち。この幻想を守るためなら誰も信じたりなんかしないと決意する。
この三人の少女には未来を考える余裕がない。
考えたってわからない。
本当に借金は減っているのかも、あとどれだけ働けばいいのかもわからない。
それでもメイドは懸命に、幸せ目指して生きていく。
過酷な環境にありながら、誰一人絶望せずに。
ここは異世界ホテル、メイドの館。
あらゆる世界に捨てられた、色んな種族の吹きだまり。
待っているのは過酷な労働。逃げ出すメイドは後を絶たない。
されどもここは異世界ホテル、逃げだそうにも周囲は虚無、ゲートにはケルベロス。労働基準法をかい潜るべく、異界に建てた館である。そう簡単には逃げられない。
「んふふ、ドロシーさん」
「うるせー、ひっつくな……」
「ずるい、ああ、ずるい私もなでて……」
それでも確かにこの場所に、メイドたちは生きている。
未来がなくても、今しかなくても。
それでもメイドは生きていく。
――おわり
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