凩小秋は、猫派である。しかしながら、マンション住まいの彼女は、ペットを飼うことができなかった。
そんな彼女の日課は、毎日学校の帰りに猫と戯れることだ。
彼女が通う高校から家に帰る途中には、野良猫たちがよく集まる場所がある。
野良と言っても、近所の住民から餌を貰ったり可愛がられているようで、人に慣れている。
愛称で呼ばれているのも、何度も見たことがあった。
車道沿いの歩道を歩きながら、小秋は位置がズレたリュックを背負いなおす。
これから会うにゃんこたちに思いを馳せつつも、小秋は空を見上げた。
どんよりとした雨雲がそこには広がっている。
「今日は晴れるって言ってたんだけどな……」
目を細めながら呟いた。
が、しかし、歩道を少し脇に逸れて、いつも通りの場所に着くと、そこには見慣れた猫たちが集まっていた。
「みんな、今日も元気?」
しゃがみこんで一匹の猫を撫でると、「にゃーぉ」と返事を返してくれる。
そこで小秋の顔は、とても人様には見せられないようなにやけた笑みをこぼしてしまう。
にゃんこたちは「にゃーにゃー」とねだるような声をあげながら、小秋の膝に前脚を乗せた。
「はいはい、ちゃんと持ってきてるよ」
クスリと微笑んで、小秋からいつも通り、鞄の中から猫たちのオヤツを出そうとする。
――しかし、そこでとあることに気付いた。
「あれ……?」
毎日必ずこの場所にいるはずの、一匹の黒猫が見当たらないのだ。
小秋にとても懐いて、彼女も脳内で安易と思いつつも『クロ』と愛称を付けていた。
何故だか妙に嫌な予感がした。
まるで今に溢れそうな雨雲のように、もやもやと暗い気持ちが広がる。
小秋はバッと立ち上がる。
「ごめん、ちょっと待っててね」
猫たちにそう言い残して、小秋は元来た道、車道の方に向かった。
車が行き交う側を、中学生と思しき数人の少年たちが、自転車で駆けていくのが見えた。
なにげなくその少年たちを視線で追いかける小秋。
その時、彼女は見た。
「あっ!」
毎日見慣れた黒猫が、悠々と車道の側を歩いていたのだ。
そのすぐ側を、高速の車が通り過ぎる。
――クロっ!
ダッと小秋は走り出す。
しかしその時なにを思ったのか、ピクリと耳を震わせた黒猫は、急に駆け出してとある方向へ向かう。
その先には、俯いて歩道を歩く一人の少年がいた。
小秋と同じ制服を着ており、同じ高校に通う生徒だと分かった。
チラリと彼の横顔が見え、小秋は気付く。彼は、同じクラスの立花夏雪ではないか。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではなく、黒猫は彼の足元を潜り抜けると、車道に飛び出す。
「ダメ――っッ!」
背後から、積み荷を乗せたトラックが走って来るのを見ていた小秋は、普段なら絶対に出さないような大声で叫ぶ。
――が、その瞬間、目を見張るような速さで、夏雪が地を蹴った。
一切の迷いなく、まるで風のように車道に飛び出した夏雪は、黒猫を抱きしめるとトラックの陰に消えた。
ドクンッと小秋の心臓が跳ね上がる。
張り裂けるかと思った。
トラックが過ぎた後、電柱の側には、頭から血を流して倒れる夏雪と、その場から離れようとする黒猫が映った。
夏雪は血を流しているが、どうやら黒猫も彼も死んではいないようだった。
はっと息を吐き出して、どうしていいかわからず、その場に固まる小秋。
その視線だけが、倒れこむ夏雪に釘付けになっていた。
すると、キキィーっと、車のスキール音が聞こえた。
小秋はピクリと身を震わせる。
歩道沿いに急停車されたとある黒塗りの車から、六十代ほどの老人が飛び出して来る。
「爺やっ、早くはやく!」
「お嬢様、落ち着いても大丈夫ですよ。見た目ほど酷くはなさそうです」
「ほんとっ?」
「しかし急ぎましょう、ここからならこのまま帰るのが一番早そうですね」
老いを感じさせないキビキビとした動きで、老人は車に夏雪を運び込むと、すぐさまその車は発進された。
「……」
何もできず、ただただその場に立ち尽くしていた小秋は、その後もしばらく動くことができなかった。
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