果てなき明星の旅路にレクイエムを

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プロローグ destiny and fate

公開日時: 2022年2月19日(土) 20:05
文字数:15,916

 ヒルデブラント王国という国を知っているだろうか。


 古代より長い年月をかけ、いつしか魔術を扱える体質になった『人間』と、人間よりも古くから存在し、時に人智を超えた力を有することもあった長寿の生命体である『神』が、一時の間、共存していたという歴史を持つ国のことだ。


 この国にも、数多の神話や英雄譚が存在する。その中でも有名な話をひとつ挙げるとするならば、〈明星《みょうじょう》の騎士姫〉という英雄のことだろうか。

 その英雄は、後世の人々が脚色した創作の人物だと言われている反面、実際にそのような人生を歩み、今もどこかで生きているのではとも言われている。なにせ、彼女は不老不死になったというのだから──。


 明星の騎士姫は、現代から遡り約千年前の時代に生まれた。

 当時は人間と神が共存していたが、神同士や人間同士の争いが多く発生し、さらには神が人間を、人間が神を害する争いもたびたび起こる戦乱の世だった。

 英雄と呼ばれる若き娘は、ヒルデブラントの王族の血をひく高貴な身分でありながら、高潔な精神と魔術と武術の才能を持っていたという。ゆえに、弱き者を助け、悪を征する道を選び、善なる神々と共に悪を討つ騎士となった。その精神は、のちに多数の神に認められ、信頼を得ていったという。

 多くの人々が未来を憂いていた時代だったため、彼女の存在は、人々から真っ黒な空に明るく輝く星のようだと称され、いつしか彼女は〈明星の騎士姫〉と呼ばれるようになった。

 やがて、とある神に愛されるようになり、神に近づくことを許されて半神半人になった。半神半人となった祝福として不老不死にもなった彼女は、のちに起こった戦争を駆け抜け、終結に導いた。その戦争で神々は人間との共存を止め、姿を消したという。

 人々から称賛され、神々に認められ、そして愛された明星の騎士姫だが、その後の彼女がどうなったのかは判らない。行方が途絶え、神々と同じく歴史の舞台から忽然と姿を消してしまったのだ。


 英雄と呼ばれた女騎士の名前は、ユリア・ジークリンデ・フォン・ヒルデブラント・ヴァルブルクという。

 ヒルデブラント王家に連なる貴族の娘が騎士になったという記録は、彼女しか残されていない。そして、当時の王家が遺した公文書でしっかりと神に認められて半神半人かつ不老不死となったと残されている。

 しかし、彼女の肖像画や死亡したという記録、彼女の墓と思わしきものすらどこにも残されておらず、自国だけでなく他国の文献や資料を調べても戦争後の消息が掴めない。

 そのため、彼女の英雄譚は後世の人々が彼女の経歴の物珍しさから脚色した作り話であり、公文書も当時の王家に箔をつけるための虚構だという歴史家もいれば、神に愛されて不老不死を得たのは事実であり、彼女は今も生きているのではという説を唱える歴史家もいる。


 余談ではあるが、不明点があるといえば神という存在もそうだ。唐突にヒルデブラント王国の歴史に現れ、〈明星の騎士姫〉とともに退場した。人間よりも古くから存在する長寿の生命体であるのにも関わらず、資料もごくわずかしか遺されていない。というのも、当時は神の存在を詳しく記録に残すことは禁忌であったらしく、ゆえに詳細なことはわからないのだという。

 だが、不思議でわからないからこそ、この英雄や神の歴史に魅了されている人は多い。


 ──さて、そろそろ本題を話そう。

 英雄が生まれてから千年が経った現代の話だ。

 春を迎えつつあった時期に、世間には秘匿された前代未聞の出来事が起こった。場所は、今では王族しか入れない聖域。古来より神が重要視していたとされる場所であり、明星の騎士姫が、姿を消す前に立ち寄ったという言い伝えがある遺跡である。歴代の王族は、そのあたり一帯を『聖地』と呼び、大切に守り続けてきた。


 そんな場所で、その遺跡の地中から人が発見されたのだ。しかも生きている。二十歳ほどの若い娘だ。古い時代と思わしき服を身に着けていた。

 なぜ地面の下で人が死なずに眠っている? この女性は何者だ? 厳重な警備が敷かれている神聖な地で、いったい何があった?

 彼女を発見した王族たちは、とても困惑し、目覚めた彼女に警戒した。彼女は、不思議そうな顔で古い言語を話した。その場にいたほとんどの王族たちには、若い娘が何を話しているのか理解できなかったが、古典を好んでいたとある王族が、かろうじていくつかの単語は聞き取れた。彼女が話しているのは、およそ千年前に使われていた言葉だった。

 自分を見つけた人に言葉が通じないと解ると、彼女はひとりの王族の手を握った。しばらく何かを調べるように握り続けていると、彼女は何かに驚き、次の瞬間、懇願するように頭を下げた。


 神々から授けられた力を、この時代の技術をもって共に『解体』してほしい──流暢な現代の言葉で、そう言ったのだ。



 これは、永く続く旅路の続き。様々な想いと運命が織りなす出会いと別れ、そして未来を選び、掴み取る物語である。



  ♦♦♦



「──ベイツ家とローヴァイン家の子どもたちを、お部屋に通しました。ご案内いたします」


 これは、今から十年前のことだ。

 とあるふたつの家に、王室から極秘任務が命じられた。任務の内容は、神の力を『解体』すること。選定事由はふたつあった。ひとつは、その一族は『星の血』という魔術を使える血を継いでいるためである。

 昔に比べて、魔術師という存在は数が少なくなってしまった。かつ環境が変化してしまったため、今では小規模な現象しか起こせなくなっている。それでも、星の血を持たざる者にとっては脅威的な存在だ。そのため、星の血を継承した子には、星の血を持った者が持つべき心構えを教えこまれる。そして、魔術師は千年前に明星の騎士姫と共に邪神を倒し、その精神を受け継いで悪なる者を討った偉人や傑物がいたという記録が残っているため、昔から偉大な存在の末裔として見られていることもあり、社会から国や民を守る職に就くことを望まれる。というのも、星の血に関連する事件は、星の血を継承した人よりも肉体的に強くなりにくい一般人では対処できないときがあるという理由もあるからだ。ゆえに、星の血の継承者は継承者同士で結婚して、子に高い確率で星の血を受け継がせられる方法をとったほうがいいと考える者もいる。

 以上のことから、星の血の継承者は、一般人に比べて人生の選択の自由が制限されてしまう傾向がある。だが、ほとんどの継承者たちは、それらは自分たちに課せられた使命として誇りを持っており、国と民を守ることを第一としている。まるで善なる騎士や貴族のように。

 ところが、極秘任務が課せられたその二つの家の者たちは、高潔な精神を持ちながらも自身に代々受け継がれてきた血を内心では疎み、あるいは重要視していなかった。星の血をめぐる社会の価値観とは少しずれた感性は、子たちにも引き継がれた。子たちもその価値観にいまいち馴染めず、ほかの継承者とも深く関りを持とうとは思わなかった。当然、ほかの継承者から見れば、その家の者たちは変わり者であり、陰では『異端』と呼んで嫌う者もいた。

 しかし、だからこそ、その一族が選ばれた。これが、もうひとつの選定事由である。


 この頃は、すっかり春の陽気に包まれていた。

 風も強くなく、温かく穏やかな晴れ間が広がっていたある日のことだった。

 この日は、星の血を受け継ぐ一族の青少年たちが王宮にやってきた。十歳ほどの男の子と女の子、そして十代半ばから後半の男の子がふたりと女の子の合計5人だ。それぞれの両親から、王宮で『大切な人』に挨拶をするよう言われたため、着慣れないおしゃれな礼服を身にまとってやってきた。青少年たちは、気品あふれる応接間に通され、華やかな香りが漂う茶を出されているが、全員が口を付けずに緊張しながら座っている。


 今日、とある女性が、ここで運命と出会う。


「……来《き》はったな」


 扉がノックされると、丸形の眼鏡をかけてパンツスタイルの礼服を着た十代後半の女の子が、西部訛りの口調で小さく呟いた。右側の口端から少し下の部分にほくろがあり、不思議と色気を感じさせるこの少女は、毛先が肩まで届くほどの長さで艶のある黒髪を珍しくひとつくくりにしている。いつもは髪の毛すらくくらず、気だるげで死んだ魚のような目をしているのだが、この日ばかりはさすがに力が入っている。


「はじめまして。ベイツ家とローヴァイン家のお子さんたち」


 入ってきたのは二十歳ほどの女性だった。穏やかさと凛とした風格を持っている。透き通るような淡い金色の髪は絹糸のように滑らかで、腰まで届く長さだ。女性は、子どもたちに空色の目を向けると柔らかく微笑んだ。すると、青少年たちは同時に立ち上がって恭しく一礼し、女性が着席したあとに腰を下ろした。

 両親から聞いていた『大切な人』。この彼女こそが〈明星の騎士姫〉──ユリア・ジークリンデ・フォン・ヒルデブラント・ヴァルブルク。

 青少年たちが抱いた第一印象は、おとなしそうで透明感のある深窓の令嬢だった。思い描いていた人物像と違ったことに、子どもたちは心の中で驚いた。

 一般的に〈明星の騎士姫〉というと、勇猛果敢で正義感にあふれる誇り高き女傑という想像をする人が多い。だが、ここにいる彼女は、英雄というよりも普通の人に近い。その印象を裏付けるように、華美を好まないのか、彼女が着ているワンピースドレスの意匠は上品ながらも質素だ。

 そして何より、心のどこかに複雑で推し量ることのできない感情を抱いているような気がする。


「お初にお目にかかります。ローヴァイン家次期当主のラウレンティウス・ローヴァインと申します」


「ローヴァイン家の次男、フェリクス・ローヴァインと申します」


 あまり似ていない年の離れた兄弟が自己紹介をした。彼らの両親によると、兄のラウレンティウスは十七歳、弟のフェリクスは十一歳らしい。

 ラウレンティウスは、精悍で雄々しさのある整った顔立ちをしている。まだ十七歳だが、すでに成人していると錯覚するほどに大人びた顔立ちだ。金色に近い茶色の短髪には強い癖毛があり、四方に毛先がはねた髪をそのままにしている。その風貌ゆえにか、獅子という言葉が似合う。

 弟のフェリクスも、彼も年のわりにしっかりとした目つきをしているが、まだ幼く可愛らしさもある少年だ。短めの黒髪の毛先には、ふんわりとだが兄と同じく癖がある。スクエアの眼鏡をかけており、あまり目立たないおとなしそうな印象だが、よく見てみると端正な顔立ちだ。兄をハンサムだと形容するなら、弟の彼は美少年という言葉がしっくりくる。

 彼ら兄弟は、色鮮やかな緑の目を持っている。いとこたちも、濃淡の差は若干あれど全員が緑の目だ。


「丁寧にありがとう。そして、そちらにいらっしゃるのが、ローヴァイン家の従姉弟にあたるアシュリー・ベイツさんとクレイグ・ベイツさんご姉弟。そして、もう一人の従妹であるイヴェット・ベイツさんね」


 ユリアが彼らの隣にいる3人を見て、関係と名前を言い当てると、丸型の眼鏡をかけた西部訛りの言葉を使う女の子──アシュリーがポカンとした顔を向けた。


「ご存じやったんですか?」


 彼女の両親によると、アシュリーが西部訛りである理由は、幼いころから西部在住の星の血の研究機関に勤める先生のもとで研究についての勉学に励んでいたらしい。そのため、いつの間にか訛りが身に付き、そのまま抜けなくなったという。


「ええ。皆さんのご両親からいろいろと伺ったわ。これからずっとお世話になる方々だもの。皆さんも、私のことについて少しは聞いているでしょう? ……かなり信じがたいことだろうとは思うけれど」


 女性が少し困ったように微笑むと、子どもたちも返答に困ったかのようにそれぞれ目線をわずかに逸らす。

 だが、ただ一人だけ真っ直ぐユリアを見ていた少年がいた。アシュリーの弟であるクレイグ・ベイツだ。彼の髪は姉と同じく艶があり、癖のある黒髪をおしゃれに軽くかき上げている。左の目じりあたりに泣きぼくろがある。年は十五歳で、年相応の少年らしい顔つきだが、どこか隙のない余裕さを醸し出していた。


「騎士姫様。少し質問があるんですけど、いいですか?」


「ええ。どうぞ」


「なんで、王家の人しか入れない聖地の地中で眠っていたんですか?」


 初っ端からユリアにとって触れてほしくない内容が飛び出してきた。だが、聞かれて当然だろうとは思う。


「年をとらない存在だもの。何百年も人らしく生活し続けるのは大変だから、寝ていたの」


 ユリアは顔色を一切変えず、当たり障りのない言葉を使ってやんわりとはぐらかした。だが、クレイグはユリアの言葉に違和感を覚えたのか、わずかに訝しんだ。


「……んじゃ、千年前の人なのに流暢に現代の言葉を理解して話せるのはなんでですか? 発見されたのは一ヶ月前だと聞いてますけど」


「私には、他人が持つ技術を自分のものにすることができる力があるの。だから、この時代の言葉も話せるようになったのよ。これも神の力のひとつなの」


「それじゃ、あの時代にいた──」


 その刹那、ユリアは少年に向かって手のひらを突き出した。はぐらかすことが難しい質問が飛んでくることを直感し、柔らかな笑みを瞬時に消す。


「私についての詳しいことは教えられない。もはや、この世には必要のないことよ」


 場の雰囲気が張り詰めた。英雄を怒らせてしまったと思い、子どもたちは顔を引き攣らせる。アシュリーと従兄のラウレンティウスは、叱るようにクレイグを軽く睨んだ。余裕のない子どもたちの顔に、ユリアは内心「やりすぎた」と反省する。


「……突き放した言い方でごめんなさい。私の過去を秘密にすることを、どうか許してほしい。この世の中を狂わせないためにも」


 そう言うと、ユリアは深く頭を下げた。

 これが正直な理由だった。彼女自身やその過去は、あまりにも複雑だった。現代の歴史を揺るがしかねないことでもある。


「ユリア様、頭を上げてください。身内が何も考えずに質問攻めをしてしまい、大変失礼いたしました。どうかお気になさらず。我々は、貴女様のお言葉に従います」


 ラウレンティウスは、英雄であり王族である女性から頭を下げられて困惑した。

 ユリアは、ひとまずの許しを得られて安堵し、「ありがとう」と礼を言った。


「でも……その……知っておいてほしいことが、ひとつだけあるの」


 言い出しにくいように、ユリアはおそるおそるに声を出す。


「はい。何でしょうか?」


 ラウレンティウスが答えると、ユリアは目を瞑った。そして次に彼女が目を開けると、穏やかな顔つきが、無機質なものに一変した。


「──我が名はアイオーン。人から『神』と呼ばれてきた存在だ。訳あって今では魂だけとなり、ユリアの身を器として共存している」


「……え……?」


 声色が先ほどとよりも低く、静謐な雰囲気を漂わせている。怒っているのか、それとも普段通りなのか──感情が読めない。

 子どもたちは、ユリアが突如として違う人格になったことに頭が追い付かなかった。どのような反応を返せばいいのか判らず、ひと時の間、応接間に静寂が流れる。


「……二重人格、というものではない。この身には、魂がふたつあるのだ。ユリアの魂と、わたしの魂だ。ゆえに二重人格のように見えてしまう」


「……そういや、ウチの両親が魂の器やらなんとかを造るって言っとったな……」


 アシュリーが記憶を掘り返すと、ユリアは──彼女の身を借りているアイオーンは、彼女が何を言いたがっているのかを理解し、「察しがいいな」と褒め、頷いた。


「わたしが、そなたたちの親に頼んだのだ。ひとつの身に、ふたつの魂があるというのは、なかなかに窮屈ゆえ。簡単にはいかぬだろが、そなたたちの親と共に方法を探していければと思っている」


「あの、アイオーン様……少々、気になっていることがございます。なぜ、私たちの家を頼ろうと思ってくださったのですか? 我々の家は、その──ほかの星の血の一族と比較すると平凡な一族だと思うのですが」


 ラウレンティウスが緊張しながら問う。家に課せられた極秘任務の内容は、すでに彼ら子どもたちも知っていた。だが、実際に目の前で当事者と話し、事象を目にすると、事の壮大さを実感し、恐れを抱いてしまったようだ。


「わたしたちの力や存在を知っても、良い意味で特別扱いせず、なおかつ最期まで悪用しようとは思わなさそうだと判断したからだ。この時代の王家から、そなたたちのことを事細かに聞いている。星の血の継承者たちの社会のなかで『異端』と呼ばれているからこそ、頼みたいと思った。ユリアが授かった神の力を解体してもらうためには、ユリアの血を研究する必要がある。たかが血といえども、『武器』に変貌してしまうものだ。わずかでも野心がある者や、欲に弱い者には決して頼めない」


 意外な理由で選定されたことで、子どもたちはなんとも言えずに黙り込んだ。そして、ラウレンティウスの心の中に、ひとつの疑問が生まれる。


「……恐れながら申し上げます。もしも器も造れず、力の解体もできなければ……我々は、どうなるのでしょうか……?」


「解体が出来なくとも何もしない。そう恐れるな」


 変わらず無表情のうえ、無機質で静かな声だが、どこや優しさが感じられる声色でアイオーンは言った。


「そなたたち人間にとって、時間は有限であるもの。それを使ってくれてまで探してくれるというのだ。それをどうして咎められようか。そうなってしまったとしても、決してそなたたちの非ではない。ユリアもそう言っている」


 神の慈悲ある言葉に、ラウレンティウスは安堵した。


「それでは、もうひとつ質問をさせてください。仮に力の解体ができたとなると、アイオーン様の魂はどうなってしまうのですか……?」


「力が消えたとて、わたしの魂まで消えることはない。神の魂は、人間とは少し違うのだ。魂を現世に留まらせられる器さえあれば、そちらに乗り移り、器が壊れるまで存在し続けることができる。ゆえに、わたしは今までユリアを魂の器としていたため、存在し続けることができた。それでも、やはりこの状況は少し窮屈でな……ユリアも、たまには一人きりになりたいだろう……」


 そう言い残すと、目つきが元の穏やかなものへと変化していった。ユリアと入れ替わったようだ。


「──魂の器も力の解体も、とても難しいお願い事なのは百も承知よ。私たちですら、どうすることもできなかったのに……。それでも……どうか、助けてください……」


 ユリアは俯くと顔を歪め、膝の上で両手を強く握りしめた。


「もちろん、私にできることはすべて協力するわ。何でもする。今の人間社会に深く関わることはできないけど、出来る限りあなたたちを助ける。だから、一緒に方法を探してほしいの……! 最後まで諦めたくない……! 普通に死にたい──私が、馬鹿なことをしでかさないためにも……!」


 こうして感情を露わにして誰かに本音をぶつけたのは、いつぶりだろうか。ずっと己を律し続け、どれが自分の本当の気持ちなのか解らないようになってきていると思っていたのに──まだ、自分には心が残っていたらしい。自分の置かれている状況にとって、それが良いことなの悪いことなのかは判らない。だが、心があれば、いつか悪いことが起きてしまう。だから、こうしてずっと律し続けていた。


「騎士姫様」


 アシュリーが声をかける。

 ユリアが今にも泣きそうな顔をあげると、彼女は何かを企むような満面の笑みを浮かべた。


「ウチ、王室管轄の研究所に就職する予定やったんですけど……就職せずに独自で神の力の解体に注力しようと思います! 自分で自由にやりたい派なんで。やから、ウチの両親や王室をちょっと説得してほしいんですけどいいですか? あ、ついでに研究サンプル──あ~、いや、血も研究のために欲しいんですけど良いですかね?」


「え」


 突然の就職破棄宣言とサンプル提供のお願いに、ユリアは涙を引っ込めて思わず素を出した。


「おいおい、姉貴。せっかくのコネ捨ててニートになる気かよ」


 クレイグが、にやにやと面白そうにしながら姉の将来を指摘する。


「ただのニートちゃうわ。使命を背負ったニートや。国から命じられてする仕事よりよっぽどやり甲斐ありそうやし。──というわけで、ラウレンティウス。ローヴァインのでっかい家の中にウチ専用の研究室作ってもええか、おばさんに聞いてみてくれへん? 貴族特有のクソデカ屋敷やねんから部屋余っとるやろ。ウチん家、そんなスペースないし」


 『異端』とも呼ばれているローヴァイン家だが、古い歴史を持つ星の血の家系だ。現在も爵位を持つ貴族で大地主でもあり、所有する土地や家は立派なものだという。ベイツ家は、ローヴァイン家の娘たちが星の血を持たない一般家庭に嫁いだため親戚となった家が、それぞれの家同士の交流は深く、彼女たちはいとこ同士ではあるがきょうだいのように育ったという。だからこそ、遠慮なしに物事を頼めるのだろう。


「お前、まさかローヴァインの家に居座る気か?」


 ラウレンティウスは、アシュリーに対して怪訝そうなジト目を向ける。


「そりゃ、もちろん引き籠るで。それに、この解体の件はウチらの親だけじゃなくて、王室も研究に全面協力するってことも知ってる。けど、ウチは親や王室とはまた違う方向からアプローチしてみたいねん。神様でもできんかったことやで? 研究員の数は少しでも多いほうがええやろ?」


「別にいいんじゃねえか? やる気に燃えているうちにやらせたほうが良い結果が生まれるかもしれないぜ。姉貴、こんなんでも研究面では非凡だって認められてるしな」


 弟のフォローに、姉は顔を輝かせた。


「やろ? 研究面では天才やからなウチは!」


「自分で言うな」


 すかさずラウレンティウスがツッコんだ。


「仲の良いのね」


 いつの間にか明るいやり取りに空気が緩み、ユリアは少しだけ精神に余裕を取り戻していた。


「世話のかかるやかましい奴らなだけです」


 ラウレンティウスは首を振って嫌そうに否定したが、クレイグはにやにやとしている。


「出たよツンデレ発言。そう言いながらも大抵のわがままは叶えてくれるからな~」


「なっ、ち、違う! 聞かないとお前たちがうるさいからだッ!」


「兄上、素が出ています。クレイグ兄さんも兄上を煽らないでください」


 今までおとなしくしていたラウレンティウスの弟であるフェリクスだったが、このままでは収拾がつかないと思ったのか怒りを含ませた声でふたりを制止した。


(十七歳と十五歳が十一歳の子に注意されてる……)


 年下の子に注意されたことがなんとなく恥ずかしく思ったのか、ラウレンティウスとクレイグは、ばつが悪そうにそっぽを向いた。

 真面目なラウレンティウスと、飄々としているクレイグ──なんとなくだが、ふたりは馬が合わないようで、合うような気がする。いわば喧嘩するほど仲が良いという関係だ。ユリアは、微笑ましくも半ば呆ながらそんなことを思った。


「──あの~。あたしたちの家、いつもこんな感じなんですけど、ほんとにいいですか?」


 フェリクスと同じく、今までおとなしく話を聞いていた一番年下のイヴェットが不思議そうに首を傾げた。ふんわりとした上品な雰囲気のワンピースドレスを纏い、金色に近い茶色を耳の下あたりにリボンで二つ結びにしている。真面目でおとなしそうな可愛らしい子だが、クレイグと同じく行動的で落ち着きがないらしい。本当だろうか。


「楽しそうでいいと思うわ。私にはきょうだいがいなかったから、少し羨ましい」


「だったら、あたしたちと友だちになろうよ! 知ってる? この街には、面白いところやおいしい料理店とかがいっぱいあるんだよ! だから、きっとユリアさんも笑顔になれる場所が見つかると思うの──あ、いや、思うです! いつか案内しますね! あと、あたしは武術が大好きなんですけど、よければいろいろ教えてくれませんか!?」


 突如として茶の入ったティーカップを遠くに置き、スカートをたくし上げて元気に机の上に乗り上げた。そしてユリアの目の前まで顔を近づけて鼻息を荒くし、早口で思い浮かんだ言葉を連ねていく。なるほど、確かに落ち着きがない。


「おっ。イヴェットもとうとう猫かぶり止めたか」


 クレイグは止めずにその光景を笑いながら眺めている。ラウレンティウスは大慌てで「イヴェット!」と叱ったが、対して同い年のアシュリーは、呆れながらも笑うだけで止めようとはしない。


「イ、イヴェットちゃん! スカートたくし上げすぎだよッ!」


 隣に座っていたフェリクスが、イヴェットの後ろ姿を見て顔を真っ赤にし、目を逸らす。

 だが、イヴェットは何がおかしいのか解っていない。スカートがめくれて下着が見えているというのに。


「だって邪魔だもん。あたしもアシュ姉ぇみたいにズボン系を選べばよかった」


「そもそも明星様に迫りすぎだから……!」


「──イヴェット、いい加減に降りるんだ!」


 ラウレンティウスが猫を持ち上げるようにイヴェットを抱き上げて椅子に座らせた。ようやく場が落ち着いたことで、フェリクスはホッと安心する。


「フェ~リ~ク~ス~。アンタさっきチラッとスカートの中、見たやろ? 何色や? 言うてみぃ」


「おっさんかお前は」


 完全に初心な少年を弄るアシュリーにラウレンティウスは容赦のないツッコみを流れるように入れた。


「み、見てないですっ!」


「はいはい泣くな泣くな──で、何色だった?」


 クレイグも面白がってフェリクスにかけより、頭を撫でながら耳元でからかいの言葉を畳みかける。まったくどうしようもない姉弟である。


「知らない見てない! もう黙ってくださいよおおお!」


「ぐえっ!」


顔を再び真っ赤にしたフェリクスは、懇親の力を拳に込めてクレイグの腹部に打ち込んだ。なかなかのダメージをくらったようでクレイグはしゃがみこんで悶絶している。因果応報だ。


「……ふふ──あは、はははっ……!」


 単純なやり取りだった。だが、そんなことでもユリアの心に笑いが込み上げてきた。こんな馬鹿らしくも平穏な光景をのんびりと眺めたのは、いつ以来だろうか──。


「さっきまで戦々恐々としていたのに、いつのまにか縮こまらず、畏まることすらしなくなって、挙句には身内同士でてんやわんや──血筋か、環境ゆえなのかしらね。あなたたちのご両親もそんな感じだったから。……みんながみんな、あなたたちみたいな人だったらよかったのに……」


 つい、心の声が溢れ出でしまった。場の空気がしんみりとする。子どもたちを見ると、少し意外そうな顔でユリアを見つめていた。


「……ごめんね、英雄らしくなくて……。私は、やっぱりそんな器ではなかったみたい……」


 小さな声には、悔しさや悲しさなど一言では言い表せない感情がこもっていた。フェリクスとイヴェットは、なんと声をかければいいのか解らず、戸惑いながら年上の姉と兄たちを見る。

 しばらく沈黙が流れる。やがて、何かを決心したラウレンティウスは、おずおずと沈黙を破った。


「……それでも……敵対する者たちと、戦ってきたのだろう……?」


 彼女に対して敬語で話さないほうがいいのかもしれない。そう感じたラウレンティウスは、対等に話しかけた。


「……ええ」


 ユリアは敬語が抜けたことを気にすることなく、小さくも力強く頷いた。


「敵に立ち向かうことは恐ろしい。場合によっては、人間よりも遥かに強い神が敵であるときもあっただろう。それでも貴女は立ち向かい、戦い続けた。誰にでも出来ることではない。やはり、貴女は『英雄』なのだろうと俺は思う」


「英雄だのなんだのってみんなは言うだろうけど……それってさ、結局は、他人が自分の物差しで勝手につけた評価だと思う。だから、他人の声に振り回される必要はないんじゃないかとも思うんだ。──オレの身勝手な感覚だけど、アンタはかなり強い人だと思うよ」


 クレイグが気遣うように持論を伝えた。アシュリーも、ふたりと同意見のようで、ユリアを真っ直ぐ見つめながら無言で頷いた。


「……」


 知り合い以上の関係になりたいとは思わなかった。ただ、ベイツ家とローヴァイン家とはお世話になるのだから、あまり関わらないであろう子どもとはいえ挨拶は必要だと感じた。だから会おうと思った。望みが果たされなければ、いつかは見送る命。関われば、また悲しみを引きずることになる。

 それなのに、ユリアは引き寄せられるように、子どもたちに握手を求めていた。

 どうしてかは、自分でもよくわからない。だけど、この人たちの傍にいれば、ようやく私は『私らしく』なれそうな気がした。それだけはぼんやりと感じたのだ。いつか、別れが来てしまうかもしれないけど。もしかしたら、とんでもない事態に巻き込んでしまうかもしれないけど──。


 どうか、許してほしい。この運命を、手放したくないと強く思ってしまった。


「……ねえ、みんな。私と……友達になって、くれる……?」



  ♦♦♦



 そして、それから十年の月日が経った。

 ある日の夕方、ユリアたちはローヴァインの屋敷の一室に集まっていた。


「かっこいいー! 似合ってる!」


 二十歳になったイヴェットが、ユリアのとある制服姿に黄色い声を上げた。似合っているのか不安だったユリアだが、イヴェットの言葉を聞くと、嬉しさと恥ずかしさが混じった笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。

 時が経ち、イヴェットは背も高くなって立派な大人の女性になっていた。現在は、髪の長さが背中の中間まであり、ゆるくふんわりと結わえた三つ編みをしている。顔まわりの髪は、軽くお姫様カットで可愛らしく整えている。

 そんな彼女が興奮気味になっていたユリアの姿はというと、燕尾服のように背面の裾部分が長く、軍服のように重厚感のある意匠の紺色を基調としたジャケットにズボン、そして黒のブーツに白の手袋を着用している。ジャケットには、ところどころにアクセントとして深みのある金色の釦や、服の縁にもその色で細やかながらも上品に彩られている。どことなく乗馬服のようでもあり、長身のユリアに映える格好だ。長い髪をくくれば、男装の麗人にも見えなくはない。これは、とある警察機関から支給された礼服としても使用できる戦闘服であるため、とても動きやすく簡単には破けない素材となっている。


「だな。なかなか似合ってるよ」


 クレイグも、微笑みながら褒めてくれた。

 彼も大人になり、もう二十五歳だ。さりげないおしゃれさは相変わらずで、顔まわりの髪を軽めのオールバックに仕上げた色気を漂わせる大人の男になっている。実は、当時の子どもたち五人のなかで、一番背がほとんど変わっていないのは秘密だ。本人も少し気にしている。


「本当に?」


 ユリアは、意地悪そうな笑みを浮かべてクレイグに問いかけた。


「ほんとだって。最近、オレに対して信用ねえなぁ」


 困ったように微笑みながら、クレイグは軽く頭をかいた。


「基本的に軽口ですからね、クレイグ兄さんは」


 微笑みながらも容赦のない塩対応な言葉をかけたのは、幼いころはクレイグにいじられて泣きそうになっていたフェリクスだ。二十一歳になり、可愛らしかった少年から、男らしさと品の良さを兼ね備えた凛々しい顔つきの青年に成長した。身長もクレイグより四センチほど高くなり、地味にクレイグの心にショックを与えた。だが、今も初心なため、たまにいじられては顔を真っ赤にするのは変わっていない。


「お前もほんと言うようになったよなぁ」


 クレイグは、なんとも言えない笑みを浮かべて呟く。


「……それにしても、まさかお前が騎士団の制服を着ることになるとはな」


 ラウレンティウスが感慨深く呟く。彼はもともと背が高かったが、あれからさらに高くなって、今では一八五センチほどの高さだ。さらに逞しく、男らしくもなっている。年も二十七歳。顔の造形が良いため、モテるらしいのだが本人は興味がないようで仕事に打ち込んでばかりいる。


「ホンマ。年とらんから、あんまし現代の社会に関わりたくないって思っとったんやけど、えらい行動派になったな。まあ、アンタの情報は王室や騎士団の上層部が守ってくれるから、別にいけるっちゃいけるけど」


 同じく二十七歳になったアシュリーだが、見た感じは十年前と何も変わっていない。身長は伸びたものの、相変わらず気だるげで死んだ魚のような目をしている。髪の長さは毛先が肩ほどの長さが落ち着くらしく、ずっとそのままの長さを保っているが、髪をくくるのは面倒くさいということで結わえていない。

 それよりも、彼女の頭の上に、何の動物を模したのか──たれ耳ゆえに、兎か犬の可能性はあるが──よくわからないゆるい雰囲気の可愛らしいぬいぐるみが、だらけたようにうつ伏せで乗っている。いったい何なのかと疑問に思うだろうが、それについては後ほど説明しよう。


「こうすれば、仕事中のあなたたちを守れるし、人の役にも立てるからよ。魔術がほとんど使えない世の中になってしまったけど、それでも私はまだ戦えるわ。あなたたちの専属で、あなたたちに隠れるように動く従騎士だけれど、精一杯頑張るから」


 アシュリーを除く四人は、『騎士団』という星の血に関連する事件を専門とする警察機関に勤めている。明星の騎士姫が、騎士として高潔な精神を持ち、星の血が持つ不思議な力を悪用する悪人や邪神を討っていった伝説から『騎士団』という名称が付けられたようだ。これは通称であり、正式名称は『ヒルデブラント王国騎士団』である。

 そして今日、団員の補佐的な立場であり、騎士団の協力者という意味を持つ『従騎士』という肩書きの使用許可が下りた。騎士団の上層部には、王室の親戚が在任している。ゆえに王室が少々、ユリアの情報を偽造──取り計らってくれて実現した。その証として、ユリアに騎士団の従騎士専用の制服と騎士団の紋章バッジが贈られたのだった。

 従騎士は、騎士団の正式な団員ではないため、騎士団の上官から任務を直接命じられることはないだが、任務を受けた上位騎士が、その場に適切と判断される従騎士を選定し、出動要請が出されることで任務に赴くことができる。従騎士となる人は、実力がありながらも騎士団の入団条件を果たせない者のほかに、力も実力もないが、一般人が知りえない情報を提供してくれる者など有りようは様々だ。ユリアは、かなり特殊な立場ゆえにベイツ家かローヴァイン家の者しか彼女を選定できないようになっている。


「さすがはオレらの騎士姫様。ますます惚れるね」


 クレイグは嬉しそうに笑った。


「これで一緒に任務にいけるね、ユリアちゃん!」


 イヴェットも嬉しそうだ。


「ええ。一緒に頑張りましょう」


「──なんや、アイオーン。えらいおとなしいやん」


 アシュリーが、頭の上でうつ伏せに乗っているぬいぐるみに話しかけた。

 そう。このぬいぐるみは、ただのぬいぐるみではない。神の器として調整された特殊なぬいぐるみだ。アイオーンの魂がこれに入っている。

 なぜこんなにも可愛らしいぬいぐるみなのかというと、アイオーンがこのぬいぐるみを気に入ったからだ。


「ふむ……。わたしが隠れられる場所がない服装だなと思ってな……」


 十年前は無機質な声色だったが、今では柔らかで親しみやすい声になっている。魂だけなのに声が出せるのかという疑問はあるだろうが、これも特殊な調整がされたぬいぐるみゆえに実現している。つい半年前に、ようやく完成した神の器だ。


「お前までついてくるつもりか?」


 ラウレンティウスが意外そうに声を出した。


「この愛らしい姿でも、少しは役に立てると思うぞ。小さいゆえステルス行動が可能だ。さらに先日、アシュリーに改良を施してもらったおかげで多少の魔力を扱えるようになった。ゆえに、わたしを投げ飛ばせば魔術を用いて敵を怯ませられる。いわば手榴弾のようなものだな」


「ただのぬいぐるみに見せかけて、その実態は武器──! さすがは大天才アシュリー先生、後世に残る芸術的作品を生み出してもうたわ~」


「いや、なに神様を魔改造してんだよ。……まあ、ステルス行動は使えるかもな」


 恍惚に自画自賛する姉を無視し、クレイグは頭を傾げながら悩ましく答えた。


「使えるかもしれませんけど、動くぬいぐるみの時点で見つかったら大騒ぎですよ……」


 フェリクスは、神から出されたのんきな提案にため息をついた。


「心配には及ばない。いざというときは、ただのぬいぐるみに擬態する。それに、ラウレンティウスは可愛いもの好きだからな。愛らしいぬいぐるみを仕事場に持ってきていることが露見しても、さほど不思議には思われまい」


「ついてきたその日は問答無用で洗濯機にブチ込んでやるからなこのクソぬいぐるみ!」


 可愛いぬいぐるみを持ってきていると勘違いされた場面とその後を想像してしまい、恥ずかしさのあまりラウレンティウスは顔を赤らめながらブチ切れた。


「なんの。洗濯機の耐性はついている。むしろクセになっている」


「は?」


 訳がわからない言葉に、ラウレンティウスの怒りはどこかへと消えた。


「あれ? ラルス兄、知らない? アイオーンって、遊び半分で自分から洗濯機に入ってるんだよ。しかも結構な頻度で」


 イヴェットが笑いながら言った。

 ラルスというあだ名は、彼女が幼かった時にラウレンティウスという名前をうまく言えなかったことから生まれた名だ。そして、あだ名の存在を羨ましがったフェリクスにも『フェル』というあだ名を付けられた。今もふたりは、彼女からそう呼ばれており、ユリアからも親しみをこめてそのあだ名で呼ばれている。


「洗濯のしすぎで魂がおかしくなったか?」


「えっ、もしかして脱水もしているの……?」


 ユリアが「馬鹿じゃないの」と言いたげな目でアイオーンを見つめる。


「もちろんだ。ユリアもやってみるか? 新しい世界が見えるぞ。一種のアトラクションだ。やってみたければ魂の交代をしてやろう」


「洗濯中に強制的に交代したらその瞬間にアイオーンの魂ごとボコボコにするわよ」


 ユリアとアイオーンは、特別な繋がりがあるのか、魂の交代ができる。ユリアもぬいぐるみに入って行動することができ、アイオーンもユリアの身体に魂が無くとも自らが入って肉体を操ることができる。もちろん、昔のようにユリアとアイオーンの魂を同居させることも可能だ。


「楽しいのだが、人間には理解しがたい感覚だったか」


「神ってこんなんばっかやったん?」


「う~ん……アイオーンだけだと、思う……」


 アシュリーの問いに、ユリアは少し覚えがあるような曖昧な返答をした。

 その後、身内たちはアイオーンの特殊さの話で盛り上がる。ユリアは会話には入らず、賑やかな光景をひとり静かに見つめていた。


(いつか、人間のみんなはいなくなってしまう。私たちを置いて──死んでしまう……もう十年……早かった……)


 神の器はできたが、解体は未だに手掛かりが掴めない。できれば、すぐに解体して普通の人間として時間を刻みたい。みんなと同じくらいの年で死ねれば、悲しみも長く抱かずに逝ける。

 だが、別の方法かつ一番簡単に、すぐに己の願いを叶えられる方法がある。みんなとずっと一緒にいられる方法だ。しかし、それは運試しで、成功してもみんなが絶望するかもしれない──。

 いけない。できない。これは使ってはいけない。この力は、人の欲望を狂わせ、堕落させる『悪』だ。だからこそ、己を律しなければいけない。

 それでも想い、望んでしまう自分がいる。


(この時間が動かず、永遠に止まればいいのにと思ってしまう。私は……本当に、『英雄』とは程遠い存在だわ……)

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