「ミルクちゃーんっ! 寂しかったぁぁっ!!」
「だからミルクって呼ぶな!」
再開するや否や飛びかかってきたれんかをするりと躱す夏雪。
勢い余ったれんかは、顔面で地面を削りながら滑っていく。
「うぐぅぅ、先輩ひどい……」
「こんなの誰でも避けるからね?」
赤くなった鼻先を抑えながら、れんかは夏雪の元に歩み寄る。
「ともあれ再開できてよかったですっ。私が寂しかったのも本当ですけど、何よりもミルクちゃんが誰かに誘拐されちゃわないかって思って、ずっとドキドキしてました」
「ふーっ」と安心したように胸を抑えるれんか。
「なんでそうなるの……」
「だってミルクちゃん可愛いんですもんっ」
「……はぁ」
そろそろ訂正するのも疲れてきた夏雪。
もう諦めるしかないのかもしれない。
そこで、夏雪は気になっていたことをれんかに訊ねる。
「ちょっと訊きたいことがあるんだけどさ」
「はいはいっ、なんですか?」
「この世界の人たちの容姿――アバターって言うんだっけ、それってさ、現実の容姿も何か関係してきたりするの?」
「へ? んーむ? あー、確かにそうかもしれませんね」
少し悩んだ後、れんかは納得したように頷いた。
「どういうこと?」
「実はですね、私が今使っているこのレンのアバターは、私がベースになってるんですよ」
「……つまり?」
「つまりですね。先輩は、私が作成したデータを引き継いでるので知らないのも当たり前なんですけど、こういう別姓や、素顔とは異なるアバターを作るのって、結構大変なんです」
その後のれんかの説明をまとめると、次のような感じだった。
アバターのベースとなるのは、あくまで読み込みをした本人の姿で、そこから修正を加えていくということになる。
だがこれの加減がかなり難しく、やり過ぎたり、調節に失敗すると、違和感が大変なことになる。
「それって要するに、このアバターも君がベースってこと?」
夏雪が自分の身体を見下ろす。
「ふむ、確かにそうですね。でもミルクちゃんはミルクちゃんですし、私は私です。
いくらベースが私でも、ミルクちゃんは丹精込めてつくりあげましたからね。私ともそこまで似てませんし。一週間くらいかかったんですよ? 納得できるのが完成するまで」
「一週間って……」
「ふふ、すごいでしょー」
夏雪は呆れただけなのだが、それに気づいていないれんかは胸を張る。
「まぁ、なるほどね。聞きたかったことは聞けたよ。ありがとう」
「どういたしまして。他にも聞きたいことあったら何でも言ってください。私、この世界のことに関しては割と詳しい方だと思いますので」
ふふっと、れんかが含むような笑みを浮かべた。
首を捻る夏雪だったが、はたとそこであることに気がつく。
「あ、ていうか今って何時?」
すっかり時間のことを忘れていた。
「リアルではちょうど夜中の七時ですかね。まだまだ大丈夫です」
メニューを開いて時刻を確認しつつ、あっけらかんと言うれんか。
が、それを聞いた夏雪は驚く。
「え、もうそんな時間なのか。じゃあ、僕はそろそろ帰るよ」
「えーっっっ!! 何でですか!」
「いや、何でって。これ以上遅くなったら、ウチの家族が心配するし」
それを聞いたれんかは、ふっと勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ノープログレムです。今から爺やに、先輩が今日はウチに泊まるってことを、先輩の家に連絡させますから」
「問題だらけだよ。そんなことはできないって」
「できます。ウチの身内は、だいたい私に甘々なので」
ふっふっふっと、得意げに笑うれんか。
「いや、そう言う問題じゃなくてね? あー、とりあえず帰るよ。メニューからログアウトだっけ」
メニューを開いてログアウトの項目を探す夏雪。
「わぁぁ、先輩ストップっ」
「むぐ」
背後から夏雪を抱きしめるれんか。
「おい、なにすんだよっ」
「あー、ミルクちゃんからいい匂いが……」
その拍子に夏雪《ミルク》の髪の中に鼻先を突っ込んで、はぁはぁと息を荒げているれんかに、夏雪は呆れる。
「……おい」
「はっ、すみません。ちょっと意識が飛んでました」
「ほんとに頭大丈夫か……?」
「大丈夫です! これでも私、それなりに頭いいんですよ! すごいでしょ?」
――なに言ってんだこいつ……。
れんかに抱きしめられたまま、夏雪は「ともかく」と、話を引き戻す。
「僕は帰るからな」
「いやです! もっと先輩と遊びたいです!」
「いやーっ!」と繰り返しながら、鼻先をグリグリ夏雪の登頂に擦り付ける。
「あのな……。はぁ、分かったよ。時間がある時なら、また今度付き合うからさ」
夏雪がこのVRという世界に、魅せられてしまったというのは、否定できない所だ。
たまにの息抜きなら、また楽しんでもいいと、そう思った。
「うー。……ほんとですか?」
「ほんとうだって。だから早く離して」
完全に納得した風ではなかったが、渋々夏雪を離すれんか。
「じゃあ先輩っ、絶対また私と遊んでくださいねっ」
「分かったよ」
いったい自分のどこが気に入られてしまったのかと、疑問に思いながら、夏雪は頷いた。
◯
れんかに『爺や』と呼ばれていた歳老いを感じさせない渋い老人に、車で送ってもらい帰宅した夏雪。
結局、時刻は八時を過ぎており、こんなに遅い時間に帰ることは夏雪にしてはかなり珍しい。
一応、事前に連絡したものの、果たしてどのように思われているのか。
「まぁウチの親、割と適当だからな」
そんなことを呟きながら、夏雪は玄関の扉を開ける。
すると、ダダッととある人影が走ってきた。
「あっ、お兄やっと帰ってきた!」
妹のゆずである。今年で中学二年生になり、思春期真っ盛りだ。
「ねぇねぇお兄どこ行ってたのっ?」
普段とは異なる兄の帰宅に、興味津々の様子。
「別にどこでもいいだろ。それより、母さんは?」
適当にあしらいながら、夏雪は靴を脱いで廊下に上がる。
「あっ、ごまかした! お兄ごまかしたでしょ! なんか変なことしてたんだ!」
夏雪の周囲に張り付いて、疑いの目を向けるゆず。
「はっ! まさか。まさかとは、思うけど、お兄彼女できたのっ?」
「ちっ、違うって!」
一応、女子と遊んできたことは事実なので、妙な反応を返してしまう夏雪。
そんな兄の様子を見たゆずは、口を開け、愕然とする。
「そ、そんな、あのお兄が……っ、」
「だから違うってっ」
「わぁぁぁっ、お母さぁぁぁあんっ!」
「わぁあっ、ゆずっ、ちょっと待って! おいこらっ!」
叫びながら廊下をかけていくゆずを、夏雪は全力で追いかける。
普段とは違う夏雪の一日は、そんな感じで終わりを告げた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!