霧の中に悪魔がいる

full moon
full moon

(9)

公開日時: 2021年7月26日(月) 23:36
文字数:498

倒れた拍子に座禅が崩れ、足が、だらんと伸びる。


郷珠は、仰向けのまま合掌を続けている。


足が動く。


右足首を左足の膝の上に乗せた。


おそらく、座禅を組もうとしたのだろう。


私は、その郷珠の焼身する姿に、これまで生きてきた中で何よりも恐怖を感じていた。


この壊れそうに動揺する思考。


脳が何かに例えようとするも、この光景に当てはまる言葉が出てこない。


名称の無い光景を脳はただ強い恐怖として捉える。


いや、恐怖を超えて、畏怖すら感じる。


郷珠のただじっと祈り続ける神妙な静寂した姿に、美しささえ感じる。


仏を目の当たりにしているかのようで、私は、はわはわと鳥肌が立つ。


灯油が広がるにしたがって、炎の燃える範囲も広がる。


火柱の高さが半分になった。


妻の目に、炎がぐらぐらと映っている。


魂が抜けたように茫然と座る妻は、ただ、その炎を見ていた。


郷珠は炎の中で真っ黒になり、焦げ朽ちた。


ふと気が付いた。


無意識のうちに、私は、朽ちた郷珠に深く頭を下げて、最敬礼していた。


郷珠を生贄にして、妻と逃げようとしていた。


その愚かな考えが、頭の中で私を責め、苛まれる。


老婆は、分厚い本を両手で広げているが、その両手はがたがと大きく震えている。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート