『じゃあ先輩っ、また明日ウチに来てくださいね。明日は土曜日なので、思う存分ゲームができますよっ』
別れ際、ワクワクした声でれんかは夏雪にそう言った。
そして、その翌日。
大した私服の持ち合わせもない夏雪は、何を着て行こうか悩んだ挙句、結局いつも通りの制服で彼女の家を訪れていた。
昨日、帰宅するときにも思ったが、まさに豪邸である。
傍目にも目立ちすぎるこの家の存在は、以前より知っていたが、まさか一条院のものとは知らなかった。
それにしても、と、夏雪は頭の包帯に触れながら思う。
夏雪は昨日れんかの兄に、ケガの治療をしてもらった。
そこで驚いたのが、この豪邸の中に医療の設備が完全に整っていたことだった。
さすがにレントゲンを取ると言われた時は衝撃だった。
そのお陰で、夏雪のケガが大したものではないと分かったわけだが。
「なんていうか、さすが一条院って感じだな……」
一目ではとても見渡せない豪邸と敷地。
夏雪は、見上げるほどの巨大な門を前にして、立ち尽くす。
――で、これを押したらいいのか……?
インターホンと思しきボタンを見る。
本当に、これを押してしまっていいのだろうか。
押した途端、警備員に囲まれて連行されたりしないだろうか。
――まぁ、招待されてる訳だし……。大丈夫だよね。たぶん。
ついに夏雪は決心して、ボタンを押す。
数秒後、スピーカーから声がした。
『はい、どちら様ですか?』
妙に聴き心地の良い渋い声だった。
「え、あー、あの、僕は、れんかさんに言われて……あっ、立花夏雪って言います」
焦る夏雪。
対する返答は、どこまでも落ち着いていた。
『伺っております。申し訳ありませんが、少々お待ちください』
通信が切れる。
「あー、なんで後輩の家に来るのにこんな緊張しなきゃいけないの……、……ん?」
そこで夏雪はとんでもないことに気づいた。
――もしかして、僕が女の子の家に遊びに行くのってこれが初めてじゃないか……?
衝撃的である。
まさか女子のお宅訪問の初めてが、このような形になろうとは。
「なんか別の意味で緊張してきた……」
その時、目の前の門がひとりで動き始めた。
夏雪は盛大にビビる。
「うおっ、!」
静かに開いて行く門を、初めて見る生物を観察するような目で見る夏雪。
そうして、中から小柄な少女が飛び出してきた。
「せんぱーいっ、いらっしゃいです! ちゃんと来てくれたんですね、安心しましたっ」
タッと足をついて、夏雪の目の前に立つれんか。
後ろ手を組んで嬉しそうに笑う彼女に、夏雪は首の後ろを掻きながら答える。
「まぁ、ちゃんと約束したから……」
「ところで、頭の方は大丈夫ですか?」
「うん、丁寧に治療もしてもらったし、今はもうほとんど痛まない」
「それはそれは、良かったです。それではっ、さっそく私と遊んでもらいますね」
いうや否や、れんかは夏雪を強引に引っ張って行く。
れんかに引っ張られながら、夏雪は敷地内を見渡す。
昨日も同じことを思ったが、一般市民の夏雪からすれば、考えられないような広さである。
まさに暮らす次元の違う、そんな所のお嬢様と、夏雪は今こうして関わっている。
妙な巡り合わせもあるものだと思いながら、目的地に着くまで、夏雪は常にテンションの高いれんかの相手をしていた。
◯
『Fantastic World』――通称、FW。
それは、去年の春にサービスを開始してから人気を博し続け、VRMMORPGと呼ばれる完全没入型のゲームである。
本格ファンタジー世界――フィルグラムを舞台に、プレイヤーは冒険者としてこの広大な世界を開拓していく。
彼らを待ち受けるのは、凶暴未知のモンスター、目を見張る宝物、想像を超える神秘、血が湧き、肉踊る大冒険だ。
プレイヤーは、種族、職業としてのアドバンテージ、無限に広がるスキル、魔法を極め、自分だけの戦術を創り出し、それらに立ち向かう。
もちろん、鍛治師や調合師、商人や魔術研究者としてサポートに徹するのも良いだろう。
楽しみ方は無限大。
自分だけのプレイスタイルを見つけ、この雄大で謎多き世界を生きて行こう。
第二の現実がここにある。
――次の冒険者は君だ!
◯
仮想世界に接続するためのVR専用コネクトハードウェア――コネクターは、発売から一年以上経過した今でも、価格は良心的でない。
要するにとても高価なのだ。
その上、一つのコネクターにつき、設定できるアカウントは一つだけである。
ただし、アカウントを一度消去して新しく作ることや、別の人物が同じアカウントを使うことは不可能でない。
すなわち、成長したり体型が変わったとしても、変わらず同じアカウントを使い続けることができる(定期的な更新は必要)。
ただしアカウントの消去は、サーバーに負担をかけるため、あまり推奨はされておらず、連続で行うとペナルティーもあり得る。
れんかは、サブアカウントを持っている。
つまり彼女はコネクターを二つ所有しているのである。
コネクターは高価であるため、サブアカウントを持つことにあまりメリットはない。
にもかかわらず、二つのアカウントを所持している彼女は、やはり一条院家のお嬢様と言うべきだろうか。
それは以前のことである。
れんかはサブアカウントで希少な種族を当てたことがあった。
FWに置いて、プレイヤーは自分の種族を選択することが可能である。
例えば、人間、獣人、海精人、森精人、妖精などと他にも、その種類は多数に及ぶ。
しかし、少数の希少な種族に関しては、最初の種族選択でランダムを選び、運に任せるしかないのだ。
故に、レア種族を引いたれんかは喜んだ。
が、FWは完全没入型。プレイヤーの技量に左右される割合がとても高い。
だからこそのVRと言ってもいい。
つまりFWには、操作しやすい種族、職業と、そうでないものが存在する。
れんかが引いた種族は、おおよそFWの中で最も扱いにくいと言われている中の一つだったのだ。
そしてれんかは、現実においても仮想世界においても、運動神経がポンコツの不器用少女であった。
◯
「でも、せっかく当てたのに消しちゃうのはもったいじゃないですかっ? だから、運動神経が良くて、私と一緒にFWをやってくれそうな人をずっと探してたんですよ。
それで、その最強種族を使ってもらって、私のFWライフをサポートしてもらうんです!」
「君の目から見て、僕は一緒にゲームをやってくれそうなのか……」
「はいっ!」
とても元気のいい声が返ってくる。
何故、面識もなのに、そのように思われているのか。疑問だ。
第一、夏雪は始めは断ったはずである。
結局こうして、彼女のお願いに付き合う形になっているのだから、案外間違ってもないのかもしれないが。
「それで? 僕は何したらいいの?」
「はい。まずはこれをつけてください」
「これがコネクターってやつ?」
大きめのゴーグルのような形だった。水泳ではなく、スキーの際に使用する方のゴーグルだ。
「そうですね。私のサブ垢がはいってます。これで、仮想世界に接続することができるんですよ!
とりあえず、先輩の身体データに適用しなきゃなので、そこに立ってもらえますか?」
「これでいい?」
れんかに促された通り、夏雪は部屋の中央に立つ。
「おっけーです」
するとれんかはコネクターをカチャカチャと操作してから、薄く広がるような光を出した。
「ジッとしててくださいね」
スッと光を夏雪に当て、スキャンを完了させる。
「これで登録は完了です」
満足そうに息をついて、れんかはコネクターを夏雪に手渡した。
「え、もう?」
「これで十分です。先輩の身体データは、これで全部登録されました」
「身体データって、体重とかも?」
「はいっ。びっくりしましたか?」
ふふっと、なぜか誇らしげに笑うれんか。
大きく胸を反らせるが、虚しさが強調されるだけであった。なお、本人は気にしていない様子。
「本当にすごいな……、ちょっと信じられない。これなら、学校の身体測定とかもこんな風にしたらいいのに」
「その辺りには色々事情があるんです。まぁこんなのが一般に広まるのも、時間の問題でしょうけどね。
先輩、ニュースとかあんまり見ない人ですか?」
「そうだな……、この一年くらいはずっとそんな感じかも」
「じゃあ、きっとセカンドリアルを見たら、先輩はすっごく驚くと思いますよ?
さぁさぁ時間がもったいないです。早速始めちゃいましょうっ」
れんかに急かされるまま、夏雪はコネクターを装着して、やけにしっとりとした妙なベッドに寝かされる。
「はい、それでは先輩。『コネクト・オン』って言ったら起動しますので。
次に気付いたら、真っ白な空間にいると思います。そこに『Fantastic World』ってアイコンがあるはずなので、それに触ってください。そしたら、私に会えますからっ!」
れんかは「待ってますからねーっ」と言い残して、その部屋を出て行った。
「……」
明るく賑やかな雰囲気を持つれんかがいなくなると、その場が妙に静かに感じられた。
「……まさか、こんな風にゲームをやるなんて思ってもなかったな」
沈黙を打ち消すように独りつぶやいて、夏雪は「よしっ」と言った。
――さて、それでは始めるとしよう。
本音を言ってしまえば、VRというものに興味がないわけではないのだ。
「えー、『コネクト・オン』」
そう唱えた次の瞬間、夏雪の意識は仮想世界へと向かったのだった。
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