午前11:30 一階天空楼(倉庫)
館一階には三つの大部屋がある。白虎楼、朱雀楼、そして天空楼だ。白虎楼は朱雀楼に、朱雀楼は天空楼に隣接し、間仕切りで仕切られている。
その為、いざ必要となれば間仕切りを取り払い、朱雀楼と白虎楼をつなげて朱雀白虎楼とすることもできるし、天空楼と朱雀楼をつなげて天空朱雀楼とすることもできる。
ただ、天空朱雀白虎楼と三つの部屋をつなげることはあまりない。そこまで大きな部屋を作る機会が少ないのも主な理由だが、最大の理由は家具だ。お客様をお迎えするには、室内を整える必要がある。必要な家具を揃え、不要な家具を撤去し、しかるべき場所に保管するのだ。
本来は倉庫に収納するものだが、この館の倉庫は不自然に小さい。具体的に言えば、午前10:00にリンが休んでいた小部屋が倉庫にあたる、椅子ならばともかく大きな円卓になると多くは入り切らない。置き場のない家具は廊下の壁に寄せて積み上げ、それでも余れば使用していない大部屋に保管するのが常になっている。
多くの大部屋は他の大部屋と隣接しているので、急に家具が入り用になっても比較的早く持ち運べるし、長机を用意すれば給仕の直前まで料理の温度を管理することもできる。お客様の前で直接給仕をする中級メイドを待機させておくにも有用だった。
本日11:30の天空楼は一時的に倉庫として使われていた。折りたたまれた予備の円卓や大量の椅子、会議用の机に、小さな丸テーブル、使い終えたテーブルクロスを集めるかご車が壁に寄せられ、部屋の半分以上が埋まっている。積み上げられた椅子が倒れたら壁の油絵に傷でもつきそうなものだが、誰も気にしていない。
部屋の中央、申し訳程度のスペースには一組の丸テーブルと椅子があり、赤毛の下級メイドが座っていた。小柄で頬にはそばかすがあり、小さな農村で家畜に藁でも食べさせていそうな風貌だ。それだけなら清貧な少女にも見えただろうが、目つきの悪さがすべてを台無しにしていた。性格も悪いのかぶつぶつと何か文句を言いながら小さなスプーンを磨いている。
「ティースプーン……ティースプーン……」
ティースプーンを探してうろうろしていたおさげが目を見開く。赤毛のメイドの手元にはとてつもない量の小さなスプーンがあった。器になっているのは黄色く平たい運搬容器、ばんじゅうだ。容器の全長はおさげ身長の半分以上もある。スプーンを布で磨いては隣にある空のばんじゅうに移しているのだろう、その数は…少なく見積もっても1000本はあった。
「あ、あの。すいません、それ……!」
「あん? お前見ない顔だな。このドロシー様に何用だ?」
一瞬、おさげの思考が停止する。この人は名前持ちだ。しかも、有名な。よく見ると特徴的なそばかすがある。おさげは運命じみたものを感じるが、今はそれどころではない。
「ドロシーさん!? あのゴールデンボールクラッシャーの?」
ドロシー。その名前には聞き覚えがあった。努力と研鑽によって名前持ちになったリンとは真逆の方法で名前を得るに至ったという下級メイドだ。
ドロシーは大量のグラスを割った罪で獣人に売り払われたにも関わらず、無事生還した。その武勇伝は蜂の巣にも広まっている。
これはメイドたちにとって二つの大きな意味があった。
一つ目は、粗相をすれば獣人の晩ご飯にされるという噂は本当だったということ。そして二つ目は、もし売り払われても獣人の股間を蹴り上げれば生還できるかもしれない、ということだ。
それにしても、ゴールデンボールクラッシャーの称号をほしいままにする伝説のメイドがこんなに小さいとは……おそらく種族は草原の民、グラスフットなのだろう。
「なんだよお前~! オレのこと知ってるのかよ~! 早く言えよな~!」
気を良くしている今が好機である。ドロシーの手元にある小さなスプーン、これがすべてティースプーンなら……!
「あの! すみません。わたし、ティースプーンを探していて……」
ドロシーがきょとんとする。
「ああ、これ? ティースプーンじゃないって。これはデミスプーン、見ればわかるだろ。」
確かによく見れば少しだけ小さいような気もする。おさげには判別がつかないが、かといってドロシーが嘘をついているようにも見えなかった。
ドロシーの手は止まらない。動作自体は緩慢なのに、みるみるうちに磨かれていく。まるで魔法のようだ。
「そうですか……」
「うん、ティースプーンはあっち」
そう指し示した先にはプラスチック容器があった。そこにはぴかぴかに磨かれたティースプーンが250本ばかり入っている。
(えええ!? ありました! ティースプーンありました!)
【これはチャンスだよ、ご主人】
肩に乗る屋敷妖精、フイーが呟く。
【交渉してティースプーンを借りるんだ。】
(でも、ここにあるということは必要なティースプーンなのでは? 必要なものを貸してくれるとは……)
【何言ってるの。館のどこかにあるティースプーンを探して部屋を回ってるんでしょ? そんなこと言ってたらいつまで経っても集まらないよ。骨付き肉になりたいの?】
フィーの言い分は理解できるものの、おさげには他の部屋が必要も無いのにティースプーンを集めている意味がわからない。そんなことをすれば銀器庫にティースプーンが戻らず、本当に必要な人にティースプーンが回らなくなってしまう。
いや、だからこそ。今回のような事態になっているのでは?
混乱してきた。しかし、本当にここで「使わないならそのティースプーン貸してください」と言って貸してもらえるものだろうか。
【ああ、もう】
フィーがおさげの頬を両手でぺちぺちと叩く。
【使う予定はあるけれど、今はまだその時ではないってこともあるでしょ?】
(あ、そうか……)
即ち、おさげが言うべき言葉は。
「ドロシーさん。今日の朱雀楼って何時始まりなんですか?」
ここ、天空楼は朱雀楼と隣接している。つまりこのスプーンを使用するのは朱雀楼と考えてまず間違いはない。少なくともまだ白虎楼のスプーンではないのだから。
「ああ、朱雀楼の婚礼は12:00~15:00までだな。客層によってはちょっと長引くかもしれないけど。立食ほどじゃないだろ。」
おさげが担当する白虎楼の婚礼は夜だ。このティースプーンは使えない。
いずれ朱雀楼で使い終わったティースプーンは洗浄され、銀器庫に戻るだろうが、17:00に間に合うだろうか。婚礼の客層によっては長引くこともあるというのはネックだ。
情報が組み合わさり、不都合な事実が生まれた。フィーが言う「使う予定はあるけれど、まだ使わない」そんな状況があり得るとしたら……それはメイドたちが先手を打っているとしか思えない。それは今日スタートのおさげには絶対にできない前準備だ。おそらくは……。
「あ、そうそう」とドロシーが続けた。おさげは思考を放棄してドロシーの言葉に集中する。
「まったくさぁ。聞いてくれよ。この前メイド長に皿持ってこいって言われてさー。玄武楼からパクったらめっちゃ怒られたんだよ。おかげで罰としてひたすらスプーン磨きだ。かったりぃー。」
それは怒られる。誰だって自分が集めたティースプーンを盗まれたら怒るだろう。ドロシーはバレた時のリスクが怖くないのだろうか。それにしても、やはり盗まれるのか。仕掛けを用意しておいたのは正解だった。
「そういや、今朝方。玄武楼にリンがいたな。朝っぱらから設営って何かあったのかね。あんまリンをこき使って欲しくないんだがなぁ、あいつは生真面目だから何でも引き受けちまう。」
リンが疲れ切っていた理由が確定した。急に決まった玄武楼での会議の為に部屋を設えたのだろう。会議は13時から始まり、コーヒーが三回出ると言っていたのをおさげは思い出す。
ティースプーンを使いそうだ。……いや、コーヒーだとデミスプーンだろうか。確かシルバーホルダーがコーヒーに使うと言っていた。
おさげは今まで生きてきた中で一番頭を使っているような気がした。何気ない会話ひとつするだけで情報が押し寄せてくる。何が重要なのかわからない、すべてを記憶しきることもできない。自分の頭の悪さを呪いたくなる。
それでも情報が欲しい。どんな些細なことでもいい。
それがないと、きっとここでは何も出来ないから。
「へー、そうなんですね。あ、藤原先輩って見ました?」
あれほど多くのメイドに慕われている先輩だ。もし運良く出会えたなら、助けてもらえるかもしれない。
「藤原先輩? ああ、藤原先輩なら今朝二階の椅子と椅子の間にいたな。すごくアクロバティックな体勢だった。」
突拍子もないことを言われたおさげはなんとか「二階の椅子?」と返す。
椅子? 椅子はそこら中にあるけど、なぜそんなところに藤原先輩が?
「椅子っていやぁ非常階段のやつだよ。廊下の下のさ。ああ、そっか。お前新人だもんな! ちょっと待ってろよ」
ドロシーは懐から円形の厚紙を取り出す。アイスコーヒーなどをお出しする際にグラスの下に敷く白いコースターだ。三葉の紋様が刻印されている。
「ここがこうで、あっちがこうでっと。」
「ま、ざっとこんな感じだろ。」
そう言って、ドロシーはおさげにコースターを放る。
地図だ。一階と二階の部屋と配置が書き込まれている。お世辞にも見栄えはよくないが、今のおさげにとっては垂涎の情報だ!
「あ……あ、ありがとうございます! でも、その……いいんですか?」
にっと笑ったドロシーがペンと無地のコースター数枚を差し出す。
「いいっていいって、これも持ってけよ、いくらでもあるからな。あ、もし取り上げられそうになったらオレの名前を出せよ。ドロシーさんに持っているよう命じられているってな!」
この小さな赤毛のメイドが名前を得ている理由がわかった。ドロシーには人を惹きつけるカリスマがある。胸に生まれた憧れが自分でも恐ろしくなるくらいに膨らんでいく。
「本当にありがとうございます! 使わせていただきます!」
ドロシーは満足げに頷くと、デミスプーンを磨き続ける。農場の出らしいそばかす姿もどこか朴訥で嫌みが無い。目つきの悪さにすら愛嬌を感じるのだから不思議だった。
「……それにしても、なぜこんなわたしに良くしてくれるのですか?」
「え? お前に藤原さんが埋まっていた椅子の場所を説明する為だが?」
そう言えばそうだった。ドロシーがコースターを机に置くように促すと、おさげは慌ててコースターを置く。特別扱いされているのではと思った自分が恥ずかしい。
「ここだ、ここ。」
そう言って、ドロシーは二階のエレベーター脇を示す。
「ここには大量の椅子が積まれているんだ。奥が非常階段になっていてな、廊下がゆるい坂になっている。ここに椅子を12脚ほど積み上げたものを並べて置くと非常階段側に倒れ込むんだ。壁一面に2、3列はあったかな。」
椅子をわざと非常階段側に倒れさせる理由には見当がついた。非常階段の扉に椅子が倒れこめば、その後ろにある椅子も同じように倒れ込む。そうなれば、重心が一方向に傾き、安定する。余程のことがない限り横倒しにならずに済むだろう。それにしても、この館は妙に倉庫が不足している。
「まぁ、そんなわけで。ここに藤原さんが埋まっていたんだ。尻だけ出てた。いやー、オレも見たかったぜ。長いこと使ってないから埃だらけで汚いのによー。」
楽しそうに話すドロシーに苦笑いを返す。おさげの立場で笑っていいかは微妙だ。藤原先輩の痴態を「見たかった」と言うドロシーに違和感を覚えるが、追求する余裕はない。何しろ時間がないのだ。早々に立ち去り、スプーンを探すべきだろう。
おさげは深々と頭を下げて、お礼を言い。スプーン探しに戻った。
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