「あの、ドロシーさん。地図、本当にありがとうございました!」
「おう!」
プラスチック容器を抱えて去るおさげを見送り、机の上を見やると、そこには手のひらサイズの妖精がいた。六匹ほどの納屋妖精たちがスプーン磨きを手伝ったり、サボったり、だべったりしている。容姿はどこかドロシーに似ていた。一匹の妖精がドロシーに話しかける。
【おやびん、おやびん】
「何だ、サボっていないでスプーン磨け」
【……めんどくさい~】
一匹が根を上げると、他の妖精も働くのが馬鹿馬鹿しくなったのかデミスプーンを放り出す。
「あー、こら。……わかったわかった。お前らはちょっと休憩な」
【きゅうけい!!】
休憩という言葉を聞いた途端、大喜びして机の上で走り回る妖精たち。踊り出すものまでいる。
「現金な奴らだ」
そう言いながら、ドロシー自身もスプーン磨きの手を止める。ドロシーも自分だけ働いているのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
【なんか、おやびん。今日は妙に優しかったな】
【そうだな、そうだな】
【いつもだと、追い返すこともあるな】
机の上でごろごろしながら、妖精たちが話し合う。
「うっせーな」
妖精たちをデコピンで弾くと、【わー】と散っていく。しばらくするとまた集まってきた。遊んでいるつもりらしい。もう一回やって、とでも言いたげだ。
「あいつの肩、妖精が乗ってた。あいつも〈イマジナリーフレンド〉持ちだろう、雑魚っぽいが、いくらなんでもタイミングが良すぎるな。調べ尽くして懐柔する」
【でも、あいつオレらのこと全然気づかなかったな】
【駄メイドだな】
【あ、そういうこと言っちゃダメなんだぞ】
イマジナリーフレンド系の妖精が持つ知覚範囲は主の技量に依存する。主人の能力が低い場合、使役される妖精の能力はダウンサイジングされるのだ。主従関係が解除された際に能力値が上がることすらある。
ドロシーがデコピンを向けると、妖精たちはおしゃべりを止めた。
「おい、喧嘩するな。モノが散らばる」
【はーい】
ドロシーもまた、スキル〈イマジナリーフレンド〉を持つ下級メイドだ。おさげが屋敷にいた妖精を連れているように、ドロシーは実家の納屋に棲んでいた妖精たちを連れている。ドロシーはどこまでも土地と空が広がる世界で自動牽引車や自動収穫車を使い、膨大な農作物を育てるおおらかな一家だった。GBM社の羽ばたき飛行機械が飛んで来るまでは。
Great・Bio・Meal。GBM社が生み出した新しい遺伝子組み替え作物『L1』は強力な二つの特性を備えていた。その一つが農薬への耐性だ。GBM社が提供している高濃度の農薬に耐えられるのは『L1』だけ。つまりは、『L1』以外の植物は枯れ『L1』だけが残る。雑草除去にはぴったりの一品だ。
GBMの高濃度農薬散布には羽ばたき飛行機械が使用された。短時間で広範囲に散布できるし、何より毒性の強い薬を人の手で散布せずに済む。
しばらくして、ドロシーの家の作物は全滅した。
周辺農家たちの『L1』に撒かれた農薬が風にまかれて飛んできたためだとわかったものの、誰が散布した農薬が原因か突き止めることはできなかった。羽ばたき飛行機械はいつだって、どこからともなくやってくる。追いかけたって捕まらない。
一家はGBM社に訴訟を起こしたが、その頃には第二の問題が浮上した。種を蒔いても作物が育たないのだ。調べた結果、農薬が土地を蝕んでいることがわかった。農薬に汚染された土地を放棄して一家全員で路頭に迷うよりは、GBM社から『L1』を買った方がまだマシな選択だった。GBM社への訴訟は取りやめられた。
「……ッ」
過去を思い出してドロシーが歯噛みする。
『L1』の二つ目の特性は「種を残さない」ことだった。ライフ・ワン、つまり『L1』だ。『L1』が次の種を残さない以上、一家は毎年GBM社から種を買わなければならない。そうしなければ、生きることができない。
訴訟を起こされた腹いせだろう。種の値段はつり上げられて、一家の生活は苦しくなっていった。農薬の毒は肌に染み込み、皆そばかすまみれになっていく。毎年毒に冒されながら大量の作物を育てているのに借金が増えていくのは不思議だった。
朦朧とする意識で働くうちにドロシーには納屋妖精が見えるようになった。話し相手が増えたことはドロシーにとって救いだったが、両親は何もいない場所に話しかけ続ける娘の姿を気味悪がった。
ある日一家は逃げ出し、一人娘のドロシーは借金と共に館に売り払われた。その日、ドロシーは追い詰められた人間というのは何でもするのだと学んだ。
【あ、おやびん。ワルい顔してるー】
【ほんとだ、ワルだ】
【やっぱ、おやびんはワルいなー】
妖精たちが口々にそう呟いては頷いている、どういうわけか少し楽しそうだった。忌々しいが、今がチャンスだ。
「よし、お前ら。スプーン磨くぞ。」
妖精たちの心に少しだけ【まぁ、働いてやってもいいかな】という気持ちが芽生えた。その気持ちはドロシーに見つめられているうちにどんどん膨らみ、最後には乗り気になる。
【めんどくさいけど、しょうがないな】
【うん、しょうがない】
【しょうがないなー】
文句を言いながらも、妖精たちは手伝い始める。そうしているうちに【面倒くさい】という気持ちが次第に小さくなってく。これは異常なことなのだが、当人は気づくことができない。心を操る魔術とはそういうものだ。
「はっ ちょろい奴らだ。」
ドロシーはおさげに興味が湧いていた。当初こそあのおどおどした様子に苛ついたが、話してみれば素直そうだったし、何より目が良かった。
あれは、追い詰められたネズミが何をしてでも生き残ろうとする時の目だ。ああいう手合いは命さえ約束してやれば何でもする、自分の父がそうだったように。
痒みを感じて、そばかすまみれの頬をかきむしる。この顔はもう元には戻らない。
「いつだって強者が弱者を支配する。そして、弱者がワリを食わされるんだ。ならオレは強い側がいい。」
ドロシーの双眸が鬼火のように揺らめく。それは心を支配する〈激情の魔眼〉、左目の〈抑制〉と右目の〈発露〉からなる制約と強制のスキルなのだと藤原先輩が言っていた。
穏やかな農場では、けして日の目を見ることがなかった才能だ。それを呼び起こしたのは見捨てられた少女の焦がれるような激情に他ならない。
先ほどドロシーが藤原の痴態を「オレも見たかった」と表現したのは館に放った妖精から情報を得ていたからだ。ドロシーはおさげと同じ【イマジナリーフレンド】持ちだが、その力量は比べものにならない。妖精を使い慣れている。
「なぁ……お前らだってたまには遊びたいよなぁ?」
ドロシーが赤くなった右目で妖精たちを見やると、妖精たちは赤く目を輝かせ【ワルだ!】【ワルだな!】とはしゃいだ。
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