ふと気付くと、夏雪は真っ白な世界にいた。
「……え? なんだこりゃ……」
驚きの白さに、夏雪はポカンと口を開ける。
身体を見下ろすと、そこには真っ白な服を着た自分がいた。
「ここはもうゲームの中なのか……?」
夏雪は信じられない気持ちで、自分の身体を動かしてみる。
何ら不自由なく動く。むしろ現実よりも身体が軽い。今なら何でもできそうな気分だ。
「すごいな、これ……」
まさか、ここまでとは思わなかった。
タンタンと夏雪は軽く地面を蹴って、足の調子を確かめる。
「……普通に動くんだな。なるほど、『セカンドリアル』ね……」
れんかの言っていたその言葉の意味が、ようやく理解できた気がした。
ふと、その時、夏雪の視界に『白』以外の何かがチラつく。
『Fantastic World』と、イタリック体で描かれた明るいアイコンが浮かんでいた。
「そういや、これに触れるんだっけ」
恐る恐る触ってみると、「ポーン」と軽い音がした。
『――Fantastic World――を起動しますか?』
と、聴き取りやすい合成音声が聞こえた。
『はい』 『いいえ』
二種類の選択が目の前に現れたので、夏雪は『はい』をタッチする。
するとまた声が聞こえた。
『――Fantastic World――を起動します――
……Now loading
――身体データ更新確認、異常ありません
――適応済みです
――ロード70%
――ロード96%
――――完了しました
――コネクトシステムオールグリーン――
――それではシステムを開始します――
――健康に十分配慮してお楽しみください』
準備が整うまで、およそ三十秒もかからなかったようだ。
そして夏雪の意識は、この場にやって来た時と同じように、今度は『Fantastic World』の世界――フィルグラムへと誘われる。
◯
夏雪は、強烈な違和感に襲われていた。
「……え、……ごめん、……え、ちょっと待って、なに、これ、え?」
口から出てくるのは、可愛らしいソプラノボイス。
明らかに自分の背が縮んでいることに、夏雪は焦る。
何かが明らかにおかしかった。
そこは、街の中央通りのような場所だった。
様々な道が交差して、中央に巨大な噴水が置かれるような形になっている。
現実の人間と何も見分けのつかない人たちが、思い思いに行動している。
喧騒と熱気。
本当にここはゲームの中かと疑いたくなる。
けれど、明らかに現実と違う点がいくつかあった。
まず、人の頭の上に名前が浮かんでいる。
名前が浮かんでいる人と、そうでない人がいるが、違いは何なのだろう。
次に、頭から獣の耳が生えた人や、耳の長い人、ヒレや鱗が付いていたり、羽が生えている者もいる。
もしやあれが、れんかの説明していた『非純人種』という奴だろうか。
なるほど、確かにここはゲームの中なのだ。
自分の身に起きた異変も一瞬忘れて、夏雪はその幻想的な光景に目を奪われた。
目の前を、ピコピコと猫のような耳を震わせながら、一人の女性が通り過ぎていく。
何気なく、夏雪は自分の頭に手を伸ばした。
そして、遂に自覚する。
自分の頭部に、もっふもふの獣耳が生えていることに。
「……」
一周回って冷静になり、夏雪は落ち着いて、噴水の水面に自分の身体を映した。
そこに映っていたのは、紛うことなき犬耳美少女の姿であった。
「なんじゃこりゃぁぁぁあああああ!!」
絶叫である。
訳が分からずに、ペタペタと自分の身体を確かめる夏雪を、周囲の人々が注目する。
「どうした? なんか困ったことでもあったか?」
話しかけて来たのは、背丈が二メートルに届きそうな強面の大男。背中に大剣を背負っていた。
突然話しかけられ、夏雪は飛び上がる。
目線の高さが違いすぎる。
夏雪はほとんど見上げるように、大男を確認。頭上には、『ブレイグ』と名前が表示されていた。
「え、え、あ、あの、僕は……その、僕は……す、すみませんでしたぁぁ!」
夏雪は逃走した。
まるで風のようなスピードでその場から消え去った夏雪に、残された男ブレイグは、目を丸くしていた。
◯
「もーっ夏雪先輩、探しましたよ? 何で勝手に噴水から離れちゃうんですか!」
街の中央である噴水から相当離れた場所で、夏雪は一人の青年に捕まっていた。
長身細身で、少し長めの黒髪が目立つ温和そうな青年だった。どこか中性的な印象を受ける。
こんな人物、夏雪は知らない。
なのに相手は、自分のことを『夏雪先輩』と呼ぶのだ。
そして、よくよく顔を観察してみれば、どことなく既視感がある。
流石にここまでくれば、夏雪も全てを察した。
つまりこの世界では、現実とは異なる姿であることが出来るということだ。性別すらも例外でない。
「おいっ、一番大事なこと黙ってたな! 何だこの姿は! あとその姿も何なんだよ!」
もはや後輩とか、一条院家のお嬢様とか、そういうのは全く気にせず、夏雪は目の前の青年――れんかに詰め寄る。
「だ、だって、本当のこと話したら先輩一緒にやってくれないんじゃないかって……。あっ、ちなみにそれは私のサブアカウントの『ミルク』ちゃんです! 私の好みを全部詰め込んでみました!
先輩、最高に可愛いです! うへへ」
満足そうな顔でグッと拳を握り締めるれんか。
うっとりと夏雪を見つめるその瞳に、どこか危ない匂いを感じて、夏雪は一歩後ずさる。
「それで、その姿は何なんだよ……」
すでに呆れたような夏雪。
「これですか?」
自分の姿を見下ろすれんか。その声は、どことなくれんか本人の声を思わせるが、やはり男性のトーンだ。
そしてその顔も、どこかれんかの面影を感じさせ、中性的ではあるが、やはり男だ。
対する夏雪の声は、完全に見た目と合致しているのだが。もはや彼の要素はどこにもない。
「これは私の本アカウントの『レン』です。まぁそんなことはどうでもいいのです。
ところで先輩、一つお願いがあるのですが」
「な、なに……」
「抱きしめてもいいですか?」
「は?」
「わーっ! ありがとうございます!」
「まだ何も言ってない!」
夏雪の制止も聞かず、れんかは夏雪の身体を抱きしめて、持ち上げる。
どうすることもできず、なされるがままにされる夏雪。
耳を揉まれ、頬ずりされて、揉みくちゃにされる。
「きゃーミルクっかわいいよミルクちゃん。ミルクたんかわいいよっ!
これっ、これですよ私が求めていたものは!
やっぱり自分が理想の娘になるんじゃダメですよね! だってこういうことできませんもん! はぁっ、はぁっ、先輩かわいいです!」
興奮して、鼻息を荒くして、一人の青年が小柄で幼さの残る犬耳少女を撫で回す。
もしもこれが現実であれば、一発通報もやむなしの状況だ。
しかしここは、現実ではないのだ。
「『セカンドリアル』っ、これこそがセカンドリアルです! 言いましたよね? セカンドリアルには夢があるのです! セカンドリアルには夢が!」
「うるさいよ!」
二度目の絶叫(高音ボイス)が、フィルグラムにて響き渡った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!