クラスメイトたちが去った玉座の間は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。ただ一人、巨大なホールの中心に取り残された俺に、玉座に座る王と、その周囲にいる騎士や大臣たちの冷たい視線が突き刺さる。それは、もはや期待の眼差しではなく、価値のないゴミを処分する前の、無慈悲で無機質な視線だった。
やがて、王がおもむろに口を開いた。その声には、先ほどまでの慈悲深い君主の響きは微塵もなかった。
「さて、神崎翔とやら。……率直に言おう。お主には心底失望した」
冷え冷えとした声が、大理石の床に反響する。
「我らが国の存亡を懸け、古の秘術の粋を集めて召喚した勇者。その中に、お主のような『勇者ではない者』が紛れ込んでいようとは。前代未聞の失態だ。ステータスも、そこらの農夫の子供と変わらん。いや、それ以下か。そのような者を、勇者たちと同じように城で養う余裕は、残念ながら我が国にはない」
言葉の一つ一つが、氷の刃となって俺の心を突き刺す。わかっていたことだ。だが、こうして面と向かって「無能」の烙印を押されると、心が軋む音がする。殺されるのではないか。その恐怖が、全身を支配する。
「ついては、お主にはこの城を出て行ってもらうことにした。無論、我らも鬼ではない。この世界で右も左もわからぬお主を、このまま裸で放り出すのは忍びない。せめてもの慈悲として、何か一つ、要望を叶えてやろう。言ってみるがよい」
偽善だ。その言葉の裏に、「どうせすぐに死ぬだろうが、体裁だけは整えてやる」という悪意が透けて見える。ここで下手に高価なものや強力な武器を要求すれば、それこそ「身の程知らず」として斬り捨てられる口実を与えかねない。
(生き延びるんだ……。何が何でも、生き延びてやる。見返してやる)
心の奥底で、怒りに似た黒い炎が静かに燃え上がった。俺は俯いていた顔を上げ、王をまっすぐに見据えた。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます。俺が、この世界で最低限ひと月は生きていけるだけの資金と、自分の身を守るための最低限の装備をください」
俺の答えに、王は少しだけ眉を動かしたが、やがて満足げに頷いた。
「よかろう。おい、その者に支度金と装備を用意してやれ。できるまで、ここで待っているがよい」
騎士の一人が一礼し、玉座の間から出ていく。残された俺は、ただ静かに、その時を待つしかなかった。だが、この待ち時間は、俺にとって絶望の淵から這い上がるための、重要な時間となった。
(スキルを、もう一度詳しく鑑定するんだ……!)
俺は意識を集中させ、自分のステータスウィンドウを再び開く。そして、謎のジョブ【#自然の支配者__ネイチャーマスター__#】に、『鑑定』スキルを使った。
【自然の支配者】:自然界の頂点たる世界樹より、その寵愛を受けた者にのみ与えられる伝説のユニークジョブ。世界を跨いだにもかかわらず不遇な扱いを受けた召喚者に、世界樹が深く同情し、特例として与えた。このジョブを持つ者は、世界でただ一人である。
(世界樹……。なんだか、とんでもないものを貰ってしまったみたいだ)
続けて、ユニークスキルを一つずつ鑑定していく。
【自然操作】:火、水、土、風の四大元素に加え、光、影、闇、重力、電磁気など、自然界に#顕現__けんげん__#する森羅万象を、MPを消費することなく自在に操作できる。行使する力は、術者のレベルと魔力に依存する。
(なんだ、この効果は……。MP消費なし!?これじゃあ、実質、魔法使い放題じゃないか!)
【自然付与】:『自然操作』で扱える全ての事象を、道具や装備、生物や魔物に付与することができる。MP消費なし。付与される効果は、術者のレベルと魔力に依存する。
【ストレージ】:アイテムボックスの上位互換。内部の時間は完全に停止し、容量は無限。思考するだけで、アイテムの出し入れや整理が可能。
(……これ、もしかして、とんでもないチートなんじゃないか?)
剣崎光のステータスと比べれば、俺のレベルやHPはゴミ同然だ。だが、スキルのポテンシャルは、もしかしたら彼をも上回るかもしれない。絶望の闇に、一条の光が差し込んだ気がした。俺は、まだ戦える。いや、この力があれば、この理不尽な世界でだって、自由に生きていけるかもしれない。
そうこうしているうちに、先ほどの騎士が戻ってきた。その手には、一つの革袋と、粗末な武具一式が握られていた。
「もっていけ」
手渡されたのは、刃こぼれの目立つ鉄の剣、ところどころ革が硬化した中古の鎧、そして、わずかな銀貨と銅貨が入った袋。最低限、という言葉通りの、むしろそれ以下の代物だった。騎士たちの目が、嘲笑の色を帯びているのがわかる。
「さあ!ゆくがよい」
俺は黙って装備を身に着けると、二人の騎士に両脇を固められ、城の裏口から外へと連れ出された。陽の光が眩しい。振り返れば、そびえ立つ王城が、俺を拒絶するように鎮座していた。俺たちはそのまま無言で歩き続け、やがて、人の気配もない広大な草原へとたどり着いた。
その瞬間だった。
「――さて、茶番はここまでだ」
連れ添いの騎士の一人が、低い声で呟くと同時に、腰の剣を抜き放った。もう一人も、俺の退路を塞ぐように剣を構える。
「悪いが、王国とて、お前のような使えないゴミにくれてやる金や装備など持ち合わせていないんだ。恨むなら、勇者として生まれなかった、無能な自分を恨むことだな」
やはり、こうなったか。慈悲など、最初から存在しなかったのだ。
死への恐怖が、心臓を鷲掴みにする。だが、それと同時に、俺の心は不思議なほど冷静だった。スキルを確認したことで、俺の中には確かな勝算と、理不尽に対する静かな怒りが燃え盛っていた。
「死ねぇッ!」
騎士が、容赦ない斬撃を繰り出してくる。歴戦の強者が放つ、鋭い剣閃。以前の俺なら、反応すらできずに斬り捨てられていただろう。
だが、今の俺には、その動きが、はっきりと見えた。
「――自然操作」
俺がそう念じると、足元の草々が、まるで緑色の蛇のように命を宿し、騎士の足へと一斉に絡みついた。
「なっ!?こ、こんなものッ!」
騎士は驚きながらも、剣で草を薙ぎ払う。だが、その一瞬の隙で十分だった。俺は、後退しながら次の手を打つ。
「土よ、水を含んで泥となれ!」
もう一人の騎士が突進してくる。その足元の地面が、一瞬にしてぬかるんだ泥へと変わった。予測不能の事態に、騎士は盛大にバランスを崩し、前のめりになる。
「今だ!――泥よ、固まれ!」
泥から一瞬で水分を抜き去る。ぬかるみは、コンクリートのように硬化し、騎士の足を完全に地面に固定した。
「ぐっ、動けん!?」
体勢を崩したまま動けなくなった騎士。その無防備な背中を、もう一人の騎士が目を見開いて見ている。
(やるしかない……!やらなければ、俺が死ぬ!)
俺は、王から与えられた刃こぼれの剣を、震える手で握りしめた。躊躇いを振り切り、地面に拘束された騎士の首筋めがけて、全体重を乗せて振り下ろす。
ゴツッ、という鈍い感触。骨を断ち、肉を裂く、おぞましい手応え。噴き出した血が、俺の顔を温かく濡らした。騎士の体から力が抜け、どさりと崩れ落ちる。
「ひっ……!き、貴様ぁ!」
仲間を殺されたもう一人の騎士が、怒りと恐怖に顔を歪ませ、俺に斬りかかってくる。だが、もはやその剣筋に、先ほどの鋭さはない。俺は冷静に身をかわし、カウンターで剣を振るった。
初めて人を殺めた。手が、足が、全身が震えている。込み上げてくる吐き気を必死にこらえながら、俺は荒い息を繰り返した。
その時、脳内に無機質な声が響いた。
[学習力上昇スキルがジョブとスキルの使用経験を分析しました。結果を新たなスキルとして習得しますか?]
[はい] [いいえ]
(なんだ、これは……?)
迷わず、[はい]を選択する。
[ユニークスキル【自然の心得】【地形創造】を習得しました]
【自然の心得】:周辺の地形を、任意で脳内にマップとして表示する。鑑定スキルと併用することで、マップ上の対象物の詳細情報を把握可能。また、自身に向けられる敵意などを感知し、色別にマップ上に表示する。
【地形創造】:周囲の地形を、一瞬で大規模に変えることができる。『自然操作』の上位互換。現在のレベルでは、一日三回まで使用可能。
新たな、そしてあまりにも強力な力を手に入れた。俺は騎士たちの死体をストレージに放り込み、血痕を『自然操作』で土に埋めて完全に証拠を隠滅する。
広大な草原に、俺はたった一人。
だが、もう無力なボッチではない。この理不-尽な世界で生き抜くための、強大な力を俺は手に入れたのだ。俺は、アストライア王国の王城を振り返り、静かに誓った。
(必ず、生き延びてやる。そして、自由を掴むんだ)
俺の、本当の異世界生活が、今、始まった。
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