異世界メイド

―Disappeared Teaspoon―
間野ハルヒコ
間野ハルヒコ

ACT11 明かされし彼女の殺人

公開日時: 2021年11月24日(水) 06:57
文字数:6,158

午後16:00 一階天空楼


 壁に寄せられた椅子に円卓、細長い会議机が堆く積み上がっている。壁には重厚な油絵がかけられ、その数十センチ先に椅子の背があった。少し扱いを間違えれば絵を傷つけてしまうだろう。


 椅子が、机が、台車が、布の束が、電気ランプが、所狭しと積み上げられている。それらは調度品の壁となって赤毛のメイドとメイド見習いを囲んでいた。


 赤毛のメイド、ドロシーは椅子に座り、机の上にはティースプーンの入ったプラスチック容器と鳥籠がある。鳥籠に捕らえられた屋敷妖精の身体がほどけて、光の粒が弾ける。見張りのつもりだろうか、鳥籠の外には納屋妖精が二匹待機していた。


「……殺した? お前が?」


 ドロシーが言葉を絞り出すと、鳥籠の中の屋敷妖精フィーが頭を抱える。


【何で言っちゃうんだよー。ご主人……】


 自分が不利になるだけなのに、なぜそんなことを言うのか理解できない。


「わたしがここに来た理由、お話してもいいですか?」


 気づいた時にはもう頷いていた。いつもなら一笑に付すような話なのに、ドロシーは笑うことができなかった。

 




「わたしが学校へ行くときはいつも車で送迎してもらっていました。


 ええ、確かに裕福な生まれでしたが、それだけが理由ではありません、単に危なかったのです。


 門の前には赤毛とそばかすの農夫たち、ええちょうどドロシーさんみたいな顔でした。彼らは農薬入りの瓶を投げつけてくるのです。


 ええ、そうです。わたしたちが作った草や虫を枯らす薬です。


 もちろん人に暴力を振るうのは犯罪ですから、警察を呼びました。


 でも、何度警察を呼んで取り締まっても、あの農夫たちは虫のように湧いてきてわたしたちのことを「人殺し」と罵るのです。最初は意味がわかりませんでした。」


 ドロシー一家は裁判を取り下げGBM社から種を買うことを選んだが、農家の中には実力行使に出る者もいたのだ。


「父様はわたしたちが金持ちだから妬んでいるんだと言いました。

 母様はまた警察に来てもらいましょうと言いました。


 農夫たちは土地を返せ、毒を取り除けと言います。命を冒涜するな、奪った命を返せと。


 そう言えば本当に死んだ人が生き返ると本気で思っていたんでしょうか、頭が悪いというのは大変なことです。」


 ドロシーはおさげを見ていた。不倶戴天の敵が、何不自由なく自分たちの命を吸い上げて生きてきた女がここにいたのだ。おさげの神経を逆なでる声が続く。


「農夫たちの言葉は品性のかけらもありませんでしたが、わたしは彼らが言おうとしていることを理解しようとしました。


 父様と母様は聞く耳を持ちませんでしたが、わたしは違います。学校で学んだのです、すべての命は等しく尊いと。


 彼らの頭が悪いのは仕方の無いことで、それを差別するのはいけないことです。


 なぜ怒っているのかを理解してあげれば、あの口汚い呪いの言葉を止める方法を見つけ、みんなが幸せになる方法を見つかるはずです。」


「彼らの言葉を要約しますと。


 『自分の人生がうまくいかなかったのはお前たちのせいだから、保証をしろ』です。


 わたしたちが売る種と農薬に問題があり。一代限りの種と強すぎる農薬の毒で農夫たちが困っているとわかると、わたしは父様に話をしました。


 すると父様はわたしをぶってこう言いました。」


『そんなことはない、うちの農薬は安全だ』


「これは不思議です。父様の言葉が本当なら農夫たちがやっているのは言いがかりということになります。


 ですが、父様の言葉が嘘なら。わたしたちはひどい悪党なのでちゃんと責任を取って、彼らに保証をするべきだと思いました。どうにかして真実をつきとめなければなりません。」


「方法はすぐに思いつきました。簡単なことです。誰かに飲ませればいいのです。


 安全なら問題ないはずですし、危ないなら飲んだ人が死ぬのですぐにわかります。


 農夫たちが投げつけてきた瓶の中に運良く割れていない物がありました。


 さっそく、わたしたちの会社の偉い人たちが集まる会議の紅茶に仕込んでみました。


 かすかにヘンな匂いがするのでレモンの皮をつぶした時に出る皮油をカップの縁にかけてにおい消しにしました。これで解決です。」


 思えば、日常的に農夫たちに罵声を浴びせられていた時点でおさげは正常ではなかったのかもしれない。そばかす顔たちの恨みがおさげに凝縮されていた。







「結果ですか? もちろん死にました。


 ええ、何人かは生き残ったみたいですが重い障害を負ったそうです。でも、仕方ないですよね。会社を運営する責任ある立場の人たちですからこういう時にこそ責任を取ってもらうべきです。


 ちなみに、ちゃんと身の振り方も考えておきました。


 わたしのいた世界では十五歳以下の子が起こした事件は罪にならないというおかしな法があるのでわたしは裁かれませんし、農夫たちには蓄えた財産を渡して仕事を畳み、どこか遠く広い庭のある白い家で父様と母様と一緒にのどかに暮らせばいいのです。


 でも、そうはいきませんでした。」


「わたしが良い子だと信じていたんでしょうね。


 絶望した父様と母様は首を吊って死んでしまうし、わたしも死のうとしたけど死ねないし。


 誰もいなくなった屋敷の中で宝石をかき集めて農夫たちに渡そうとしても『そんなものはいらない、命を返してくれ』と言うんですよ。


 そんなの返ってくるわけないじゃないですか、彼らが求めている保証というのは際限がないのです。もっと早く気づくべきでした。」


「知らない大人がたくさんやってきて、口々に色々言います。


 どうやら、わたしが偉い人をたくさん殺したから農家たちに種と農薬が届かなくなったようでした。


 危ない物ならなくなったほうがいいのではと思っていたのですが、それは甘い考えでした。わたしたちの売る農薬を使った土地は汚染され、わたしたちが作る種しか芽吹かなくなるため、農家たちが働けなくなってしまったのです。


 人は働かないと飢えて死んでしまいます。借金も残ってきっとたくさんの人が死ぬでしょう。


 父様と母様がやっていた商売は一度始めた以上、最後までやりきらなければならないものだったのだと、ようやく気づきました。」


 ドロシーは考える。この構造では農家はどんなに働いても裕福になれない。いずれ身体を壊すとわかっていても働き続ける他ない。


 また、GBM社は種を売るのを止めることができない。農薬で汚染された土地はGBM社の種しか受け付けない以上、搾取を止めれば農夫が干上がる。つまり、永遠に搾取し搾取され続ける他ないのだ。


 できることがあるとすれば、多くの犠牲を払いながら少しづつ改善していくしかないのだろう。効率化の過程で多くの下級メイドを破滅に追いやった藤原先輩のように犠牲を受け入れることになる。それが嫌なら一か八か土地を捨て、路頭に迷うしかない。


 考えれば考えるほど、ドロシーの激情は行き場を失っていく。


 復讐は何も生まないとか、許すことが大切だとか、そんな聞きかじったような事を言われたならまだやりようはあった。


 改心したよと芝居を打ち、裏で密かに策謀にかけ、何かのついでに殺していただろう。

 だが、これでは……。


「明日の青竜楼の祝賀会はそんな農家とGBM社の再起パーティなのです。どうされます? また潰して今度こそ農家もろとも全滅させますか? その方がすっきりするかもしれませんね。


 あれはお金になりますから、どうせまた似たようなことを始める人が出るんでしょうけど。時間稼ぎにはなると思いますよ。」


 どう足掻いても誰も幸せになれないという事実は、事実であるが故に揺るがない。もう誰を殺そうが無意味だった。すでに復讐は成され、そして失敗していたのだ。


 十四歳の少女が微笑む。

 透明な狂気が命を呪っていた。


「……わかったよ。憎たらしいがやめてやる。」


 GBM社の連中を殺した咎から逃れるために企てた脱走だ。


 ただ逃げる為だけに今の安定した生活を放り捨てて一か八か外世界に出るのは割に合わない。いずれ脱走するにしても、明日である必要はなくなった。


【おやびん! フジワラいなくなった! チャンスだ!】


 偵察に出していた納屋妖精が戻ってきた。最大の障害、館の守護者たる藤原先輩は外世界へ移動した。もはやドロシーを止めるものは誰もいない。ドロシーはおさげに向き直る。


「だが、お前はダメだ。気に食わねー。」


 ドロシーがティースプーンの入った器を手元に寄せる、その数実に200本。


 藤原先輩が集めおさげに渡すよう指示されていたものだ。


 妖精に確認させたところ、おさげが集めている残りスプーンは約100本、残り時間はもう20分もない。探し回って見つかるものか。


 役に立たない駄メイドは、今度は館に売り払われる。その先に待つのは消耗品としての扱いだ。


 ドロシーは売り払われた先で、命からがら逃げおおせた希有なメイドだ。


 あの獣の条理から助かったのは万に一つの幸運なのだとよく理解している。


「借金抱えて闇に迷いな。お前のようなやつは獣人どもの慰み者にされればいい。」


 ドロシーが持つ最大の武器は〈激情の魔眼〉による支配でも〈イマジナリーフレンド〉による諜報でもない。


 メイドとしての信用だ。おさげがドロシーに意地悪をされてスプーンを集められなかったと報告したところで誰にも相手にされないだろう。見習いメイドと名前持ちでは天と地ほどに立場が違う。


【ええ、なんで! もういいじゃん! ご主人を許してあげてよ! ていうか直接関係ないじゃん!】


 鳥籠の中でフィーが叫び、納屋妖精たちが踊って、おどけて、けらけら笑う。


【人生とはりふじんなもの!】

【いのちはふびょうどう!】

【すくいもなけりゃ未来もない!】

【オレたちはひどいことをされた! だからみんなひどい目にあえ!!】


 ドロシーの心が生んだ妖精が、飛んでは跳ねて、ケラケラ笑う。


 おさげは眉根を寄せてドロシーを問い質した。


「……理由をお聞かせいただいても?」


 そのおさげの丁寧な言葉遣いが、ドロシーの癇に触る。


「言っただろ、気にくわねえんだよ。ああ、お前はかわいそうな奴なんだろうな。親の商売のせいで生まれた時から悪意に晒され、心を蝕まれ、遂には命を呪う怪物になった。作られた怪物だ。お前は人をたくさん殺したし。最初から誰にも救いなんてなかった。ああ、かわいそうにな。でも、オレはお前が嫌いだ。だから死ね。」


 そうですか、と諦めたようにおさげが呟く。


 権力を振りかざされれば、最弱のメイド見習いであるおさげに勝ち目はない。それがわかっているからこそ、波風を立てずに行動してきたのだ。


「しかし、お前わけわかんねえな。なんであんなこと話した。自分がこうなることくらいわかってたんじゃねえのか? そこまでして身内を守りたかったのか?」


 ドロシーが訝しげに問うと、おさげが笑う。くだらないことのように。


「いや、まさか。個人的にはわたしをここまで貶めた大人たちを皆殺しにしたい気持ちの方が強いですし。実は農家の皆さんも嫌いなのでできれば速やかに死滅していただきたいくらいですよ。どうせしぶといんでしょうけど」


 きっと本心なのだろう、本心なのだろうが、どれくらい本気なのかはわからない。普段より幼く朗らかな口調だった。


「でも、ドロシーさんは手帳をくれたじゃないですか。


 あれがなかったらわたしはここまで来れませんでした。


 リンさんもツリ目たちもよこしてもくれました。今思えば監視も兼ねていたのでしょうけど、それでも嬉しかった。


 だから話したんです。それに、ドロシーさんにはわたしと同じ目に遭って欲しくなかったから」


 おさげが懐から使い古しのコースターを取り出す。

 手帳代わりにしているのだろう、文字や数字が殴り書かれていた。


「わたしなんかに好かれたって嫌でしょうけど。わたしの経験がドロシーさんの判断材料になるならいいかなって。」


 どうせ死ぬんです、自分のどう生きるかくらい自分で決めたいじゃないですか。コースターを抱きしめて、にへらと笑うおさげをドロシーはじっと見つめている。


「それと、なんて言ったらいいんですかね。誰かきちんと事情を理解してくれる人に、自分のことを話してみたかったんですよ。こんな機会もう一生来ないでしょうし。おかげでなんだか救われました。」


 悔いは無いとでも言いたげな顔だった。ドロシーが忌々しげに睨む。


「今更媚び売ったってスプーンは渡さねえよ、お前はここで死ね。」


 やっぱりダメですか。と呟くと、おさげはそうそうと付け足す。


「その鳥籠の中に入ってる子、ちゃんと仲良くしてあげてくださいね。もうわたしには見えないけど、そこにいるんでしょう?」


 おさげは「失礼します」と言い残し、天空楼から去って行く。


【ご主人ーー! ひとりで死ぬなんてダメーーー!!】


 屋敷妖精のフィーが鳥籠の中から主人を呼ぶが、やはりおさげは気づかない。おさげが天空楼から出ると、フィーはしょんぼりとうなだれた。


【ご主人、大丈夫かなぁ……】


「いや、お前は自分の心配をしろ」


 ドロシーが吐き捨てるように告げ、フィーの身体から光の粒が跳ねては消える。


「魔力切れだ、お前は消えるんだよ。」


 フィーが自分の手を見ると透けていた。


「だが、安心しろ。オレと契約するなら生き残らせてやる、まぁ働いてもらうけどな。」


 ドロシーは指で机をとんとん叩く。


【……お前嫌いだからやだ。】


 うつむいて呟くフィーにドロシーが苛立った。魔力を湛えた〈激情の魔眼〉がフィーを見つめる。おさげの言うとおりになるのは癪だが、戦力は多い方が良い。自分が何かも忘れるほどに支配してやる、そうすれば裏切られることも無くなる。


「お前に選択権はねえんだよ、今は藤原先輩もいねーしな。働かなきゃ生きられねーのは人も妖精も同じだ。お前は弱いんだから、嫌いな奴にも頭を下げて媚びなきゃならねぇんだよ。」


 怯え竦め、生きたいと媚びろ。


 フィーは魔眼に向き合い、こう言った。


【そんなことするなら、フィーは生きていたくない。】


 僅かな不安すら〈激情の魔眼〉は増幅させる。


 しかし、一片の怯えもない、偽りなき心に対して〈激情の魔眼〉は無力だった。その能力は足し算ではなかくかけ算で、0に何をかけても0なのだ。


 フィーはただまっすぐにドロシーを見つめている、その視線にむしろドロシーの方が気圧された。


「……っ。クソが、勝手にしろ。どこへなりとも行っちまえ!」


 納屋妖精たちが楽しげに鳥籠を開けると、フィーは勢いよく鳥籠から飛び出してドロシーの鼻先に蹴りを入れた。


【死ね!】


「てめっ このやろ!」


 ドロシーが鼻を押さえた隙にフィーはおさげの元へと走り出す。


「ケッ、落ちる時は一緒ってか。生き残る目があるのになんで二人揃って自殺すんだよ、クソが。訳わかんねぇ。あー、なんだっけ。おさげだったか? 絶対あいつ混沌・悪だ。ちくしょう、あいつのせいでやることがなくなっちまった。しかしムカつく奴らだったな。」


 痛む鼻を押さえて毒づきながら、ドロシーは妖精をけしかけてフィーを足止めするか、おさげを妨害するかと考えて、やめた。


 かといって、ティースプーンを渡しに行ってやる気にはまったくなれなかった。




ツリ目たちに託したティースプーン 70本

白虎楼前に置いたティースプーン  30本

青竜楼から回収したティースプーン 534本

銀器庫から回収したティースプーン 69本

必要な残りティースプーン     97本

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