「おやすみ」
私はもう長い間その言葉を口に出すことをしていない。
それは中学1年生の秋の終わり頃からだったと思う。
私はクラスにも打ち解けて普通で楽しい中学校生活を送れていた。
その少し前にあった席替えで私は後ろから3番目、前からは4番目の席になった。
隣の席はおとなしくて、いつも仲良しの2人の女の子と静かに話している、背の小さな女の子になった。
最初の内は特に話したりする事もなかったのだが、私が教科書を忘れて席を近づけて見せて貰ったときから、少しづつ話すようになった。
そのとき、彼女が何だかとても見にくそうにしてるように感じて、私は
「ごめんね。見にくいよね。もっとそっちに教科書やっていいよ。」
そう申し訳なさそうに言った。
すると彼女は
「全然。〇〇君って優しいね。」
と今まで見たことがない、にこやかな表情で言った。
私は優しいのは、こっちに見やすいように教科書を置いてくれている彼女じゃないかと心の中で思ったが、何だか優しいと微笑んで言われたのが嬉しくて、照れて微妙な笑顔を返した記憶がある。
それから、朝の読書の時間の時に彼女の読んでいた本が帯をしていなくて、何を読んでるか見えて
「それ、面白いよね。読んだことある。」
なんて、少しはなしかけてみたら案外その本の話で盛り上がって、担任にばれないよう小声で話していたら、いつしかショートホームルームが終わっていて何だか嬉しかった事を覚えている。
それからも授業中に、本当はどうでも良かったテスト範囲の話なんかを彼女と何回かしていた時だった。
ある日、家に帰って宿題をやるためにリュックからプリントを出そうとしていたら、見知らぬ白いスマホが出てきた。
私はその頃まだ、スマホを持っていなかったから誰かのを持って帰って来てしまったとすぐに分かった。
私の通っていた学校はスマホを使うことは禁止されていたが、持って来ることは問題なかったのでありえる話だった。
後で考えると、多分だけど、私の席の近くに落ちていたスマホを誰かが私の机の中に入れてしまったのではないかと思う。
そして、気づかずに机の中のスマホの上に教科書やノートなんかを上に置いて、挟まったままリュックにいれたのではないか。
私はどうすればいいのか分からなくなった。
今考えれば馬鹿みたいに思えるのだが、次の日先生にリュックに入っていました何て言って渡したら、皆から盗んだなんて思われるんじゃないかと感じていたのだ。
どうするか考えていて、少し時間が経った後、私はスマホの電源を付けて見たくなった。
まだ、スマホを買って貰えてなかった私は、何だかものすごく電源を付けて見たくなってしまったのだ。
でも、友達のスマホを見せて貰ったときにパスワードを入れないと何も見れない事を知っていた。
私は全てのスマホは、必ずパスワードが設定されているものだと思いこんでいた。
スマホを触ると何だか濡れている事に気づいた。
後で拭こうなんて考えて、2つ繋がった音量ボタンの上にあった、一つだけのボタンを私はとてもゆっくり押した。
するとその瞬間、何の間もなく眩しい程の明るい画面が目に入り込んで来た。そして、すぐにハッとした。
そこには誰かとのメッセージアプリでのやり取りが見えた。
相手の名前を見ると先生となっていた。
私は相手の名前が先生であることに驚く暇もなく、やり取りの内容にさらに驚いた。
その画面には、3日連続続けての先生のおやすみと言うメッセージがあった。
でも既読と書いてあったのに、こちらからのメッセージはなかった。
このスマホの持ち主は、学校の先生と思われる人物とそんなに仲が良いのか、そこに私は驚いていた。
でも、その時点ではまだ、そういう事もあるのかと別に何か問題があるとは思っていたかった。
だが、私の心に急に恐怖が芽生えたのは、その続きのメッセージを見たときだった。
先生と書かれていた人物はスマホの持ち主がメッセージが返さないことに、
「おい〇〇、担任のメッセージなんだからちゃんと返せよ」
と怒っている口調のメッセージを送っていた。
しかも、怖くなったのはその名前が私が最近よく話していた隣の席の女の子の名前だったからだ。
彼女はそれに対して、
「〇〇先生。もうメッセージはやめて下さい」
と送っていた。それは私のクラスの担任の男の名前だった。
だが、今度もそれに驚く前にその次のメッセージにとてつもない衝撃を受けた。
男はこう言っていた。
「嫌だよ。〇〇の事好きなんだからおやすみぐらい言わせて」
これを見て一気に私はこのやり取りは、大きな問題である事に気づいた。
メッセージはそこで終わっていた。
幸いこのメッセージにはまだ未読と書かれていた。
私はずっと立ち尽くしていたので、急に足に疲れを感じてとにかく椅子に座った。
まず、頭に浮かんで来たのはこれを両親に話すべきではないかという考えだった。
しかし、私の両親はその頃仕事がとても忙しいようで、毎日とても疲れた様子であったため、何か学校の事でトラブルに巻き込みたくないと思ってしまった。
だから、次に明日先生に話そうと考えたのだが、このメッセージが送っている相手が担任であった事にすぐに気づいてそれは出来ないと悟った。
ならば、他の先生に話そうとも考えたのだが、あの担任の味方をして私の話を嘘だと決めつけ、スマホのメッセージを消されるのではないかと考えてしまった。
今思えば本当に馬鹿な考えだったが、スマホというものをよく理解していなかったし、何だか恐怖に支配されて、混乱してしまっていた。
色々考えていて時間はすぐに進み、母とテレビを見ながら夜ご飯を食べていたとき、私はあのメッセージの事を母に伝えようとした。
だが、母が何か悲しいひどい目に合うような気がして、怖くなった私は何も話せなかった。
そして、次の日の朝私は、スマホをリュックに入れていつもよりとても早い時間に家を出た。
スマホを見たことは、画面を変えなければ電源を入れたとき、最初に見たままの画面になることを何度も電源をつけて、確認した。
だから、見た事を気づかれる心配はしていなかった。
学校に着いて教室に入ったとき、まだ誰も席に座っていなかった事にとても安堵し、私はすぐに自分の隣の席の机にスマホを入れて、何事も無かったかのように自分の席についた。
少しして、何だか私はとても疲れて眠くなってきて、顔を机に置いた自分の腕の中に伏せた。
何だか緊張がほぐれていき、すぐに私は目を閉じて眠ってしまった。
ハッと起きたとき、既に横の席に彼女は座っていた。
スマホを見たのか分からなかったが、とにかくスマホを持ち帰ったことがバレるのが怖くて、私は平静を装った。
だが、担任が教室に入ってくると急に恐怖に体が包まれた。
読書など頭に入って来なくて、私はその時間何度も横の彼女をばれないように見た。
彼女はいつも通り全然動かずに本を読んでいて、まだスマホは見ていないんじゃないかと私は思った。
その日は普通に友人と話したりもしたが、彼女に話しかける事は全く出来なかった。
私はその日担任が怖かったし、彼女がとても気になって様子がおかしかったと思う。そんな日が3日程続いた。
彼女は本当に変わった様子はなくて、まあ大丈夫だったのかな、なんて考えるように私はなっていた。
今考えればそんなことある訳ないのに。
そんな風に思っていて、週末が開けた月曜日の朝、クラスで担任からアンケート用紙が配られた。
そこにはいじめを受けているか、また見たりしたか、なんてアンケートがあって最後には何か学校生活で問題があるか、あったら書いて下さいと言う欄があった。
私はいじめに関わるアンケートは、当然のようにすぐにいいえに○を付けたが、最後の欄は書くべきか迷っていた。
私はやがて、〇〇さんがと書き始めた。
しかし、後ろの席からアンケート用紙が回ってきて、手を止めた。
回ってきたプリントはバラバラに重なっていて、2枚とも回答が見えるようになっていた。
私は回答を誰かに見られるのではないかとパニックになって、すぐに書き込みを消した。
幸い朝早い時間で眠いのか、皆ほとんど机に顔を伏せていて、誰かに見られて不審に思われるという事はなかった。
消してからすぐにプリントを重ねて、前に回した。何だか不安で、書き込みが薄くなっていたおかげで、しっかり跡が残らないよう消せていた。
気になって、プリントを前に回してからすぐ横をふと見ると、今まで変わった様子などまるでなかった彼女が、何だかとても不安そうな顔で少し涙ぐんでいるように見えた。
私はそんな彼女を見て、あの用紙に何も書かなかった事が急にとんでもない過ちを犯してしまったように感じ始めたが、用紙はもう一番前に回ったようで、何もできなくてただ周りのように顔を机に伏せた。
彼女の顔を視界に捉えていることが本当に辛かった。
その後、彼女はまた何も変わった様子などなく一日を過ごしていた。
その後の4日も普通そうに過ごす彼女を見て、私はだんだん体と心が軽くなったように感じ始めていたが、次の週の月曜日彼女が学校に来ることはなかった。
それはその1週間ずっと続き、私はどんどん自分のせいだと絶望を感じていった。
そして次の週の月曜日、今度は担任が来なくなった。
そしてその日の朝、クラスの全員が普段全く使わない教室に集められ、学年主任の先生から話があった。
内容は、このクラスの担任に不適切な行為があったため、処分が下るというものだった。
詳しい内容は全く話されなかったが、皆学校に来ていない私の隣の女子に関係した事だと分かって、学年主任の話が終わってからも何があったのか、話し合いザワついていた。
皆、まるで他人事のように面白がって話していたが、私は彼女の痛みや悲しさを想像すると、もうどうしていいか分からないくらい自己嫌悪に陥った。
私も友人に、担任と彼女の事で話しかけられたが、平静を努力して装って全く知らないふりをした。
でも、その間も何かに突き刺されたように心の中で痛みが走っていた。
担任が処分され、私の気持ちは和らいでいくかもしれないなどと思っていたが、そんな事は全く無かった。
それから彼女が学校に来ることは一度も無かった。
中学の卒業式の日にも彼女の顔はなかった。
私は彼女が学校からいなくなってから卒業の日まで、自分のせいで彼女の中学生活は台無しになったのだと思い続け、中学の思い出は今やそれしかない。
もちろん、あの担任が悪いとは思っているのだが、私があのやり取りを誰かに話していれば、彼女は学校に来なくなどならないでよくて、問題を解決できたのではないかと考えてしまう。
私はあのやり取りを見たことを誰にも言っていないし、これからも言わないだろう。
それはまるで、その事が誰にも言えない大きな罪のように感じているから。
そして、私はあのやり取りを見てからもうおやすみという言葉を口に出すことができなくなった。
あの担任のメッセージを思い出して気持ち悪くなり、彼女の事を考えて痛みと後悔に襲われるのだ。
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