「にゃああああああっっ!!! 大変です! 大変です! ミルクちゃんが死んじゃいましたぁっ!」
――うるさい……。
普段より感度が増した耳の間近で、思い切り叫ばれてミルクは内心で顔をしかめた。しかし、実際の表情を動かすことはない。というか、出来なかった。
何せ今のミルクは、『死んだ』状態であるのだから。
――You’re dead.
と血のように赤い文字で、少し薄暗くなった視界に表示されているソレは、軽く言ってホラーだ。
暴れ熊アングの直撃を受けた瞬間、ミルクは視界の端に表示されているHPバーが刹那にして、削られていくのを見た。
その時、ミルクは、レンが以前に言っていた『銀狼は耐久が紙だから敵の攻撃そのものを受けないよう、持ち前のスピードを生かして立ち回る必要がある』という台詞を思い出した。
まぁ、単純にレベルや装備の違いも大きいだろうが、それにしても、レンやアイスがHPの半分も減っていないのに対して、秒も立たずゼロになったミルクのHPを考えると、その言葉の意味も実感できるものだ。
「あぁぁぁっ、私は騎士失格だぁぁああ」
騒がしいレンの隣では、アイスが叫んでいた。こちらも騒がしい。
――うるさい……。
ミルクが再度、心の中で顔をしかめると、少し離れた位置からチャイムが叫んだ。
「ちょっと二人とも早くポーション飲んで! 流石にやばいって! ミルクのことは一旦置いといてさ」
「私たちにミルクちゃんを見捨てろって言うんですか!? チャイム、見損ないました!」
「そうだぞチャイム! 貴様は極悪非道魔術師だ!」
「なんでそこまで言われないといけないの!? ていうかあくまでここはゲームの中だからね!?」
「例えゲームでも! ここは私たちにとってのもう一つの現実なんですよ!」
――さっきと言ってること違わない?
そう突っ込みたかったが、生憎ミルクの口は動かすことができない。
そうしている内に、無防備なレンとアイスにまた暴れ熊アングが碗撃を加えようとする。
「わぁあああ、危ない危ない! ――『ウィンド――ストレクション』」
チャイムの杖先から、先端の尖った風の弾丸が射出され、暴れ熊アングの眉間に命中する。
するとチャイムのヘイト値が上昇し、暴れ熊アングのターゲットが変わった。
「なんで魔術師のボクがタゲ取りしないといけないのさぁ!」
ドスドスと突進してくる暴れ熊アングから逃げながら、チャイムが半泣きで叫んだ。
複数の魔法を駆使して、暴れ熊アングの視界や動きを遮りながらチャイムが逃げ惑うよそで、レンがなにかを思い出したように手を打った。
「あっ、そうだっ。ミルクちゃんっ、今助けますからね!」
すると、レンはインベントリからあるアイテムを選んで顕現させる。それは僅かな液体が入った小さな小瓶だった。
レンがそのアイテムを使おうとしているのを見て、現在体を張って暴れ熊アングの猛攻をしのいでいるチャイムはギョッとした。
「えっレン! ここでそれ使うの!? 流石にもったいな――うおわぁっ!」
ギリギリまで迫っていた腕撃を、チャイムは身を投げ出すようにして回避する。ヒットが確定する『一定秒』以下での回避を成功させたことで、――Dodge‼︎ と、チャイムの頭上に文字が浮かんだ。
だがそんなチャイムの頑張りは意識の外に、レンは小瓶の蓋を取って、中の液体をミルクにかける。
すると、淡く温かい光がミルクを包み込んで、HPバーが一気に満タンに戻った。
「あ、生き返った」
むくりと起き上がるミルク。
「ミルクちゃんーっ!」
「あぁミルク、よかった」
ガバリとミルクに抱きつこうとする二人。そんな二人をミルクがひらりと躱したせいで、レンとアイスは情熱的な頭突きを交わし合った。
「「ぁぁああああ」」
額を抑えてゴロゴロと悶え転がっている二人を無視して、ミルクは腰の鞘から引き抜いた短剣を投擲する。
その短剣は、今にもチャイムを追い詰めようとしていた暴れ熊アングの後頭部に突き刺さる。ダメージポイントはほとんど入っていないが、暴れ熊アングの注意を分散させることには成功したようだ。
暴れ熊アングに隙が生まれる。
「ミルク、ナイス!」
チャイムが杖先を暴れ熊アングに向けた。
「――『スヴィエート』、――『アン・スティード』」
――Hit!!
――Hit!!
続けて打った二つの魔法が、暴れ熊アングの顔にヒットした。
「よっし」
『BLIND』、『AGIDOWN』の二つのマークが暴れ熊アングの頭上に浮かぶ。視界障害と敏捷低下の効果だ。
視界が効かなくなったせいか、雄叫びを上げながら無茶苦茶に腕を振り回す暴れ熊アング。
チャイムはそこから冷静に距離を取って、ミルクたちの方へ駆け寄ってきた。
そしてそのまま、地面に倒れているレンとアイスに杖を振り下ろす。
「ていっ」
「いったぁッ、なにするんですかチャイム!」
「おいっ、味方に手を挙げるとは何事だ!」
「それはこっちのセリフっ。まったくもう、みんな何やってるのさ。初めてのミルクは仕方ないとして、レンとアイスはたるみ過ぎだよ。なに、漫才でもやってるの?」
腰に手を当てて、怒った表情を見せるチャイム。
「うっ。ま、まぁ、それはそれとして。とりあえず今はアイツを倒すことに専念しましょう! そろそろBLINDの効果が切れそうですよ。はい!」
レンが「あははー」とごまかし笑いを浮かべながら、暴れ熊アングを指差す。
それを見てチャイムは一瞬何かを言いかけたが、代わりにため息を吐いて杖を構え直す。
「そうだね。じゃ、今度こそちゃんと行くよ」
そう言って、チャイムはミルクたちに強化魔法をかけ直した。
ミルクの視界に、ステータス上昇のマークが表示される。
その時、ミルクの頭にある考えが浮かび上がった。
「ねぇ、ちょっと思いついた事があるんだけど」
ミルクが手を挙げて、皆の注意を自分に寄せる。
「どうしたんですか? 先輩」
「うん、あの暴れ熊アングってヤツ、ちょっと攻撃を受けただけで、すぐにターゲットを攻撃を行った人に向けていると思うんだけど」
「だから」と、少し早口になってミルクは続ける。
「僕が中心になって暴れ熊アングの注意を引くからさ、みんなはその間に攻撃してよ」
○
ミルクが地面に足を置き、大きく踏み込む。
木の葉と枯れ木、柔らかい土で形成された足場であるにも関わらず、ミルクの足裏はしっかりと地面を捉えていた。
夏雪自身の技量とミルクのDEXの高さ、獣人種特有の感覚補正がなせる技だ。
地面を蹴ったミルクは、与えた衝撃の反作用を、その軽い身体に無駄なく受け止め、加速する。
一歩、二歩、三歩と、ジグザグに前進しながら、さらにスピードを上げていく。
そして、視線の先に暴れ熊アングを据え、ミルクは小さく呟いた。
「――『ソニックアタック』」
この世界において、スキル、魔法等の特殊能力を発動させるには、その名称を口に出す必要がある。
最初は技名を声に出す事が少し恥ずかしかったが、それにも段々と慣れて気にならなくなってきた。
何故なら“此処”は、そういう世界なのだから。
短剣専用の攻撃スキル『ソニックアタック』の効果で、ミルクの身体がもう一段階加速する。
「……よし」
イメージ通りの結果を得て、ミルクは思わず呟いた。
ミルクの口元が薄く緩む。
ミルクは逆手に握った短剣を振りかぶり、BLINDのデバフ効果が切れかけている暴れ熊アングの懐に潜り込んだ。
敵の接近を感じ取った暴れ熊アングが、腕を振り上げ、ミルクに攻撃を与えようとする。
が、それより早く速く、ミルクが短剣を斬り上げた。
青白い光の尾を引いて、刃が暴れ熊アングの腹を浅く裂く。
ミルクの身体に乗ったスピードを全て乗せた一撃。
しかし、暴れ熊アングのHPバーは全くと言っていいほど減らない。
でもなお、暴れ熊アングの怒りを稼ぐには十分だった。
「――グォォォォァアアア!!」
怒りの咆哮が響き渡る。
その瞬間、ミルクは地を蹴って暴れ熊アングの背後に回る。
ミルクの動きに釣られた暴れ熊アングは振り返る。
それは、正面にて各々の武器を構えているレン、アイス、チャイムへの警戒が完全に途切れた瞬間だった。
「――『ヴァン・ヴィエーチル・ハウ・ウィンド』」
チャイムの冷静かつ口早な声と共に、風の砲弾が襲来する。
爆音が響き渡り完全な不意打ちにより与えられた衝撃に、暴れ熊アングの身体がよろめく。
そして、そのタイミングを見計らったように、
「――『花舞ノ技・蓮華』っ!」
レンの元気な声が響いて、刀により斬撃が連続でヒットした。
既にバランスが崩れていた暴れ熊アングは、その容赦ない追撃を受け、ついにその身が大地に倒れこませた。
ズンと地鳴りが響いて、四メートルを越す巨体が地面に横たわる。
「残念だったな巨大熊。貴様にもう反撃の余地はない」
暴れ熊アングが倒れると同時に飛び上がっていたアイスが、その口元に不敵な笑みをたたえ、両手に握った片手半剣を大きく振り上げると、上段から振り下ろす。
「――『ブレイクスラッシュ』」
青白い光をまとった片手半剣の刃が、暴れ熊アングの脳天に衝突し、派手な光エフェクトが撒き散らされた。
その次の瞬間、パリンッとガラスが砕けるような音が鳴り、暴れ熊アングの巨体はポリゴンの欠片と化したのだった。
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